古代の「紙」の生産コストと、機械化による低コスト化の可能性についての覚書

自宅でパピルスを栽培しはじめたら、めちゃくちゃバッタ来るようになった件について。

よくよく考えたら日本のバッタってイネ科かカヤツリグサ科の草が好きなんですよね…パピルスってカヤツリグサなんですよね…。そりゃ来るわ。たぶん食われてるわ。使うのは幹の部分だから葉っぱにあたる部分はいくら食われてもいいんだけど。なんか毎日、水やりにいくとバッタが飛び交うのでちょっと笑えて来た。茅なら何でもいいのかよ!! そしてその食害を上回る勢いで新芽が出てくるパピルスの成長率よ。どう育てれば正解なのかイマイチ分からない…。


 閑話休題。


よく知られているとおり、紙の歴史はパピルスから始まり、羊皮紙、そして現代でいうところのいわゆる「紙」へと繋がっていく。

※アジアに限定すれば絹帛(絹に文字を書いたもの。帛書)や竹簡も存在する。またバナナの皮や、アンデスで使われていた結び目による記録「キープ」を入れるかどうかなどの問題もあるが、ここでは主要なもののみで比較する

当たり前だがパピルス紙はパピルスの生産量に、羊皮紙は羊の頭数によって生産高を左右される。モノが無いことにはどうにもならない。
もちろん現代でいう「紙」だって材料は必要なのだが、生産量の上限についてはわりと緩い。繊維さえあればいいので、色んな材料が使えるからだ。
ことにパピルス紙の場合、年によってパピルスの出来が違うので、生産量は大きく変動していたらしい。

パピルスの出来は、気温や水温、パピルス自体の病気などで決まっていたようだ。ある意味、農作物の一種なので、言われてみればそりゃあそうだろうという感じだ。出来が悪い=新芽があまり出てこない年には、生産量は減ってしまう。そしてパピルス紙はパピルス以外のもので代替できず、栽培場所もナイルデルタやシリアの一部などごく限られた場所なのが痛かった。

これが、パピルス紙がメジャーだった頃に紙が高値のままだった理由の一つ。

もう一つは、パピルス紙の生産があくまで「人力」だったことにある。

原料の刈り入れ、水洗い、皮をむいて薄く切り、叩いて張り合わせ、なめし、乾かす…
この工程を全て人力で行うので、とても手がかかるのである。現代の技術で工業化しようとすれば出来るとは思うが、たとえば工業化された和紙の生産などと比べると、工程が複雑でおそらく機械化の難易度は上がってしまう。その意味では羊皮紙も手間はかかるが、皮を剥いでしまえばそれ以降の工程は自動化できるので、まだ低コスト化できる可能性がありそうだ。

こうして考えると、現代でいう「紙」は、古代に使われていたパピルスや羊皮紙に比べると、とてつもなく低コストで作れるシロモノなのだなと判って来る。本の普及には印刷技術の登場が重要だったとはよく言われるが、印刷技術があっても媒体のコストが高いままだったら普及はしなかったはずだ。現代の「紙」はその意味で、実によく出来た媒体だと思う。


あと、最近ご近所さんが竹林を切り開いていたので、竹を貰ってきて竹簡っぽいものを作ってみてたのだが、…竹って実はめっちゃ分厚いな?! いや、ていうか、何本かまとめただけですぐ大根くらいの太さになって、「えぇ…これで本とか作るの無理…デカすぎ…」ってなった。中国さん漢字圏だから文章の圧縮は出来ただろうけどさぁ。ちょっとお手紙書いただけで丸めたバスタオル級のかさばり具合ですよ。持ち運びも保管も大変だっただろうな…

紙は、薄さと、面積はあたりの情報量の多さも優秀なんだよな、とシミジミ思った次第。保管する場所代もコストとして換算するならば、紙の登場によって、情報を保持するコストは各段に下がったと思われる。