沙漠はどのように国土となってゆくのか。「現代エジプトの沙漠開発」

エジプトは、国土の90%ほどが居住に適さない砂漠(正確には「水が少ない」ので沙漠)だ。ほとんどの人口はナイル川沿いの土地に暮らしている。しかしエジプトはアフリカの中でも巨大な人口を抱える国であり、川沿いだけでは増え続ける人口に対応しきれない。そのため近年では、水路をつくるなど、沙漠に居住空間を増やそうという試みが積極的になされている。
この本では、そうした試みのうちの一つを詳しく取り上げている。古代エジプトの時代において「外の世界」であり、エジプトでも近代まで同じ感覚で捉えられていた不毛の土地が、いかにして人の住む土地、「国土」となっていくのか。数千年の時を経て街は大きく変わったのに、そこに住む人々の見ている沙漠世界はほとんど変わっていないのである。

現代エジプトの沙漠開発―土地の所有と利用をめぐる民族誌 - 竹村 和朗
現代エジプトの沙漠開発―土地の所有と利用をめぐる民族誌 - 竹村 和朗


ナイルの支流から砂漠へと繋がるボーダーにあたる東部砂漠のブハイラ県が舞台となっている。
ここは実は、アレキサンドリアに王朝の首都があった時代にいくつかの村が開拓され、ナイル本流からアレキサンドリアを経由して海へつながる交通網が築かれた場所でもある。ナイル川沿いの耕作地を「古い土地」、新しく開拓された沙漠を「新しい土地」と呼び、ブハイラは「新しい土地の中でも古い」とする話が本の中に出てくるが、これは考古学ファンにとっても感イメージしやすい。アレキサンドリアが放棄されると同時に消えて行った集落跡を再び復活させるようなもので、沙漠の中では開拓しやすい場所なのが直観的に分かるからだ。

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ちなみに砂漠の緑化活動といえばナイル上流のトシュカ計画が有名なのだが、著者が調査に入っていた時期がちょうどエジプト革命と重なり、許可が下りなかったり、危険性が高かったりしたためフィールドを変更したのだという。いつかトシュカの話も読んでみたい。


参考: だいぶ昔にまとめたものだけど…

緑の夢、砂漠の幻想 ―エジプト・トシュカ計画の破綻
https://55096962.at.webry.info/201302/article_2.html

トシュカの近くにある遺跡について

先端技術で探る古代「アル=ザヤーン神殿遺跡の調査」講演会に行ってきた
https://55096962.at.webry.info/201602/article_15.html


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古代エジプトの時代には、川沿いの耕作可能な土地は「黒い土地」、それ以外の沙漠部分は「赤い土地」と呼ばれ、赤い土地は沙漠の神セトの支配する悪の精霊の住まう世界と認識されていた。――ここまでは古代エジプト本にも出てくる概要だ。しかして、その概念は、キリスト教世界、そしてイスラム教世界を経て近代へと至った今はどうなっているのだろう。

この本によれば現代エジプト人は川沿いの土地を「エル=ワーディ」と呼び、それ以外の沙漠部分は「エル=ガバル」と呼ぶという。ワーディ(川)とガバル(山)だ。これは古代エジプトの時代のヒエログリフで、外国や沙漠を現す言葉に「山」という文字が入っていたこととリンクしていて興味深い。川が削り取った渓谷だけに人が住み、渓谷の両側にある山を越えたら別の世界という認識が、言葉として現代まで続いてるのだろう。かつてのセトや悪霊たちも、ジンやアフリートという言葉に変わっているだけだ。

つまり古代の概念は、言葉を変えただけでほぼそのまま現代まで引き継がれており、それゆえに沙漠の開発とは「悪霊の領域」を人の世界に取り込んでいくという意味でもある。

人の住んでいなかった、国境こそ(イギリスによって勝手に)引かれていたものの国土の一部として認識されていなかった場所に人が進出していく過程では、まず沙漠に法律が作られていく。そこに住む人々はどこから来たのか、人々がどのように土地を獲得していったのか、といった話や、村々に建てられているモスクや教会の話など、興味深いトピックスが並ぶ。そしてブハイラ県の歴史については、「歴史は政府が作ったもの」である、という指摘が興味深かった。そこに住む人々でさえ自分たちの歴史をまとまった形では持っていないのだ。たかだか数世代前に住みだした歴史の浅い場所であっても。
住民は、自分たちが住み始める以前の話は当然ながら知らない。聞いても「沙漠しか無かったんだから記録なんてあるわけない」と答える。これは当然の答えだろう。また、住み始めてからの話も祖父や父から聞いた話の他は知らない。出てくる歴史書は、政府刊行物だけである。ある意味、この本の著者のように外部から入ってきて調べて回った人が書いた本だけが、政府以外の人の書く歴史本かもしれない。

沙漠に人が住むこと、人が住めるようにすることを「死地の蘇生」と呼んでいるのはなるほどという感じである。
沙漠は死の世界という扱い。古代人と同じ発想だ。沙漠の開拓に関する初期の法律では、「死地を占有し蘇生した者の所有物とする。」というフレーズが出てくる。蘇生させた者がムスリムかズィンミー(ムスリムではない庇護民、エジプトでは主にキリスト教徒)であれば所有は可能だが、ムスタアミン(主にヨーロッパ人)である場合は所有は禁止。現在ではこの法律はもっと厳しくなり、外国人はもちろん、エジプト人の場合も国から買い取るのが一般的な所有方法のようだ。誰もいない、何もない土地なら土地に関する法律など要らない。人が入っていくようになったから法律が作られ始めたのである。それも、19世紀後半から。沙漠の開拓の歴史は、まだそれほど深くはない。

また、これらの新しく開拓された土地の人々がどのような職業を得ているのかについても面白かった。
バスやトゥクトゥクの運転手、公務員、などは想定内だったが、輸出作物を栽培しているというのはなるほどと思った。トシュカやポート・サイード付近など、エジプトの新規開拓された土地は外貨獲得用の作物が多い気がしていたのだが、気のせいではなかったようだ。
イチゴやブドウについてはまずヨーロッパ向けにいいものょを輸出。収穫期になると仲買人がやって来る。次にアラブ諸国用。たとえばお隣サウジアラビアは農業が出来ないから、そちら向けに売る。残りがエジプト国内の消費用で、あまり品質のよくない部分が出回ることになる。

これは、自国内で最高級フルーツを作ってそのまま消費している日本からすると「そうか・・・。」ってしんみりなる話である。
いや、ていうか、海外のフルーツって高い上にそんな美味しくないことが多いんだよ。日本みたいに美味しい果物食べまくれる国めったにないと思うよ。水に恵まれた国土と農家の皆さんに感謝だ。

沙漠で農場を経営しようとする人々の話も出てきたり、民俗誌としても面白いところを突いている本だった。

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なお、エジプト西部の沙漠の緑化活動については、最近調べた資料がこちら。

エジプトの森林は国土の「0.1%」…その0.1%って何なのか調べてみた
https://55096962.at.webry.info/201910/article_8.html

いずれにしてもエジプトの場合は水の確保がシビアで、お金のかかる海水の浄化ではなく、地下水かナイル川からひく水に頼っている。どちらも限りある資源のため、沙漠の広大な面積を潤すには全然足りない。人が生きるのにも足りなくなる年があり、夏など節水制限行われていたりする。沙漠を無限に緑に変えていくことは、現在の技術では難しいだろう。