中世エジプトにおける灌漑の実情と納税について。「中世エジプトの土地制度とナイル灌漑」

専門書でちょっとお高いので二の足踏んでたけど、図書館に入ってたので借りて読んでみた。
前半は土地制度の話、後半はナイル灌漑の実情。ナイルの増水があった時代のエジプトで、どのように土地や水が管理され、灌漑や作物が管理されていたか、14世紀~19世紀の土地台帳などの資料から読み解く本になっている。

中世エジプトの土地制度とナイル灌漑 - 熊倉 和歌子
中世エジプトの土地制度とナイル灌漑 - 熊倉 和歌子

ナイル川は、上流地域の雨季と連動して、年に一度、数カ月かけてゆっくり増水する。エジプトは古代からずっと、そのナイルの増水を利用した灌漑農法を行って来た。雨が少なく、気温の高い地域では、畑で作物を育て続けると土地の中の水分が蒸発しすぎてしまい、それに伴い土地が塩害化する。そうすると塩に弱い小麦などはうまく育たなくなってしまう。それを防ぐために畑に水を入れ、塩分を地下に押し下げるために重要なのが「灌漑」だ。

要するに川から畑に水を引き入れる作業なのだが、そのためには畑に水路を張り巡らせる必要があり、人手も、メンテナンスの手間もかかる。メソポタミアでは川の増水と主食の麦作の時期が噛み合わなかったのだが、エジプトではちょうど噛み合っていた。増水期であれば川の水を引き入れやすいし、十分な水を得ることができる。ただし、増水は毎年ちょうどいい量というわけではない。日本における「梅雨」に降る雨の量が年ごとに違うように、ナイル上流の雨季に降る雨の量も年ごとに多い少いがある。多すぎると増水量も増えて家まで浸水してしまったり土手が決壊したりする可能性があるし、少なすぎると収穫量が減る。
このあたりの事情は、古代でも、中世でも、大して変わらなかったはずだ。
そして、古代の記録はほとんど残っていないが、中世の記録はそこそこ残っている。

…というわけで、本の内容は「中世エジプト」なのだが、内容的に、古代にも当てはめて推測に使える部分がある。
中世エジプトの研究書は、古代を知る上でも訳に立つのである。



というわけで前置きが長くなったが、この本の内容だ。

前半は、マムルーク朝時代の後半(14世紀~)にあたるチェルケス朝から、オスマン朝への土地台帳の移行についての興味深い調査結果と、引き継がれた土地台帳がその後どのように管理されていったかの話になっている。というか当たり前だけど税金を徴収するにはまず土地台帳ないと話が始まらないんだよね…。

土地には何種類かあり、イクター制/のちのイルティザーム制(税の徴収権を与える)やワクフ(寄進地)、スルタン直轄財源(ザヒーラ)、私有地などが出てくる。また、リザク地というのは特定の目的のために政府が割り当てる土地となっていて、軍事リザク地はその土地からの上がりが恩給として軍人に与えられる軍人またはその家族などへ向けた贈与地、慈善リザク地は宗教関係者向け、退役軍人などへの贈与地、村リザク地は村の名士や特殊な職業の人向けだという。これらの特権的な土地の接収や再編もあったようだが、それに伴う税収の記録から、それぞれの土地がどの程度豊かであったのかが伺い知れる。また、注目すべくはアラブ系の部族が獲得権を持っている土地の税収高で、マムルーク軍人の所有する軍事リザク地とあわせて、けっこう大きな額を占めている。逆に土着の名士などの姿があまり見えてこない。

後半は、それらの土地の税収の元である農耕や牧畜がどのように行われていたかという話。
ナイルの増水は、川の上流と下流で1カ月くらい時差があるが6月から始まり、9月中頃に最高水位に達する。8月ごろから水路を開いて水を入れ始め、水は1カ月半ほどで増水の水が引くのと連動して消えていく。これをベイスン灌漑と呼ぶ。古代エジプトの時代から続く灌漑のやり方だ。
水を一定期間、畑に留めるためには土手を使う。土手で畑を区切り、順番に水で満たしていくのだ。水は当然ながら川の上流地域から流れるため、ナイル下流の扇状地では、増水の少ない年には上流の村しか十分に灌漑出来ないこともあったようで、これは現代日本の水田における水利権の問題と似ている感じで面白い。

また、土手は「ジスル」と呼ばれるが、この中には政府が管轄する大規模な「スルターニー・ジスル」と、村単位で管理する小規模な「バラディー・ジスル」があったという。水利の基本的な管理は政府であり、各村は補助的な役割を担うという相互補助の構造も見えてくる。もちろん大規模な水路や堤防の工事は国家事業でないと行えないから、灌漑によって上がって来る税収を増やしたい政府が管理するのは当然とも言える。

それから、土手はいわばダムの役割であり、政府が管理することで、災害時や渇水の年に各村の思惑だけが優先されることのないよう見張っていたという指摘もある。特にナイル下流においては、ナイルの増水が大すぎる年は、自分の村の水没を免れようと水路を多く開いてできるだけ早く下流に水を流そうとする可能性があったので、勝手出来ないよう第三者の目も必要だったという。ナイルの増水は本来は数カ月かけてじわじわ水が上がってくるものなのだが、土手をダム代わりにして水をためる灌漑農法をしていると、想定以上に水が来ると土手が決壊して、それまでに貯めた水が一気に流れ出して「洪水」を起こしてしまう可能性がある。19世紀までの文献で「ナイルの"洪水"で死者が出る可能性がある」というような表現が出てくる場合は、ナイル下流域の土手のある環境を想定しているのではないかと思った。増水しはじめた頃だと最終的にどこまで水位が上がるか分からないので、政府一括で調整するというのは確かに大事そうだ。なお、この本では備考ページに「1897年に大洪水があった」と書いてあった。

他にも、実際に支払われていた税金の内訳にカモが入っていたり、作っていた作物にゴマやベニバナ、果実の記録があったりと、多分これ古代エジプトの時代から引き継ぎだろうなあ…という内容があり、特に後半の章は楽しく読めた。あと、気候条件も古代から中世までほぼ変わっておらず、農業カレンダーや税収タイミングもおそらく古代と同じなので、そのあたりの参考資料としても使えると思うよ。


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ベイスン灌漑についての説明は、以下の本にもあった。
こらちも面白かったので似た研究に興味があれば。

エジプトの自画像: ナイルの思想と地域研究 (東京大学東洋文化研究所研究報告―東洋文化研究所叢刊) - 長沢 栄治
エジプトの自画像: ナイルの思想と地域研究 (東京大学東洋文化研究所研究報告―東洋文化研究所叢刊) - 長沢 栄治