エルナン・コルテスによるアステカ征服からちょうど500年が経ちました。

言い換えればアステカ滅亡から500年。コルテスによるテノチティトラン陥落は1521年。というわけで、メキシコさんが色々記念イベントを開いていて、オンライン講演会もあったりでちょっと覗いてみた。

オンライン講演会「アステカ王国の終焉から500周年を迎えて: メキシコを征服したのはだれか?」(講師:井上幸孝 教授)
https://www.youtube.com/watch?v=wZJMlGRkeos&feature=youtu.be

メキシコ大使館協賛、1時間20分という長丁場ながらかなり濃厚で、最後の質疑応答も「うーんその質問来るか…!」みたいな唸らされる感じのが出て来るのでアステカ初心者にもお勧め。
なお、ガチの初心者は、手前味噌だが最初に以下をおさえておくと分かりやすい。

マヤとアステカとインカの違い/地域・時代・内容
http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/2goukan/ohter/maya/pre2.htm

マヤ、アステカ → 中米の文化の一つ 中米(メソアメリカ)文明
スペイン人コルテスによって征服される

インカ → 南米の文化の一つ アンデス文明
スペイン人ピサロによって征服される

今回の講演のポイントとなっているのは、コルテスによるアステカ征服は西洋文化が優れていて現地の人が無知だったから、というような単純な話ではない、という、ここ10年くらいの間に主流になった説だ。コルテスがやって来た時、テノチティトランの王が諸手を上げて神として迎え入れた、というようなお伽噺的な伝説は、今では信じられていない。

当時のアステカは複数の都市国家が覇権を争いあっており、その中で上位にあったテノチティトランに対し、下位の従属都市国家がスペイン人の手を借りて反逆した、というのが現在の定説である。

これはアステカより前に繁栄して先に衰退したマヤ文明の都市国家と同じ構造。この地域の伝統や特色とも一致するシナリオとなっている。

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これらは、スペインによる征服後に協力者たちがそこそこ恩恵を得ていたことなど、事後の研究から明らかにされている部分も大きい。
ただし、恩恵を被った協力勢力たちも、その後、スペイン人の持ち込んだ天然痘などの疫病でバタバタ死んでいってしまう。正直、武力による虐殺というよりは病気持ち込んだことによる二次被害のほうが甚大だった。
これについては、実際に数字で見てみるとより理解できると思う。以下は以前調べた資料。

スペイン人の南米開拓時における人口減少の資料その2
https://55096962.at.webry.info/200909/article_5.html

メキシコ高原の人口は、最初の数十年でもの凄い勢いで減っている。死亡しただけでなく移住の可能性もあるが、それにしても1/10まで一気に減るのは尋常ではない。

 1518年 25.2万人(推定)
 1532年 16.8万人(推定)
 1548年 3.6~6.3万人

あまりに人が減りすぎたので、このあと奴隷が持ち込まれて今のメキシコの原型が成立していく。
なお、コルテスの時代に既にアフリカ系奴隷が持ち込まれていたと、最近の研究で読んだ覚えがあるので、以下を参考までに。メキシコが混血の国と言われるゆえんである。

https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2021/01/spanish-conquistadors-massacred-women.html

と、いうわけなので、アステカ人がなすすべなく短期間でスペイン人にしてやられた、というような説は今はもう古い。
アステカは、現地人の思惑とスペインの侵略者たちの思惑が組み合わさって滅びた。そしてそのあと疫病などで大量の人が減り、スペイン人の支配が確立していった。現地住民は一方的な被害者ではない、ということだ。

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ただ、メキシコの現在の大統領は、スペインに対して被害者の立場で物言いをつけるパフォーマンスを繰り返しているので、どういう考えなのかちょっと微妙…。なぜかローマ教皇にも謝罪要求出してたりする。500周年で和解プロセスをどうこうみたいな話も聞いたけど、そもそもスペインさんもう500年も昔の話とか過去の歴史としか思ってないんじゃ。


メキシコ大統領「スペイン国王は謝罪を」、侵略5百年で
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42961770X20C19A3000000/


あと、この件と絡んで最後の質問タイムに出て来る「ペルーではピサロの像を見かけるのにメキシコではコルテスを見ることがないのは何故か」という鋭い質問も出ていた。それは私も思ってたw 自分は、あれは、メキシコの現在の主要な街の多くがかつてのアステカ時代の街をそまま流用しているせいだと思ってる。アステカの主要都市は山の上で、現在のペルーの主要都市は海際の、完全に移民に作られた街が多いから、像建てるのにそれほど反対もされずに通ったんじゃないかなと。

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10年くらい前には謎の古代文明だの古代ロマンだの適当なこと言われていたアステカも、こうして大航海時代の歴史の一部として世界史に組み込まれ、認識されるようになった。いつまでも一昔前の古い常識や定説で止まっていてもつまらない。たとえ大衆むけバラエティであっても、まずここからスタートするくらいにはなって欲しいなぁと思ったりしたのだった。