古代遺物の解読に纏わる「ソース」の問題点 ~後世に内容が変更されるパターンについて

古代の碑文や巻物の解読内容は、実は二次的なソースからの解読であることが多い。一次的なソースである遺物そのものを目の前に置いてあれこれ調べながら翻訳、というのは難しいからだ。ガッチリ焼成された粘土板であればそう簡単に崩れないだろうし持ち運びもしやすいだろうが、脆くなったパピルスや繊維のほつれた紙は保管のためにそうそう動からないし、はたまた神殿の壁一面に描かれた巨大な記念碑や地中深くの暗い墓の中に記された呪文など、その場所まで行って作業するのが厳しいものもある。

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そうした場合に利用されるのは以下のようなものである。

 ・写真
 ・詳細なスケッチ
 ・魚拓
 ・書き起こし文

これらは二次的なソースになる。そして二次の時点でノイズやエラーが混じってしまい、そのことにあとから気づいて解釈が変更されることが多々ある。
なので、一次ソースだと思っているものは実は一次ではなく、根本的な部分でひっくり返ることがある…という話をしたい。

例)
・メソポタミアのある遺跡から出土した粘土板の翻訳テキストをもとに研究していたが、実は粘土板の順番を間違えて翻訳されていたことが判明し、研究がぜんぶチャラに

・ある遺物をクリーニングしてみたら、それまで見えていなかった碑文や模様が浮かび上がり、実はそれまで想定されていた時代より古かったことが判明した

・100年前の不明瞭なスケッチしかなかった墓の壁画を再調査のために掘り出してみたら、スケッチが色々間違えていて、ほぼ別モノの壁画が出て来た




●写真に起きる問題

デジタル高画質の写真が手軽に撮れるようになったのはこの十五年くらいのこと、それ以前はそれほど高画質なデジタルデータを扱うことは難しく、アナログ写真しか残されていない遺物や遺跡は多い。アナトリア中央部にあるヒッタイトの遺跡などは、ヘタしたら発見当時の百年前の白黒写真しかなかったりする。

それを元に研究された内容は、当然ながら、写っていない部分や、たまたま出来てしまった影の誤認などでノイズやエラーを含みやすい。高画質の写真で撮りなおして初めて気づいた、というような発見もある。

最近ではツタンカーメンの遺物の高画質データを撮りなおして色んな発見があるが、写真を撮りなおすだけでも結構いろいろ見つかるものなのだ。


また、被写体のほうを修復することで出て来る発見もある。エジプトだと最近、エスナ神殿の壁のススをクリーニングしたら新しく読めた文章が出て来たというニュースがあった。
https://osr.org/blog/news/esna-temple-reveals-hidden-constellations/?currency=USD

というわけで、「写真で見てるんだから正しいだろう」が成り立たないのが遺物の解読なのである。


なお、紛争や風化、発掘後の保存失敗などで現物が既に存在せず、古い時代のあまり明瞭ではない写真しかこの世に残されていないため、もはや何が正しかったのか判らなくなってしまったものもあったりする。


●スケッチに起きる問題

遺物のスケッチもまた、考古学の技術の一つだ。
最近はそうでもないが、古い時代のスケッチは見る側の思い込みがかなり入っている。ギザの大スフィンクスなどはその分かりやすい例だろう。

以下の2つはわりとよく描けているほうだが、どっちも不正確。写真と見比べると…?

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また、スケッチについては意図的にそれっぽく改変されている可能性という問題もある。最近発覚したアナトリア考古学の権威の研究の問題については、以下を参照してほしい。

世界遺産チャタル・ホユック(チャタル・フユック)に関わる捏造疑惑が発覚
https://55096962.at.webry.info/201803/article_13.html


●魚拓に起きる問題

実はこれが一番、正確な記録ではないかと思っている。
中国の一部の遺物、たとえば活版のような元々印刷に使われるものや、メソポタミアの円筒印章のように粘土の上に押し付けてコロコロすると模様になるものの資料に出てくる。もちろん元の活版や印章が破損していたら、出来る模様も不完全なものになってしまうがねそうでない限り、変なノイズが入り込む可能性は少なくなるし、写真のように光の当て方で写りが変わるとか、解像度によって見えるものが異なるというような要素は少ない。

ただし、そもそもの魚拓をとる「元」の素材の向きや組み合わせを間違えていたり、不完全なのに気づかない、という可能性ある。
大きな円筒印章の上下が割れて分裂して別々の博物館にあるのに数十年後に気づいた、というようなケースを一度どこかで見た覚えがある。


●書き起こし文に起きる問題

これは、大元の遺物から書き写したテキストという意味で、世の中に出回っている多くの資料がこれになる。
大抵の研究者はこれを元に研究するわけだが、しかし、これは実は大抵、三次以上の加工された資料になる。

たとえば「死者の書」の英訳の場合、大元のパピルスが一次資料、それの写真が二次資料、そこからヒエログリフを読み取ってテキストに起こしたものが三次資料となり、その内容を解釈して現代語に直したものが四次資料。

この作業の途中のどこかでノイズやエラーが発生している可能性は常にある。

大元のパピルスが欠けていたり、修復ミスがあるかもしれないし、写真の時点で写し漏れがあるかもしれない。しかし一番議論があるのが、写真からテキストに起こす部分だと思う。字が汚いとか掠れているとか、複数の意味に解釈できるとかで、どう読むか研究者によって異なるのだ。大元のパピルスは同じなのに、復元されたテキストが研究者によって違うことはわりとザラにある。そうなると、最終的に出来上がる訳文も違ってくるわけだ。

これが、古代の碑文や文書の翻訳をたどる上でとても厄介な問題になる。
「正しい内容」が一つではないのだ。
そして時には、大元からの解釈が何通りにも別れ、議論になってしまうこともある。

たとえば「テル・ダン・ステラ」と呼ばれる碑文は、同じテキストをめぐって全く正反対の読み方をする学者がおり、結論が出ていない。

テル・ダン・ステラとダビデの実在の研究/同じ史料なのに見方が正反対…
https://55096962.at.webry.info/201510/article_6.html



幾つか例を上げながらこまごまと書いてみたが、要するに言いたいことは、「一次ソースまで辿って細かく見ていくほど、何が正しいのかは見えなくなる」ということだ。
また、古代のテキストの解読内容は、現時点での主流のようなものはあっても、後世に解釈が変わってしまうことは在り得る。さすがに全く異なる内容にガラリと変化することは無いにしても、細かいディティールは研究が進めば変化する、と思っていたほうがいいかもしれない。(実際、古代エジプトのテキストの解釈はこの100年で相当変わっている。ギルガメシュがギルガメシュと読まれるようになったのも、そんなに昔のことではない)

研究する対象は変化しない古代のものなのに、そこから出て来る結論は少しずつ変化する、という、案外厄介なジャンルなのである。