硬派な出版社なのにオカルト入り…これが日本の考古学会の現状なの…「ヒトはなぜ海を越えたのか」

硬派な出版社だしタイトルからしても普通っぽいのに、パラ見した時に「ん…?」みたいなのがあったのでとりあえず前から順番に読んでみた。
結論から言うと、これは一般人はあまり読んではいけない。複数人で書いているのだが、中にオカルトの人が混じっている。ヤベェ話をヤベェと嗅ぎつけられる人向けの本だが、そこまでして読める部分だけ読むなら、個別に参加している学者の本や論文を探したほうがいい。

よく判らないコンセプトの本である…。

ヒトはなぜ海を越えたのか オセアニア考古学の挑戦 - 秋道 智彌, 印東 道子
ヒトはなぜ海を越えたのか オセアニア考古学の挑戦 - 秋道 智彌, 印東 道子

さてこの本、サブタイトルに「オセアニア考古学の挑戦」と書かれているが、本当のサブタイトルは「篠遠喜彦という考古学者の思い出」である。

考古学の世界は10年もあれば常識が変わる。にも拘わらず、かつて世界的に有名だった(?)と思われるこり学者が提唱した半世紀前も前の説をわざわざ紹介していたりするので、今となってはもう古くてどうしようもない部分が結構ある。
また、同時代のトール・ヘイエルダールの話なども出て来るので、考古学史に興味のある人ならともかく、最新の話を知りたい人には意味がない部分が1/3くらい。というか私も特にこの学者の人に興味ないので、ふーんという感じでパラ読みしていた。土器がないオセアニアの島で、釣り針の形状をもとに編年表を作ろうとしたのは面白い試みだなとは思ったけれど…。

で、残りのうち1/3くらいが「読める」部分、残り1/3がオカルトと「読めない」部分である。

読めない部分は、いきなり「ポリネシア人はアジア人なり」からスタートし、「巨人タイプが多い」などと書いてある、これただの日記じゃね? 大学紀要の感覚で書いてない?? みたいなちょっとヤバめのやつである。どこがマズいかというと、アジアという区分を適用するのが妥当とは思われない時代の話に、何の注釈もなく無意識に「アジア人」というふわっとした定義を使ってしまっているとか、「巨人タイプがあるなら他のタイプは何なのか。またその区分は何を基準とするのか」といった説明が何もないところだ。周囲が使っている言葉をなんとなく使って判ってるフリをしていると、こういうことが起きる…。

太平洋に広がっていく人々の使っていた言語の大元と考えられるオーストロネシア祖語だって、別に台湾が発祥の地ではなく、現在に残っている言語の中で源流に近かったのが、台湾先住民の言語ってだけなので、別にポリネシア人は台湾から出発して海に広がったわけでもない。
とか、根本的なところをいちいちツッコむのも面倒くさいし、読むのが無駄なので「読めない」。

オカルトの部分はもう読むに堪えないというか初っ端から笑うしかない内容で、「カヌー文化の発祥は日本にあるのは確かである」とか書いてて、その根拠が記紀に書かれた軽野(カノー)という船だと大真面目に言うのだからお茶吹くしかない。「キリストの墓が日本にあるのは確か、戸来村とはヘブライ村だ」とか言ってるのと同レベルっすよ。こんなの混ぜて本出す時点で誰も何もツッコまかったのか…。


この本を書いている人たちは、どうも篠遠さんという学者つながりで集められた人たちみたいで、レベル感にも知識や研究内容にしても、相当なバラつきがある。
というか二人いる編者の片方は、例の航海実験と称したバラエティを学術的に意味があると言ってた人なので、なんかそこでノイズが入ったんじゃないかという気もする…。

巻末に著者一覧はいちおう載っていて、学者なのかそうじゃないのかは何となく振り分けられるものの、肩書と内容のレベル感は必ずしも一致しておらず、妙なお気持ちコラムを書いてしまっている本職の人もいる。


ちなみに、「縄文土器がヴァヌアツにあった」という話を書いている箇所で出て来る芹沢長介という学者は、前期旧石器捏造事件(いわゆるゴッドハンド事件)で、捏造された石器を見抜けず、積極的に肯定し続けた戦犯の筆頭である。(この本では全く触れていないが)
要するに石器の見分け方を何も知らない失格の専門家だったわけで、その人を根拠に持ってこようとするのは逆効果というか、何というか。記憶喪失か何かなのでは…。
案の定、ヴァヌアツに縄文土器は無くて、あとから史料が混入しただけというショボすぎる結論になるのだが、日本人の祖先は大航海をしていたはずだ! みたいな思い込みや、理論ではなく海へのロマンだけで動こうとした学問とは言い難い考古学の一端が垣間見えて頭を抱える。ていうか、旧石器捏造事件の多くも結局は「あとから史料が混在しただけ」だったのだ。古い地層に紛れ込んだ新しい時代の石器をそうだと見ぬくことも出来なかった、老害化してしまった専門家が、ありもしない幻の旧石器時代を作り出していた。

この本では、いまだ反省することもなく、路線を変更することもない旧時代の考え方のままの日本の考古学会の暗部を行間に見ることが出来る。その意味では私には楽しかったが、人にお勧めすることはないだろう。

怖い物見たさの人であれば、図書館あたりで探してみてください。