古代インターネット文明を読み解くためのエッセンス ~90年代~00年代初頭の制約など~

古代インターネット文明では、個人は1人1つホームページを作るのが意識高いとされていた。
現在で言うところの「LINE教えて」のノリでホームページのURLを交換しあっていたのである。90年代から00年代初頭にかけて、文明は大いに繁栄し、個人ホームページが多数開設され、付随するサービスも百花繚乱であった。

しかし文明は滅び、今や個人ホームページ文化は滅びようとしている。
ホームページのあとに誕生したブログでさえ衰退に瀕している。かつてのホームページたちがいかにして形作られ、いかにしてあの形になっていったのかが忘れ去られようとしている。

そこで当時、文明にたずさわった一人として、かつて文明の担い手たちが見ていた世界の一端を描き残しておこうと思う…。

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●90年代のインターネットサイトの色合いがドぎつい理由

大昔のホームページって、なんかやたら色が派手…。と思うことが多いと思うが、それは、当時はフルカラーで画面表示出来るとは限らなかったからである。しかもWindowsとMacでは色の見え方が全然異なることもあった。そのため、どの環境でも同じ色合いに見える「セーフティーカラー」というものでページを構成するよう、多くのマニュアル本に記載されていたのである。

色合いは「WEBセーフカラー」あたりで検索すれば出てくると思うが、全部で216色である。

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…なんか見覚えのある配色だと思う。
そう、古代ホームページ人は、ガイドラインに従いセーフティーカラーを使ったためにどぎつい色鮮やかなホームページを作ってしまっていたのである。ちなみに現在では、ディスプレイによって多少色あいは異なるが、ほとんどの環境でフルカラーで表示されるためセーフティーカラーにこだわる理由は特になくなっている。


●背景がやたらと色鮮やかだったり、真っ黒だったりする理由

90年代から00年代初頭にかけては、インターネットの速度がとても遅かった。
個人で光回線を引くことなど夢のまた夢であり、ADSLですら普及していなかった。ISDNの64k もしくは 128k ですら「速い」と言われていた時代である。kだぞ、メガでもギガでもないんだぞ。36kとか54kなんていう通信速度(ブロードバンドに対してナローバンドと呼ばれた)でインターネットをしていたのである。

今からすれば信じられないと思うが、そのため、背景画像を入れることが出来なかったのである。
…背景画像を入れたらダウンロードに時間がかかりすぎて、ページが出てこなかったのだ。

画像を入れずに、ページ容量をなるべく軽くしつつ、それでも真っ白な背景では物足りないので何か色合いを入れたい。背景に色がついているページには、そんな古代ホームページ人の思いが詰まっているのである。ちなみに背景色を入れる場合も、当然セーフティーカラーで色をつけることになるので、いきおい派手な色になりがちであった。



●キラキラしていたり動いたりするページ

古代ホームページ人はホームページを作る際に「IBM ホームページビルダー」というツールを使うことが多かった。または「Adobe Dreamweaver(アドビ ドリームウィーバー)」である。これらのツールの手助けなくしてホームページを作る者はほとんどいなかった時代において、ツールが推奨してくるテンプレや、ツールに最初から付属してくるアニメーションで動くアイコンが多用されるのは自然な流れであった。ツールの機能を使いこなせることこそが上級者の証だったのである。

また、回線速度が遅く、画像を入れたりデザインにこだわったり出来なかった時代において、ホームページとは文字しかない世界でもあった。その世界において、使える数少ない手段を駆使して少しでも目立とうとすれば、チカチカしたりキラキラしたりよくわからんアニメーションが動いてたりするものを作ってしまうのは、致し方なかったのである。



というわけで、かつてのホームページが今からすると何だかよくわからないデザインになってしまっていたのは、当時の技術的な制約のせいである部分が大きい。古代インターネット文明は、今からすれば信じられないほど回線速度が遅く、また個人で取り扱えるデータ容量もとても少なかった。100Mのファイルをメールに添付するだけで受信がいつまでも終わらず、それどころかメールボックスが一杯になり、メール爆弾と呼ばれた時代である。
その制約の中で、人々は使える技術を駆使し、試行錯誤と工夫を凝らして様々な表現を編み出していったのである。

また、当時はGoogleのような検索エンジンが無く、ホームページは完全なムラ社会であった。
ムラ社会ゆえにムラの掟は大変厳しく、掟に従わぬ者には村八分も在り得た。それが当時さかんに言われていた「ネットマナー」と呼ばれるものの正体である。インターネットが本当の意味で世界に向けて開かれたのは、それほど昔ではないということだ。

カキコ、キリ番、相互フォロー…数多の文化が生まれ、そして滅びていった。
検索エンジンもない村社会では平和であった古代インターネット文明だが、今のインターネット文明は、どこから攻め込まれるか分からない戦乱の世である。ある意味では牧歌的であったかつての文明を思いしのびながらも、我々はこの高速回線の時代を生きていくのである…。


#中の人も昔は仕事でADSL回線の配線手配してましたが、今は光回線ばっかりです。