幻のロバ、アドベスラを追うフィールドワーク「野生馬を追う」

タイトルは「馬」で章立ても馬が起点となっているが、本題というかメインとなっているのはロバ。それも、インドに住むインドノロバと、飼育ロバとの間の第一世代交雑種である「アドベスラ」がメインになっている。今でこそインドについての本にたまに出て来るこの名前だが、現地での呼び名であるこの言葉を探り当てたのは、どうやらこの本の著者らしい。つまり本の中の研究が行われている20年ほど前には、まだアドベスラという存在はこの名前では知られていなかったのかもしれない。

野生馬を追う―ウマのフィールド・サイエンス - 木村 李花子
野生馬を追う―ウマのフィールド・サイエンス - 木村 李花子

ウマの仲間の「あいのこ」といえば、馬とロバの交雑種もあるのだが、アドベスラというのは、野生ロバのオスと飼育ロバのメス、という組み合わせのみを指す。この交雑ロバは、雨期に人に慣れたメスのロバを野生ロバのいるフィールドに放っておき、雨期明けに回収すると野生ロバの子を身ごもっている、というシステムによって、あまり労力をかけずに作り出される。また野生ロバの集団に飼育ロバの遺伝子を混ぜて絶滅させてしまうこともない、安全で継続可能なロバの生産方法とも言える。

交雑によって生まれたロバに生殖能力は無く、一世代限りの種になってしまうのだが、オス・メスとも毛色が美しく、飼育ロバよりも美しい。ただし野生種の特徴を強く引き継いで、人に慣れづらく、気性が荒い。また、「一人の主人しか持たない」という神話じみた逸話があり、著者が飼ってみたアドベスラも、実際に特定の人間にしか馴れなかったという。

このアドベスラを作る技術を持っているのは遊牧民たちで、彼らが住んでいるのはインドのカッチ湿原のあたりだ。
雨期に湿原の中の丘に野生ロバが閉じ込められ、天然の牧場のようになる。そのため、家畜ロバをそこに離して交雑種を作るのにちようどいい。
カッチ湿原はちょうどインダス文明の栄えた場所で、そのため、この「ロバづくり」の営みは、もしかしたら何千年も前から行われていたかもしれないとインダス文明本で話題になることもある。少なくとも、交雑によって望みの形質を持つ家畜を作り出す技術は、人類が家畜を飼い始めた頃からあったはずなのだ。それは、ウシの飼育技術を見ていると判る。

しかし一つ不思議だなと思ったのは、現在の飼育ロバはアフリカノロバが起源とされていることだ。(アフリカノロバの野生種は絶滅してしまった)
アフリカから連れて来られたロバは、一体いつインドに定着したのだろう。それについては本の中でも言及されていなかった。

最近の研究で、インドからコブウシが西アジアに持ち込まれたというものがあったので、もしかしたらその逆のルートでロバがインドに持ち込まれたのかもしれないな…と思った。

[>この研究
来年は丑年なので… 古代牛のDNA最新研究を探してみた。今や時代はここまで来ていた
https://55096962.at.webry.info/202012/article_11.html


ロバ以外のウマとシマウマの部分については、ロバ飼育の前段となっている。
ウマは北海道の馬生産、およびセーブル島というところで再野生化した馬の話だ。馬をいかに管理し、「生産」するか。人が過去、馬を何に使って来たか。馬は裕福な人の使役動物であり、貧しい人々はロバを使う、という話も出て来た。

また馬は、群れ、つまり社会を作る動物でもある。メスを囲い込みハレムを作った雄がどのような行動をとるか。群れの中での順列やコミュニケーションの取り方。これはシマウマでも群れをつくる種ではよく似ているようだ。

しかしシマウマの中には群れを作らず、単独で縄張りを持って暮らすものもいる。インドの野生ロバも群れを作らず縄張りで暮らすようなので、行動パターンは縄張り型に似ている。身近な動物ではあるものの、案外知らないことも多いものだ。

生きた馬の観察から見えて来るものは、かつて人間がどのように彼らと接触し、どのように飼育化していったのか、という足取りの想定だ。
人は馬より先にロバを飼育化した。おそらく最初に触れた野生種は、アドベスラのように気性の激しいものだっただろう。それを長い時間かけて飼いならしていったものが今の大人しい飼育種になる。
馬は群れ社会を作る生き物なので、群れごと囲い込まなければおそらく飼育が難しい。メスと幼い子供からなる集団を囲い込んでおいて、インドのアドベスラの作り方と同じように、外からやってきた雄に種付けさせることを繰り返していけば、おそらくそれなりに家畜の数を揃えられる。

このあたりは、遺跡から出て来たものを机上の空論で考えててもたぶん、何も見えない。フィールドワークと組み合わせるこうが有効な分野だと思う。


それにしても、この本から出てから十年以上が経過した今、インドのロバ生産はどうなっているのだろうなぁ…と、ちょっと心配になった。
かつてはエジプトでもロバが貧しい人たちの足だったのだが、いつの間にかバイクのほうが一般的になり、ロバたちは姿を消してしまった。つまりは、生産されなくなったのである。
おそらくインドでも似たことが起きていると思う。田舎に行かなければ伝統的に飼育されてきたロバを見かけない、あるいは趣味でしかロバを飼わない。そんな時代になっているのではないだろうか。いつか、アドベスラについての知識も薄れて無くなってしまうのか、もしかすると野生ロバのほうが先にいなくなってしまうのでは、と思うと、ちょっと心配にもなったのだった。