古代の騎馬民族の話をする時によく出てくる「スキタイ」についての覚え書き

スキタイ(Scythians)は、ヘロドトスの著書で有名な、かつて黒海沿岸に住んでいた騎馬民族である。
ウマ利用の歴史を語る際にはほぼ必ず言及されるが、他の騎馬民族も同時に複数存在していたため色々わかりにくい。そして相変わらずウィキペディアがイケてない感じになっているので、自分用にまとめておくことにした。


●民族としての「スキタイ」とは?

スキタイはギリシャ人が呼んだ名前で、アッシリア人はイシュクザーヤと呼び、ペルシア人はサカと呼んだ。(ただし「サカ」は遊牧民全ての名称でもある)

紀元前7世紀~3世紀頃にかけて黒海北岸に居住していた民族名。
元々は中央アジアにいたのでは? などという説もあり、年代を遡らせている資料もあるが、それはスキタイの前身というべき集団の話。「スキタイ」という名称で認識されている民族としては、この範囲になることに注意してほしい。

そもそも単一民族ではなく、周辺の複数部族を巻き込んだ混成集団と認識すべきもので、その一部だけ取り上げてルーツがどこかの話をしても全体は見えない。(これは他の民族集団でも同じである。「民族」という概念は全て、ある時点で「人工的に作られる」ものであることを了解しておく必要がある)

なお、ヘロドトスがスキタイに興味を持った理由は、ペルシア軍を撤退させているからである。

スキタイは元々いたキンメリア人を追い出して定着するが、その後、サルマタイが東方から進出して追い出される。
スキタイは、馬を用いて遊牧をした最初の民族として言及されることが多い。

また、支配層はおそらくイラン高原の東部から来ているのではないかという研究がある。

最終的にメディア王国に追い払われたとされるが、その後の行方は不明であり、移住したか、離散して別の集団に吸収されたかしたのだと思われる。



●文化としての「スキタイ」とは?

民族としてのスキタイは狭義の意味での「スキタイ」になり、類似文化をもつ集団すべてひっくるめた表現が広義の「スキタイ」になる。
ここには複数の民族が含まれる。たとえばペルシアが「サカ人」と呼んだ人々がそうで、特定の民族というよりは遊牧民全てひっくるめた名称になっている。
文化としての「スキタイ」の場合は、スキト=シベリア文化という呼び方もされ、漢代に記録される「塞(そく)」まで含まれることがある。
サカもソクもsk音なのでおそらく同じ集団を意味している、とされてはいるが、スキ(sk)タイとぜんぶ一緒くたにするのは、中国全体を中華民族と表現してしまうくらい大雑把な分類になってしまう。


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●キンメリア人との関係

アッカド語でギミラーヤ、ヘブライ語でゴメルと呼ばれる。

スキタイが追い出した先住のキンメリア人も、起源地を同じくするイラン系の騎馬民族で、文化的に大差なかったのではと言われる。キンメリア人特有の遺跡、というものは見つかっていない。
前8世紀末から前7世紀なかばにかけてスキタイに押し出される形で南下し、各地を荒らし回った。

押し出されたあとの移動ルートの推定は以下のような感じになっている。

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スキタイとは完全な敵対ではなく、婚姻関係を結ぶなどもしており、キンメリア人が記録に出てこなくなるのはスキタイに吸収されたからではないかともされる。「スキタイ」や「サカ」は単一民族ではなく、周辺の複数部族を巻き込んだ混成集団だ、と最初に書いたのが、キンメリアと合体してもスキタイはスキタイなのである。同一の名称でも時代ごとに中身が変わっている可能性があるので、名称にこだわるより実体を考えたほうがいいのだ。


*図の出典元
スキタイ騎馬遊牧国家の歴史と考古 (ユーラシア考古学選書) - 雪嶋 宏一
スキタイ騎馬遊牧国家の歴史と考古 (ユーラシア考古学選書) - 雪嶋 宏一


以上、ざっとまとめておいた。

覚えておくべきは「狭義の」スキタイの部分で、ここがスキタイと呼ばれる集団の核心になる。

本や資料によっては、「スキタイは実は中央アジアから来ていて…」とか「スキタイ様式の遺跡はシベリアにもあって…」といった広い話が出てきて、じゃあスキタイって結局何よ? となってしまうのだが、そうした広い範囲で言及される「スキタイ」とは、「広義の」意味のほう、つまり、スキタイに類似する文化すべてをひっくるめた話をしているに過ぎない。核心部分を固定しておけば、その周辺にまつわる情報はすべて尾ひれと判断出来るので迷うことはないはずだ。