奴隷は黒人、白人は主人、という固定概念は欧米限定だという話。だってオスマン帝国とか逆だもん…

黒人、白人という区別自体がそもそも不正確だし、世の中そう白黒キッチリ分かれているわけではないのでこの分類自体を使うべきではないと思っているので、便宜上ここでは使うが、定義として以下を設定する。

「黒人=アフリカ出身でサハラ以北の地中海地域、東アフリカなどに多いアラブ系住民を除いた者」
 →アフリカにも肌がそれほど黒くない人たちは沢山いる。またアジア系やアラブ系の人も住んでいる

「白人=ヨーロッパ出身またはヨーロッパ地域から南北アメリカに移住した住民」
 →とはいえ、東ヨーロッパはロシアやアジアに近い、例えばギリシャとトルコの間に住民の差はない
  ロシアを入れるかどうかは微妙。

で、その上で、「奴隷は黒人、白人は主人というのが一般的なイメージ。逆転させるとみんな違和感を覚える。」という主張を見たとする。
なるほどそうだ、と思うものだろうか…?
私は思わなかった。というか、そもそもが「奴隷は黒人、白人は主人」というイメージ自体、歴史の中のごく一部の時代と地域にしか該当しないもので、それを一般常識だと思っていること自体に差別の根源となりうる無知が潜んでいる気がしたのだ。

 だってオスマン帝国は逆だから。
 人種も出身も関係なくまんべんなく奴隷にしてたから
 そしてアフリカ出身の宦官のほうがヨーロッパ系奴隷より地位が上だったから

えっまさか一時ウィーンまで迫りヨーロッパの半分近くも支配していた世界帝国をご存知ない? まさかそんなことは。


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オスマン帝国の「白人」奴隷の中で有名なのはヒュッレムだろうか。
彼女自身はロシア出身と言われているので地域的にはヨーロッパかどうか微妙だが、アルメニアやギリシャなど近隣からも奴隷を集めていたようなのでアリだろう。しかしオスマントルコの奴隷システムとは、奴隷にした若者に教育を受けさせ、優秀であれば取り立てるものであり、いわば奴隷になることで出世コースに乗れるものだった。本人の出自も宗教も関係ない、完全実力主義なやり方は、オスマン帝国の発展の原動力の一つだったはずだ。奴隷を使い捨てにしていたどこぞの新大陸の開拓者とはだいぶ違うのだ。

またスルタンのハーレムを取り仕切る宦官たちも奴隷で、17世紀にはアフリカのスーダン出身のいわゆる「黒人」奴隷たちが、「白人」奴隷たちを監督する立場にあった。スーダン出身者は真面目でよく働く、とは現代のエジプトあたりでも聞く話だが、当時もそうだったのかもしれない。肌が白いだけで上に立つなんて謎システムは無かったし、「黒人は劣っている人種だ」などという考え方もなかった。

というか、そもそも「黒人(アフリカ人)が劣っている」という考え方は、せいぜい19世紀に出て来たつい最近の偏見であって、それ以前の長い時代の中では、むしろヨーロッパのほうが劣っていた時代のほうが長かったと思うんだ。十字軍の蛮族ぶりに飽きれていた頃のアラブ人とか…西ローマが滅んだあとは東ローマ地域のほうが文化的に水準が高かったこととか…。



だからそもそも、黒人差別うんぬんで語られる世界観の前提自体が、欧米人特有の「自分たちの見ている世界こそが全世界の主流である」という思い上がりだと思う。
最初から偏見を持っているから、逆方向に視点を動かそうとして変な方向に行っちゃうんじゃないかと思うんだ…まずはさ、すぐ近くだしオスマン帝国の再評価からやりません? ね?


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お気にいりオスマン本

興亡の世界史 オスマン帝国500年の平和 (講談社学術文庫) - 林佳世子
興亡の世界史 オスマン帝国500年の平和 (講談社学術文庫) - 林佳世子

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