現代に残らなかった記念碑―クフ王の後継者たちのピラミッドとギザの歴史のはざま

「ギザの三大ピラミッド」といえば、クフ王、カフラー王、メンカウラー王のものと有名である。
しかし、この三人の王が連続して即位したわけではないことを知っている人は意外に少ないと思う。

実はクフ王のあとに少なくとも一人(説によっては二人)の王がいた。クフ王の息子とされる「ジェドエフラー」と、孫とされる「バーカー」だ。
そして彼らもまた、ピラミッドは作ろうとしていた。

しかし規模は元々そう大きなものではなく、現在ではほぼ土台しか残っていない。
かつては、短命な王すぎたので実はちゃんとピラミッドも作っていたのに残っていなかったのでは、と言われていたが、近年の発見からジェドエフラーの治世は11年目までは確認されている。平均的なファラオの治世として、決して短すぎるわけではない。

彼らは何故、クフ王のような巨大なピラミッドを作ろうとしなかったのか、
あるいは「出来なかった」のか。

忘れ去られた王たちの名前とともに、墓標の痕跡を辿ってみよう。




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ジェドエフラーのピラミッドは、そもそも作られた場所からしてミステリーがある。
クフ王の後継者でありながら彼はなぜか、ギザではなく北に7キロほど離れたアブ・ロアシュを自らの埋葬地に選んだのだ。そのため、ジェドエフラーは父親と不仲だったのでは、という説もある。また、ピラミッド周辺の葬祭殿が破壊されていたことから、のちにギザに第二のピラミッドを築くことになるカフラー王との間で王権争いがあったのでは、という説も提案されている。

ピラミッドにつけた名前は「ジェドエフラーの星の空」という。完成された頃のピラミッドの大きさは、ギザの三つのピラミッドのうち最も小さいメンカウラー王のピラミッドと同等だったと考えられている。にも拘わらず、現在残っているのは下からわずか15段の石組だけだ。

不運だったのは、このピラミッドが砂漠の奥深くの好位置に作られていたことだ。
ローマ支配の時代にピラミッドの近くにコプト教(キリスト教の一派)の寺院が作られることになり、ピラミッドの石が転用された。ローマ時代の集中的な破壊、そしてその後も継続的に石が転用され続けたことにより、巨大ピラミッドの1つがほぼ完全に姿を消した。残っているのは、崩れた石組と棺の破片だけだ。ギザの大ピラミッドの構造を一部真似ていたともされるが、残っている部分があまりにも少ないため、はっきりしたことが分かっていない。
王の遺体の運命も知られていない。

一つだけ言えることは、ジェドエフラーは父の作ろうとしたピラミッドを踏襲はしたものの、全く同じものを作ろうとしたわけではない、ということだ。
このピラミッドにしか見られない多くの謎めいた特徴が見つかっている。たとえば、ピラミッドをとりまく溝に収められた、赤い石で作られた大量の彫像の存在だ。




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バーカーのピラミッドと考えられている、通称「未完成ピラミッド」については、状況はもっと悲惨だ。そもそも石組みがなく、基礎部分の埋葬室を岩盤に掘り込んだだけなのだ。こちらについては、おそらく本当に治世が短く、それだけしか作る時間がなかったのだろうと考えられている。

軍事基地の領域にあるため調査が出来ず、しばしば地下水や雨水の侵入にさらされているため、現状がどうなっているのか不明だ。このピラミッドの特徴として、石棺が珍しい楕円形であることが知られている。しかし持ち主の論争とともに、この謎めいた形式の意味も決着はついていない。

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https://en.wikipedia.org/wiki/Unfinished_Northern_Pyramid_of_Zawyet_El_Aryan

このピラミッドが築かれた場所もギザではなく、ネブカー王のものと考えられている重層ピラミッドと同じ、ザウィト・エル・アリヤンだ。



二つのピラミッドは、第四王朝の近い時期に築かれていながら、ギザ以外の場所を選び、独自の様式を採用しようとしていた。これは、ギザの三大ピラミッドがマスタープランのもとに三つ造ることを最初から計画されていたわけではない、と主張される根拠にもなっている。しかし、あまりにも残念なことに、この二つのピラミッドと二人の王については、分かっていることが少なすぎる。三大ピラミッドは時代を越えて21世紀まで生き延びたが、ジェドエフラーと、(おそらく)バーカーのピラミッドは、ほとんど消えてしまった。



最初の問いに戻ろう。

彼らは何故、クフ王のような巨大なピラミッドを作ろうとしなかったのか、
あるいは「出来なかった」のか。


一つの可能性としては、クフ王のピラミッドを作るのに、後継者たちの時間とリソースまで費やしたかもしれないということ。クフ王亡きあとも、その周囲の壁や葬祭殿を作り、ピラミッド表面の石を磨くことに労力を取られ、自分たちのピラミッドに手が回らなかったか、資源が足りなかったかもしれない。

また別の可能性としては、クフ王のあまりにも巨大すぎるピラミッドを無謀だと認識していたのかもしれない。

カフラー王はクフ王と同等のピラミッドを築こうとしたが、それは巨大すぎるピラミッド建造プロジェクトが終わっていく時代への入り口でもあった。
カフラー王の次に即位するメンカウラー王が作ったピラミッドは、その半分ほどの大きさしかなく、さらにその次のシェプセスカフ王に至っては、もはやピラミッドは作っていない。

第五王朝に再びピラミッドは作られるようになるものの、それはかなり規模が小さくなり、ピラミッド本体より、付随する神殿のほうに力が入れられていく。メンカウラー王以降は、もはや単純な大きさを競う時代ではなくなるのだ。


ギザの三つのピラミッドはあまり巨大すぎ、そこに費やされたリソースを考える時、比類なき偉業であるとともに、専制君主の横暴とも感じる。「出来なかった」と「しようとしなかった」は、どちらか一方というより、両方であるかもしれない。クフ王のピラミッドは現代においてさえ、あまりにも大きすぎる。たとえ無限の富を手にしたとしても、敢えて作ろうと思うかどうかは…。