「君が代」はどうやって国歌になったのか。→「なんか気が付いたらこれになってた」という話

うちの国の国歌は、みんな知ってる「君が代」である。

この歌について、「君が代」は君主である天皇の世という意味だから民主主義に反すると言い張ったり、戦中に歌われていたから歌いたくないと主張したり、なんかめんどくさい人たちもいるのだが、この場合の「君」は呼びかけの言葉であって、天皇のことを意味しているわけではない。

…と、いうような基礎知識は雑学として持っていたものの、どういう根拠でそうなのか、真面目に研究書などを読んでみたことはなかった。というわけで、今さらのように何となく読んでみた。

君が代の歴史 (講談社学術文庫) - 山田 孝雄
君が代の歴史 (講談社学術文庫) - 山田 孝雄

著者は1875年生まれ、本が出たのは戦後10年というちょっと古い本なので、口調は当時のものになっている。
当時すでに、民主主義に反するとか国歌に相応しくないとかいう主張をする人がいたようで、やや右寄りの国学者であるらしい著者は「お前ら適当なこと言ってんじゃねぇ、もっと勉強してから言え」と熱いキレッキレの論調で研究内容を叩きつけていく。

「君が代」の歌詞は元々は和歌で、古今和歌集に登場するものが最も古いと言われるが、その当時から今の歌詞の形になっていたわけではなく、種本によって異種があること。元々は年賀の祝歌であったこと。また古今和歌集から千年以上、少しずつ形を変え、詠みかえられながら歌い継がれてきたものであることが詳しく書かれていて、なかなか面白い。というか日本ってエジプトとは別の意味で文書記録の残りがいいよなあ…と思った。千年分の歌の変化が文字で終えるんである。途中で宗教変わったり、王朝変わったり、何か革命が起きたりせずに続いてきたが故なんだろうと思う。

面白かったのは、入り豆に青のりをまぶした菓子を出された豊臣秀吉が歌人・ 幽斎に一首読めと言った時に出たものが

 君が代は 千代に八千代にさざれ石の いはほとなりて こけのむすまめ

だった、という話である。

「まで」と「豆」をかけ、苔のむす豆=青のりをかけた豆、というトンチの効いた笑い話に仕立てられている。
現代でいうパロディだが、これで大衆が笑えるほど、世に知られた歌だったと考えられる。

そうこうして明治の世に入り、西洋に倣って日本もナショナル・ソングというものを作ろう、という話になった時、この歌が候補の一つに上がった。そして明治13年には今に繋がる曲がつけられていたらしい。
しかし、当時は唯一の国歌というわけではなく、どうも他に何種類かの候補があり、特に選定などがされた記録もないのだという。人気のあるもの、覚えやすいもの、あるいは大衆に馴染みのあるものが生き残り、気が付けば、「君が代」が唯一の国歌として残されていた。

元々は国民的な歌であり、千年詠い継がれるうちに様々な異種の生じていた「君が代」の歌を一つに絞り、統一的な曲調をつけたところまでが政府の仕業であり、あとはそれを国歌として認めたのは「日本国民自身である」。これが、おそらくこの本の最も主張したいところだろう。

本の著者は明治の生まれで、君が代が国歌として認められていく時代を知っていた。
そして、これが元々国民歌であった証拠として、過去千年以上に渡って歌い継がれてきた山ほどの類似する歌が提出されている。であれば、確かに君が代は、著者の主張するとおり「国歌として相応しい」と言うしかない。

私事で言えば、私はこの国歌の歌詞が好きだ。
そもそも、ヨーロッパの国歌はどこも血なまぐさくて、戦争の歌が多い。軍隊で最初に教えるのが国歌だというのも、音楽が戦意高揚に使われていた名残だろう。そんなナショナル・ソングの世界に日本は、千年前から民衆に膾炙していた祝福の歌でしれっと入り込んだ。こんなに面白いことはない。しかも自分たちの繁栄や栄光というよりは、「君」の代、つまり他者の幸福と繁栄を願う歌なのである。

当たり前のように覚えているものだけれど、歴史や意味を辿ってみると実に深い。
たまには、自分の国について学びなおしてみるのも大事だと思うのですよ。