一体エジプトに何の恨みが…。「毒と薬の世界史」

ちょっと毒物について調べるついでに手にした本。
いやべつに暗殺とか企んでるわけじゃ無いんですけど。

毒と薬の世界史―ソクラテス、錬金術、ドーピング (中公新書) - 船山 信次
毒と薬の世界史―ソクラテス、錬金術、ドーピング (中公新書) - 船山 信次

内容は雑学集大成という感じの軽い本、書いているのは薬学専門の人。「毒にも薬にもならない」ではなく「毒にも薬にもなる」という様々な物質についての話。元々毒なのに、かつては薬として多様されていた水銀のような物質から、有害な物質というイメージが強いが使い方さえ誤らなければ薬として効果的に使うことも出来るコカイン、かつては薬に近い存在だったのに今は毒として認識されがちなタバコなど、毒と薬は同源であるというテーマに沿って世界各地の様々な時代の事例を用いて説明している。

…のだが、なんか「ん??」という部分が結構多く、特に古代エジプトやオリエント周辺の記述が片っ端からおかしい。あまり得意じゃない地域の知識をウロ覚えで盛り込んでしまったのか。というかエジプトが出てくる部分が片っ端から引っかかるので、「一体エジプトに何の恨みが?!」とか思ってしまった。

ちょっとここはどうかなと思う部分について、ツッコミがてらメモしておこうと思う。


・P9
「メソポタア文明は地理的に近いエジプトに伝えられ、エジプト文明として花開くことになる。」

→メソポタミアの文明とエジプトの文明は別もの。別々に発展しているが、互いに影響しあっている部分は認められる、というだけ。時代的にもほぼ同時。
また、実はあんまり近くない。直線距離ではなく実際のルートで考えると、海路にしろ陸路にしろ、かなりの回り道になる。


・P10
「エーベルス・パピルスは、ドイツのエジプト考古学者であるエーベルスがルクソールでアッシリア人から購入したとされる。」

→なぜエジプトにアッシリア人なんだ…。
現代のシリアには辛うじてアッシリア人を名乗る人たちがいるけど、彼らは古代のアッシリアの子孫ではなく近代に名乗り始めた復興アッシリア人とでもいうべき存在。どっからアッシリア人が出て来たのかよく分からない。


・P67
「ビールの鋳造は、エジプトのピラミッドの壁画にも見られるように」

→ピラミッドの中に描かれている例は無い。個人の墓の壁画としてはいくつか存在する。というかエジプトって、エジプトっていえばピラミッドでしょ? みたいなノリで「ピラミッドの中に書かれている」って適当に書かれることが多すぎる…。


・P91
「ミイラの数は、紀元前4000年ころから紀元前600年ころまでの間で約7億体と推定されている。」

→紀元前4000年ってまだミイラ作ってませんが…。
最初の王朝が紀元前3000年頃ですが…。
厳密には「死体に防腐処置をする」くらいの技術が生まれたのが紀元前4000年ごろで、初期のミイラはまだ、普通の干物という感じ。

[>参考

古代エジプト、初期のミイラの作り方。
https://55096962.at.webry.info/201808/article_20.html

あと、なぜ紀元前600年で区切ったのも謎。ペルシア支配あたりの時代なので、そこで一度伝統が途切れたというつもりなのかもしれないが、実際はローマ支配の初期までミイラづくりはつづけられているので、ここで区切っても意味がない。
また、この7億体という数は動物ミイラまで入れての数ではないかと思う。人間だけだと全時代を通して1億5千万人という数が見積もられているので、数字が離れすぎているのが気になった。

[>参考

古代エジプトでミイラにされた人口総数は何人くらいか
https://55096962.at.webry.info/201003/article_26.html



これ多分、エジプトの部分は自分が詳しいから気になっただけで、他の部分も詳しい人が見たらおかしい部分はあるんじゃないかと思う。ここまで内容が外れてると、ウロ覚えなのか、何か使ってる資料が不適切なのではないかと…。
それとも、薬学界の歴史認識が情報不足なだけなのか。


ちなみに医学とエジプト関連では、存在していないのに長らく流布されてきた「エジプトの最古の女医」という勘違いの元ネタが、医学の歴史に関する本だったことが最近突き止められている。

[>参考

古代エジプトの女医「メリトプタハ」は存在しなかった。誤解の出所が調査されほぼ明らかに
https://55096962.at.webry.info/201912/article_18.html

医学と歴史学・考古学が交わる部分はそれほど多くない。
医学の歴史には、意外と、人文系から見ると驚くような誤解が埋もれているものなのかもしれない。