エジプト~ヒジャーズ(アラビア半島の紅海沿岸部)の海上交易路とハウラー遺跡の情報

コロナのご時世で、発掘報告会もリモート聴講できるいい時代になり申した。
東京まで出て行かなくて済むのでめっちゃ楽。今なら報告資料もPDFでダウンロードできるぞ。日本の発掘隊ってこんな感じのことしてるんだー、みたいなのが分かるよ。
http://jswaa.org/meetings_all/session/

さて聴講してた中で、ハウラー遺跡の話が出て来てたので、ちょっとタイムリーだなと思って拾っておく。
ハウラーというのは、こないだ調べていた、エリュトラー海(紅海~インド洋にかけての古名称)の海上貿易の中で、エジプトからアラビア半島に渡る航路のアラビア半島側の玄関口のひとつ。

全体の地図などはひとつ前の記事を参照。
拡大図でハウラーはこのあたり。

ha.jpg

紀元後1世紀、ヘレニズムの時代にエジプトからエチオピアへ輸出されていたもの。
https://55096962.at.webry.info/202103/article_18.html

ギリシャ人がレウケー・コーメーと呼んだ土地がどこだったかについては諸説があるが、エジプト側のミュオス・ホルモスのほぼ対岸にある場所で、現在はハウラーが最も有力視されている説になる。ここはイスラム支配の時代になってもエジプト側からメッカに向かう巡礼者を受け入れるために使われ続けた港。なのでエジプト側とセットで、海を挟んでやりとりされた人や物資、文化を知ることが出来る大変ありがたいポイントになる。

今回の発掘資料がこれで
http://jswaa.org/wp/wp-content/uploads/2021/03/AME28P101-104Hasegawa.pdf

過去のものがこのあたり
https://www.jstage.jst.go.jp/article/rssj/39/5/39_405/_pdf

エジプトとアラビア半島の繋がり、というと、どうしてもシナイ半島経由の陸路をイメージしがちになってしまう。
でも実際は、十字軍が到来するあたりまでは、紅海を横切っての海路も存在した。そしてメッカ巡礼にいくなら海上ルートのほうが行きやすかったはずだ。
ハウラー(かつてのレウケー・コーメー)から対岸のミュオス・ホルモスに渡ると、そこからは上エジプトのコプトスへと街道が通じている。イスラム教的な文化の流れは、上エジプトにも直接通じていた、ということになるんじゃないかと思う。

サウジアラビアは最近まであまり外国の調査隊を入れてなかったので、エジプト側に比べて資料が少ないんですよね…
これから増えて行けば、古代から中世にかけての紅海海路が明らかになっていくのかも。