シルクロードとは何か、という問いかけ「オアシス国家とキャラヴァン交易」

シルクロードとはユーラシア大陸を東西に結ぶ一大貿易路である、ということは、多くの人が知っていると思う。もうちょっと詳しい人なら陸路と海路がある、とか、運ばれたものはシルクに限らないとか、命名したのはドイツ人だとかも知っているかもしれない。

しかし、そうした概要とは裏腹に、「実体」というべきものがあまり知られていない――というのが、この本の内容である。

オアシス国家とキャラヴァン交易 (世界史リブレット (62)) - 荒川 正晴
オアシス国家とキャラヴァン交易 (世界史リブレット (62)) - 荒川 正晴

実体とは何かというと、シルクロードを実際に行き来した交易者の正体や、交易のやり方、運ばれた商品など。特にタイトルとなっている「オアシス国家」が中心で、必然的に、西の出発点であるペルシアやイスラーム世界と、東の出発点である中国との中間が主な舞台となる。
紀元前後にはタリム盆地だけで36国ないし55国あったともされる大小さまざまなオアシスを中心とした勢力圏は、人口規模として数万くらいが標準。ある程度の規模があれば、都市国家と言い換えてもさほど違和感はない。これら大小のオアシス国家が互いの関係を結び、その関係の範囲内でパケツリレーの如く商品をやり取りしていくのが、シルクロード交易のひとつの実体となる。

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また、オアシス国家に自身の家族や協力者を置いたまま、単身で中国内地に事務所を構えて商品を送り出す商人もいたようで、各地に代理店や支店のようなものを展開する商売のやり方もあったという。

これはネットワーク技術で理解すると分かりやすなぁと思った。
一つのオアシス国家をルーターと考えると、隣どうしのオアシス国家同士でやる近距離交易がディスタンスベクタ型のプロトコル、やや遠方である程度の距離まで交易可能な範囲とするのがリンクステート型プロトコルだ。

また、交易路が匈奴や唐などの大きな国の勢力圏に組み込まれると、その国の権威で一括して交易路を通行できるようになる。それまで隣同士のオアシス国家で1:1で関係を築かなければいけなかったのが、同じ権威のもとで統括されることで、親方の権威一つあればいちいち各国家と関係を結ばなくていい。また、交易税もオアシス国家を通過するごとに支払うのではなく統一されたものになる。
大きな勢力による交易路全体の一括統治は、おそらくシルクロードの隆盛と大きな関係がある。

また、オアシス国家に住むイラン系のソグド人たちは、唐の勢力圏に組み込まれると「農民」として扱われるようになる。
オアシスでは農業がメイン産業だから、間違いではない。
その農民と区別して商人たちは「興胡」と呼ばれるようになる。胡は「胡人」の「胡」だ。

7-8世紀ごろのシルクロードには、唐から絹や貴金属などが大量に流れ込んだ。持ち出しを禁止されている商品もあったようだが、そこは今も昔も変わらないというか、抜け道があったようだ。たとえば、唐への「朝貢」の帰りに、褒美にもらったものとして商品を持ち出す方法。商人のやることはいつの時代も変わらない。

この本の主張したいところは、シルクロード全盛期の7-8世紀に限らず、その前後の時代を含めること、交易路の起点と終点だけでなく間の地域を見ていくこと、唐(中国)の影響だけではない、他の民族や勢力からの影響も見ていくこと、だろうと思う。



シルクロードの成立と実体には、匈奴などの騎馬民族や吐蕃王国の存在も関わって来るし、交易商人の在り方も様々、オアシス国家は有名なもの以外にも実際には多くのプレイヤーが存在する。
8世紀末に唐のアジア支配が終わりを告げても、交易路はイスラム勢力圏に入っただけで機能している。
世界史リブレットの中の一冊なので要点のみ切り出したエッセンスではあったが、ユーラシア全体の、幅広い視点を得ることが出来た。
知っているようで知らないこともまだまだ沢山ある。アジアは…広い…。