アスワンの岩絵、いつの間にか一杯発見されてた…のでメモ代わりに

ここ最近、エジプトのナイル最上流/アスワンの岩絵新しく発見したよニュースを何度か見た覚えがあるので今どうなってんのかなーと思ってちょっと論文漁ってみたら結構出てた。というか、近くの街(ニューアスワン)が急拡大していて、それに伴って調査されることも多くなってるようなのだ。ここもピラミッドと同じで近くに街が進出してくる過程で新発見が相次いでいる地域と言っていいかも。


とりあえずネットで落とせる調査報告をいくつか

Prehistoric geometric rock art at Gharb Aswan, Upper Egypt
https://perstoremyr.files.wordpress.com/2011/02/2008_storemyr_rockartgharbaswan_sahara.pdf

A Prehistoric Geometric Rock ArtLandscape by the First Nile Cataract
https://perstoremyr.files.wordpress.com/2011/02/2009_storemyr_rockartfirstcataract_archeonil.pdf


アスワンの岩絵が分布するエリアはこのあたり。
アスワン・ハイ・ダムとか、アブ・シンベル神殿からもそう遠くない。川の中に島があるが、そこがエレフォンティネ島。ナイルの増水をつかさどる神々の祀られていた古くからの聖域で、そのあたりに岩絵が集中している。

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アスワンの岩絵は王朝開始以前のものが有名だが、ここにはローマ支配の時代に至るまでの長年の蓄積がある。
古いものだと紀元前5.000年くらいと考えられるものもあるようで、今ではいなくなったキリンの絵や、ワニらしものもあったりする。また、船の絵が多いのも特徴的だ。先王朝時代のものもあれば、新王国時代の船もあるといい、時代を越えて絵のトレンドがあまり変化していないのも面白い。

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なお船の絵が多いのは、ここが船着き場でもあったからだと考えれる。ナイル川は、河口からここまでは流れが緩やか。しかしアスワンで初めて船では越えられない急流に突き当たる。急流は「カタラクト」と呼ばれている。古代には、アフリカの奥地に行く場合、ここで一度船を降りて、流れの急なところを越えた先にある別の船に乗り換えなくてはならなかった。
現代でもダムが出来ているので乗り換えは同じで、ナイル川クルーズ船の拠点になっている。

ワニっぽい絵と人間はこちら。右下の船の周りに描かれているもの。
人間の絵のまわりに点々が描かれることが多いようなのだが、何なのかはよく判っていない。

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その他、幾何学模様もかなりの数があるようだ。


時代ごとの岩絵の分布図がこれで、一番上の段が新石器時代まで、先王朝時代、初期王朝時代。王朝が出来た頃から数が減り、新王国時代に再び増加していることがわかる。おそらく王朝が出来るとナイル川沿いの人の分布が変化し、国の中心がナイル下流のメンフィスに移動したことと関係がある。新王国時代にまた増えるのは、ヌビア併合や遠征の拠点としてアスワンに人が増えたからかもしれない。このあたりにはヌビアAグループという人間集団も存在したため、先王朝時代の絵には彼らの作品も混じっていそうだ。また、初期のヒエログリフによく似た絵もあるようなので、王朝成立時の人の動きと合わせて研究してみると面白いかも。

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エジプトといえばファラオの時代の印象が大きすぎるし、岩絵は一見地味なのであまり注目されることはないのだが、この絵の描き手たちもエジプトの歴史の一部を担っているのは間違いない。そしてここに残された絵は、まだ文字も大きな遺跡もなかった時代の貴重な記録でもある。ここから、ファラオの時代の成立に繋がっていく歴史の糸も存在する。何より、沙漠に転がった石に刻まれた何千年も昔の謎の絵とかワクワクする。

岩絵はいいぞ…岩絵は…!


#ただし実際に見に行くと死ぬほど熱いです。
#岩の上で目玉焼きが焼けそうなくらい熱い