古代と現代、エジプトの国土の形~エジプトっていつからその形?

古代エジプト世界はナイル渓谷に添って南北に広がっていた。
…という話は、よく聞くと思う。けれど、実際には接続されるオアシス地帯も含んだ国家感があったと思う。今日はその中から、「実はシーワ・オアシスって古代にはエジプトじゃなかったんだよ」という話を書いてみたい。

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※これは新王国時代の最大版図だった頃の勢力図


シーワ・オアシスはここ。
人気を博したゲーム「アサシンクリード・オリジンズ」では主人公が住んでいる場所で、ゲームはここからスタートするのだが、実は、ここが「エジプト」の一部になったのは末期王朝の紀元前7世紀あたりで、残っている最古の遺跡も第26王朝になっている。伝統的にはベルベル人の土地。つまり文化圏としてはリビア側に属していた時代が長い。調べてみたけど、歴史の最初の頃にはエジプト人がここまで来ていた証拠がほぼ無くて、そもそもナイル渓谷のエジプト人は存在すら知らなかったのではないかと思われる。

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歴史を紐解いてみると、第26王朝の少し前に、リビア方面からまとまった人数がナイル渓谷に移住してきている。(それによって成立するのがナイルデルタのサイス王朝=第26王朝) そこでエジプト人ははじめて、最果てのオアシスを意識するようになったのかもしれない。


これに対し、もう少しナイル渓谷寄りのファラフラ・オアシス、ダクラ・オアシス、カルガ・オアシスについては、王朝成立の頃には既に知られており、岩絵などの落書きも残されている。

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この辺りはおそらく、気候が乾燥化する以前、まだ気候がステップで、動物などもいた頃から人が住んでいたために、最初から知られていたのだと思われる。逆に言えば、ここに住んでいた人たちが気候の悪化でナイル川沿いに移動したのが、初期の王朝の始まりの布石になっているのだろう。


つまり現在のエジプトの国境線のうち、西側のこのラインの歴史は、他の境界線に比べればそれほど古くない。
せいぜい3,000年くらいだ。って言ってもまあ、3,000年もありゃ十分なんですけどね。

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ちなみに、最も歴史ある(?)設定がされていると思われるのが南の国境線だ。

そう、やたらと直線で、北緯22度のところでスッパリ切れてしまっている、この1899年にイギリスさんが定規で引いたテキトウそうな国境には、実は由緒がある。古代エジプト人が初期王朝の頃から「自国」として認識していたのが、現在のアスワン付近までだったからだ。ここから先は、古代に「クシュ」と呼ばれていた。それでいいのかはさておいて、一応、5,000年の歴史のある国境、と言えなくもない。