イラクに住むクルド人たちの直近の歴史と状況について。「クルド人 国なき民族の年代記」

世界最大の「国なき民族」と言われるクルド人についての、わりと分かりやすい本を見つけたので読んでみた。

この本は主に、イラク側に住むクルド人とクルド人自治区について取材している。ちなみにクルド人が暮らす領域はトルコやイラン、シリア、アルメニアなど近隣の国のあちこちに分散しており、さらにヨーロッパやアメリカなどに亡命・移住した人たちもいる。日本にもクルド人社会があることは、最近のデモ活動などでも少し報道されたとおりだ。

クルド人 国なき民族の年代記――老作家と息子が生きた時代 - 福島 利之
クルド人 国なき民族の年代記――老作家と息子が生きた時代 - 福島 利之

直接取材に行ったというだけあって、かなり詳細で現実感のある内容になっている。それだけにちょっと重たい。考えさせられる、というよりは、現実の厳しさに考え込んでしまうという感じだ。
クルド人とは何か、どうして国を持てないのか、など概要を知ることはもちろん出来るが、それ以上に、「国を持つとはどういうことなのか」についていろんなことを思ってしまった。

彼らは国を持ちたがっている。が、持てない。
それは周辺諸国がこぞって彼らを体よく利用しようとしてきたからでもあるが、そもそもクルド人という単一民族は実は存在しておらず、概念としての「クルド」が先行している状態で、実際は言語も文化も、宗教も、かなり異なる寄せ集めだから、というところに行きつくと思う。

クルド人は元より、"山の民族"なのだ。険しい山々によって住処が隔てられ、一族や部族ごとの社会に分かれている。そして伝統に生き、保守的でもある。それらを統一するには、まず民族概念の創出から初めなければならない。でなければ、外敵がいるうちは「国を持ちたい」という一つの目標に向かって協力しあっていても、外敵がいなくなったとたん、内紛を引き起こすからだ。歴史の中で繰り返されてきたことだ。

この本の中には、そうしたクルド人同士の衝突の話もあれば、かつてのイラクの独裁者、フセイン政権下での暮らしについての話もあり、近年の経済発展による変化の話も出て来る。

しかし一番痛いなと思ったのは、クルド人側に立って見た時の国際社会の冷淡さについての記述だった。
フセイン政権がいくらクルド人を迫害しようとも、国際社会は関心を示さなかった。ソ連もイランもアメリカも、リップサービスだけして積極的な介入しなかった。

同じような状況は、実は最近のシリア内戦でも続いている。
以下の記事を参照してほしい。シリアでアサド政権と戦うために駆り出されたクルド人勢力が、途中でアメリカからはしごを外されて「見捨てられ」た、という話。フセイン政権下やイランに対する防波堤としてだけではない、最近では体よくISと戦うための手駒としても使い捨てられている。どこの国も、クルド人をいいように盾に使うことしか考えていないのだ。

トルコ軍のシリア侵攻:アメリカはクルド人を見捨てたのか?
https://news.yahoo.co.jp/byline/takaokayutaka/20191011-00146284/

国なき民族の悲哀、と言ってしまうのは簡単なのだが、そこには、大国に頼らざるを得ない、或いは頼る相手を選べない悲しい現実があるように思われる。

果たして彼らにとって、「国を持つ」ということは本当に最善の未来なのだろうか。
国を作ったところで、今のまま利用され続けるだけならば、大国の利益のために国造りを許可されるような羽目になり、生まれながらの属国になってしまうのでは、という気がする。それは今までとは別の悲劇しか生まないような気もするのだが…。


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なお、トルコ側に住むクルド人の事情については、以下の本をオススメしておきたい。
ザザ語を話すクルド人の話が多く出てくる。

漂流するトルコ―続「トルコのもう一つの顔」 - 小島 剛一
漂流するトルコ―続「トルコのもう一つの顔」 - 小島 剛一