第18~19王朝、王宮の中の「外国人嫁」たち~そういや彼女たちってどこ行ったんだろう、、、

ミタンニは紀元前15世紀くらいにシリアとトルコの間あたりでブイブイ言わせていたフリ人の国だ。一時期は大国だったのだが、お隣ヒッタイトとの戦争で負けて結局、約100年くらいで滅びてしまう。しかしその前に、エジプト第18王朝の何人かの王たちがミタンニから嫁を貰っている。ミタンニとしては、ヒッタイトとエジプト両方を敵に回すより、エジプトとは同盟関係にあったほうが得策と踏んだと思われる。

で、ちょっと調べものをしていてふと思ったのだが、ミタンニから来た嫁さんってどこいったんだろうな…と。


●ミタンニから嫁をもらった人

 アメンホテプ2世
 トトメス4世
 アメンホテプ3世
 アクエンアテン

この四人。アクエンアテンの代にはミタンニは衰退してしまう。

王の正妃であったティイやネフェルティティまでミタンニ人の外来嫁にしてしまっている説を出して来る人もいるが、そのような証拠はない。また外来嫁だった場合は政治的な基盤がエジプト国内に弱いため、この王朝の時代の女性たちの強さ・権力の保持とはそぐわない。家族ぐるみで王家に食い込んだ一族の全てが元外国人という設定をするには、王朝の首都がナイル上流と遠すぎ & 母国ミタンニとエジプトの間に小国が一杯あって距離的にも遠すぎ、という問題もある。(すぐ隣が母国でエジプトより大国だったりすると話は別なのだが…。)

ついでに、他の国から嫁さんを貰った証拠のある人も上げてみる。


●バビロンから嫁を貰った人

 アメンホテプ3世


またずいぶん遠くから…という感じだ。
しかしさすがに、この時だけの模様。


●ヒッタイトから嫁を貰った人

 ラメセス2世

ヒッタイトとの間に和平条約が結ばれて以降に貰っている。


外国女性たちの足取りは嫁いできたあとに消えてしまうが、それはエジプト風の名前を与えられたためとされている。しかし、下位の王妃たちの誰が元・外国人だったのかは分からない。または、記録に残されていない人もいるかもしれない。

即位している王たちの中で、外国人の母から生まれたとする証拠がはっきりしている人はいない。というか第19王朝になると、王たち自身が「400年前にエジプトに来た元アジア人」と名乗っているので、純エジプト人という血統にこだわる必要はないだろう。

気になるのは、消えた王妃たちの行方とともに、彼女たちが連れて来たとされる大量の「お付き」の人々の行方である。

たとえば、アメンホテプ3世のもとに嫁いだミタンニ王女ギルキパは、317人もの侍女を連れて来たとされる。彼女たちがみな、王家の家臣の妻として与えられていたらどうなるだろう。一大勢力である。そうでなかったとしても、当時のエジプトにかなりの規模で西アジアからの人の流入があったことは想像できる。

記録として出て来ることはなかなかないと思うが、王宮のどこかに消えた人々のその後は、気になるところである…。


●その他

名前のわかる例もある。

トトメス3世の、現在のイスラエル~ヨルダンあたりの出身では? と言われている下位の王妃たち、メンヒト、メンフィ、メルティの存在が知られている。彼女たちの墓は見つかっているが、名前以外に出自を示す情報はない。
https://en.wikipedia.org/wiki/Menhet,_Menwi_and_Merti

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[>おまけ

ミタンニ-ヒッタイト間の条約に出て来るインドの神様と、当時の人の流れを考える
https://55096962.at.webry.info/201901/article_19.html

文明の交わるところ、シリア北部 テル・ハラフ遺跡について纏めてみたぞ
https://55096962.at.webry.info/201907/article_19.html