シリア戦争と貿易港の運命: プトレマイオス朝エジプトの政策の転換期

こないだ、エジプト紅海沿岸の港ベレニケについて調べていた時に、この港がアフリカ南部からゾウの輸入を止めた理由が「シリア戦争であんまり役にたたなかったからではないか」という話が出て来て、ほほう、そこ繋がるのかー。という感じだったのでちょっとメもしておく。

前回調べてたやつ→
ローマ支配時代のエジプト沿岸の街ベレニケと古代のペット事情/なぜ大量の猫がそこで飼われていたのか
https://55096962.at.webry.info/202103/article_10.html

この港が使われはじめた初期の頃の遺物としてゾウの骨が出ている、と書いたのだが、その当時のエジプトは、セレウコス朝シリアのゾウ騎兵と戦わせるために、自分たちもゾウを必要としていたようなのだ。しかし、輸入していたのはアフリカゾウの中でも、身体の小さいマルミミゾウのほうだった。対してシリア側はインドゾウを持って来た。

●インドゾウ

アフリカに暮らすサバンナゾウよりは小さいが、マルミミゾウよりは一回り以上大きい。

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●マルミミゾウ

森林に暮らすゾウ、現生するゾウの中ではいちばん小さい種類。
現在は絶滅危惧種だが、2000年前には紅海沿岸近くまで棲息していたと考えられる。
温厚な性格で労役向きなので、アクスム王国の巨大石柱を建てるのにも使ったのでは、という説がある。

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エジプト軍のゾウ騎兵は温厚なマルミミゾウで揃えてしまったので、そりゃあ向かんかったわな…という感じ。第四次シリア戦争(前219~217年)のうち、前217年ラフィアの会戦でゾウたちは敵前逃亡してしまい、全く役に立たず。
戦争自体はエジプト側が完全勝利に近い勝利を収めたものの、結局、プトレマイオス朝エジプトは戦ゾウの運用を諦め、港はその後、ゾウ以外の交易品を取り扱うほうにシフトしていったのだという。

なお、プトレマイオス朝の王たちに命じられてゾウ狩りに出た部隊は、アフリカだけでなくアラビア半島側でもゾウを探していた可能性があるという。(ストラボン「地誌」のゾウ狩り部隊が名付けたという地名一覧から)


プトレマイオス朝エジプトが航海に港を築いた最初の理由が軍備増強のためというのはなるほどと思ったし、ゾウ欲しさにあちこち人をやって地理的な知見を広めたり交易路を開拓したりしてたのも納得だ。ゾウが扱われなくなったあとも、その知識や交易路を使ってべっこうや香料、貴石などをやりとりし、アラビア半島を越えてインドまで海路を開拓していくという流れも面白い。歴史の断片が実は繋がってたと分かる瞬間が楽しいんだよね。


なお第六次まで殴り合ってたシリアとエジプト、資金と兵力を無駄遣いしすぎたらしく、その後、ローマが台頭してきてどっちも支配されてしまい、せっかく拓いた交易路もローマのものになってしまうのであった。歴史は無常なり。


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なお、シリア戦争でもしサバンナゾウを連れてきていたら…だが、たぶんそれでも勝てなかったと思う。
気性が荒くてそもそも戦場に連れていけなかったのではないかと思うのだ。

ウマと同じく、ゾウも、飼育や調教に技術のいる生き物だ。それに力もちだが繊細で、頭がよいぶん無理やりいうことをきかせることが難しい。捕まえてきたからといって、そう簡単に使いこなせるものではない。ゾウ騎兵にゾウで対抗しようとするのは最初から無理な話だったと思う。

ただ、その無駄と無理が、紅海からアフリカ南部やインドへの航路を確立する下地となったと言っていいと思う。