古代エジプトの古い神殿の姿

エジプトの神殿というと大抵の人が新王国時代のルクソール神殿やカルナック神殿を思い浮かべると思うんだけど、ピラミッド作ってた時代以前のものは全然違う。
ピラミッドの付属神殿はそれなりによく残っているのだが、あれは葬儀用の施設なので、実際に神々を祀っていた、いわゆる「神殿」とはちょっと違うものだ。どうも実際の神殿は、その地方ごとにムラ社会の支援によって、各地のえらい人や地元名士などが各自で作っていたらしい。
中王国時代ごろから、王が地方に神殿を建造させた記録が出てくるようになる。なので、全国統一の規格のようなものがない。国分寺のシステムが出来る前の日本各地の寺社の状況に近いかもしれない。

それらはほとんど残されていないのだが、少しだけイメージ出来る情報を集めておいた。


まずエジプト最古の神殿と言われているものは、実はストーンサークルだ。
ナブタ・プラヤというところにある。地図で見ると判るが、ナイル渓谷から西に外れた沙漠の真ん中にある。紀元前5000年頃、この場所はまだ湖のほとり。ステップ気候だった。古代エジプトの「王朝」の歴史は、ここから始まる。

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石の並びから、この時点で、既に北極星などを利用して原始的な暦は作られていたのではないか、という説がある。
(古代エジプトの暦は星辰暦で、星が天を一周することをもって一年としていた)

気候が変動して乾燥化が進むにつれて、この辺りに住んでいた人々がナイル河川添いに移動して、紀元前3,000年ごろには原始王朝が開始される。初代王の頃にナイル上流のヒエラコンポリスに築かれた、鷹神ホルスの神殿がこういう感じである。

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出土しているのは柱の痕跡と、神殿の図を描いた石のパレット。
のちに神を意味するヒエログリフになる「吹き流し」や、神のシンボルを旗竿に乗せた標章などがイメージ画像として付け加えられている。元になっているのは、パレットに刻まれていた↓この図だろう。

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この頃はまだ、石造りの神殿というものが存在しない。初期の神殿はおそらく、こういう感じの木や葦を組み合わせたもの、もしくは日干しレンガを積み上げたものだったはずだ。石造りの神殿が登場するようになるのは、シナイ半島まで勢力を伸ばして青銅器が豊富に使えるようになってからと思われる。



古代エジプトの歴史は3000年ほどある。
クフ王がピラミッド作ってた時代と、ツタンカーメンが生きてた時代と、クレオパトラが生きてた時代は、ザックリそれぞれ1000年ずつくらい離れている。日本でいうと、弥生時代と平安時代と江戸時代くらい違う。卑弥呼と紫式部と和宮くらいのイメージだ。当然ながら、それぞれの時代背景も、衣装や生活習慣も、全くの別モノだ。

多くの人がイメージする「昔の日本」が江戸時代だとすると、今回出してみた資料は、日本でいうところの弥生時代のもの。
中でも古い時代ほど記録は少なくて、日本史でも卑弥呼のいた時代のことはサッパリ分からんし、当時の衣食住の情報は限られてくるだろう。そもそも卑弥呼がどんな人物かも分からない。古代エジプトもそんな感じで、このくらいの時代になるとほんと資料も無いし想像しにくいです。