「シュメール人が学校の先生に賄賂を贈ったことがある」という話の出所を確認してみた。

以前、古代エジプト人は近頃の若い者は、という話を書いていないよ。という記事を書いた。
https://55096962.at.webry.info/201410/article_17.html

古代エジプトで残っている古い文書は大半が宗教文書や行政文書なので、そもそもそんな個人的な内容を書いてあるものがほとんど無いのだ。紀元前1000年以前だと私的な文書はほとんどない。なので出所を絞って可能性を検討することが出来る。
ただ、その時に、「エジプトには無くても、シュメール人は学校の先生に賄賂送ったとかしょうもない内容を書き残していたはず」という話をしている人がいたことが引っかかっていた。

エジプト同様、シュメールでも、残っている古い文書のほとんど全部が宗教か行政に関わるものだ。
そして私の記憶では、書記学校の記録は紀元前2000年以降でないと見つかっていないはずだった。

と、いうわけで、その話の出所を探しにいってきた。

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結論から書いておこう。

シュメール人は、学校の先生に賄賂を贈った話は書いていない。
それを書き残したのは、古典語としてシュメール語を習っていた古バビロニア時代の人である。
ただし、書かれた言語はシュメール語である。


ややこしい話だが、順を追っていこう。



まず、この話の出所がシュメール人の手によるシュメール時代の作品ではなく古バビロニア時代のバビロニア人だということ。これは確定している。

おそらく勘違いの一部は、wikipediaにページのあるこのへんに起因していると思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E6%99%82%E4%BB%A3

出典としてはこれで正しい。載っていた本が中公新書の「シュメル」なのでシュメール時代の話だと思ってしまったのかもしれないが、実はこの箇所、元の本を読むとこう書いてある。

"学校についての詳しい情報は前3000年紀のシュメル人が活躍していた時代からではなく、前2000年紀前半の古バビロニア時代の記録から得ることができる。"


そう、シュメール時代には学校の記録は、まだ無いのだ。
ここからあとの学校についての記述は、シュメールではなくバビロニア時代の話になっている。


ここで補足を入れると、メソポタミア文明とシュメール文明は同義語ではない。メソポタミア文明の中でも、南部の最初期の文明がシュメールなのだ。
ざっくり分けるとメソポタミアの歴史の中でも紀元前2000年より以前がシュメール、以降はバビロニアと時代が区分される。これは、紀元前2000年頃を境にして、シュメール人は歴史の表舞台から姿を消し、次第にアッカド人など他部族に吸収されていき、言語としても消えてしまうからだ。

問題となった書記学校の学生さんも、古典語としてシュメール語を学んでいるが、その読み書きが拙く、先生に叱られている。先生は「お前はシュメール語がヘタだ、まるでアッカド語を喋っているようではないか」と生徒を叱咤するが、これは既にシュメール語が日常では使われなくなっているから。英語に対するラテン語とか、現代日本語に対する古文の授業とか、そういう雰囲気だろうか。

[>詳細情報
メソポタミア=シュメール ではない。シュメール、アッカド、アッシリア、バビロニア、違いをまとめた。
https://55096962.at.webry.info/201506/article_12.html


次に、「シュメル」に乗っている古バビロニア時代の記録、「学校時代」とは、どこで発見された、どういう内容なのか見てみよう。
まず、テキストの英訳はこちらだ。
https://cdli.ucla.edu/search/search_results.php?SearchMode=Text&requestFrom=Search&PrimaryPublication=&Author=&PublicationDate=&SecondaryPublication=&Collection=&AccessionNumber=&MuseumNumber=&order=MuseumNumber&Provenience=&ExcavationNumber=&Period=&DatesReferenced=&ObjectType=&ObjectRemarks=&Material=&TextSearch=&Language=&Genre=&SubGenre=&CompositeNumber=Q000754&SealID=&ObjectID=&ATFSource=&CatalogueSource=&TranslationSource=

CDLI Literary 000754 (Edubba A) 、別名schooldaysというのがテキストの名前。(スクールデイズ というタイトルに不穏な雰囲気を覚えなくてもいい。大丈夫。ラブコメとか三角関係と斬首とかそういう話出てこないから…。)
Eddubba エドゥバ とは、シュメール語で学校を意味する言葉で、「粘土板の家」と訳されることが多い。

このテキストの前半は、生徒が日々、学校でどんなことをしたか、という話。
後半は、成績の良くない生徒の父が、先生を家に招待し、「丸めこんで」、書記の女神ニサバの祝福を得た、というような内容になっている。意味するところはおそらく、成績を上げてもらったか、なんとか及第点をもらって進級できた、というような内容だろう。

以下に行を抜粋して訳を載せておく。(一行目が原語の発音、二行目が英訳。先頭の数字が行数)

 52. um-mi-a e2-dub-ba-a-ta lu2 im-ma-da-an-ri
 the teacher from school was brought round;

 63. kasz saga-gin7 i3 ir-da de2-mu-na-ni-ib banszur gub-mu-na-ab
 like good beer, oil and fragrances for him pour, the table set out for him;

 68. tug2 mu-ni-mu2 nig2 mu-na-an-ba har szu-na bi2-in-du3
 with a garment he clad, a gift he gave him, a ring on his hand he put.

 85. um-mi-a-ba nig2 ad-da-za-gin7 sud3 x-sza4-sza4
 your teacher, as if your own father, will bless you;

発見された場所は、古代都市ニップル(Nippur)の書記学校または教育関連施設と思しき場所。
https://www.cairn.info/revue-d-assyriologie-2001-1-page-39.htm#no11

この粘土板は、シカゴ・フィラデルフィア大学の探検隊によって1951~52年に発見された1万5千万枚のうちの一枚で、紀元前1740年代(サムスイルナ王の初期治世)のものだという。枚数がめちゃくちゃ多いが、楔形文字の粘土板はだいたい纏めて数万枚見つかるものなので、こんなものだ。解読も大変だしカタログを探すだけで膨大な作業になる。インターネットで検索できる時代になって良かった。

このページを見ると、大元のソースでも「古バビロニアの石板」と分類されていることが判るだろう。
シュメール人じゃないのだ。バビロニアなのだ。ここ大事。


ただ、もう一度の繰り返しとなるが、書かれた時代は確かにバビロニアなのだが、書いている言語はシュメール語なのである。
これはおそらく、このテキスト自体がシュメール語を教えている学校での書き方練習に使われたものだからだと思われる。この遺跡で見つかっている粘土板の多くが、半分に分けて片方が先生のお手本、もう半分に生徒が真似して書いている、というような形式になっていることからして、教材の一部だったのかもしれない。

そしてもう一つ気にしておくべきことは、もしこの粘土板が見つかったニップルのこの遺跡が学校だったなら、粘土板の中に書かれているような学校の形式になっていない、ということだ。
粘土板の中にシュメール語で書かれたテキストは、シュメール時代の、つまり千年前の書記学校の風景を記した「古典文学」の一部で、粘土板自体が書かれたバビロニア時代の話ではなく、もっと昔の話なのでないかという推測が成り立つ。
だから最初に挙げた中公新書の「シュメル」では、この粘土板の内容を取り上げて「シュメルの時代もこうだったのかもしれない」という書き方をしている。

ただ、シュメール時代の学校は見つかっておらず、同時代に書かれた記録も無いから、実際どうだったのかは分からないのだ。



というわけで、最初に書いたとおり、結論としては

「その話を書いたのはバビロニア人で時代も古バビロニアだが、使った言語は古典語であるシュメール語。なのでシュメール人ではない。」

と、なる。
シュメール人が言ったわけではないし、書いたものでもない。確実に言えるのは、バビロニア時代の人がシュメール語でこの話を書いていた、というところまでだ。
推測を重ねて話を持っていこうとすれば、"もしかしたら一部シュメール時代から伝わる話かもしれない" と想像することくらいは出来そうだが…。


なお、このバビロニアの粘土板は、日記などではなく「文学作品」というジャンルになっている。実際に成績の悪い生徒の親が先生を歓待した記録ではない。文学作品である以上、ある程度の脚色が混じっていると見做すべきだと私は思う。日本の現代文学でしょっちゅう出て来る、"絶大な権力を誇る"生徒会なんて、現実の学校では滅多に見かけない。それと同じだ。

シュメール人の文学はわりとお堅く、そっけない感じで、シュメール人の残した話を盛り盛りにして魔改造するのがバビロニア人の特性である。そのあたりも加味して、各自、真実を考慮してもらいたいものである。

[>参考
ギルガメッシュ叙事詩を改めて読み比べしたらバビロニア語版だけおかしい気がして来た
https://55096962.at.webry.info/201510/article_11.html