「ミダス王の墓」は本当は誰のものなのか、資料を集めてみた

ミダス王関連でちょっと見つけてしまったもの。
フリュギアの首都・ゴルディオンにある大きな墳墓は慣例的にこの王の墓と呼ばれているものの、実際は時代が微妙にズレており、ミダス王が作ったけどミダス王自身は葬られなかった、など、学者によって色々な説があるらしい。

…なんかそのパターン、他でも見たことあるぞ。。
古代史ではよくあるやつですね…。

というわけで、可能性はあくまで可能性として、実際この墓はどういうものなのかをちょっと調べておくことにした。


前知識>
ミダス王は、フリュギアの王の中で唯一といっていいよく知られた王で、「手に触れたもの全て黄金に変える能力」「王様はロバの耳」という伝説が有名だ。
アッシリアのサルゴン2世に反逆した際の記録で「ミタ」という名前で残っている人物と同一とされ、それが限られた史実としてのミダスの情報になっている。ただし、「ミタ」と「ミダス」が別人である可能性も若干あるので、より正確に言うならばここは現在の定説として同一と見なす、としておくべきかもしれない。

ミダス/ミタの生きた時代は紀元前8世紀。フリュギアはおそらくキンメリア人の侵入によって滅亡し、その際にミダス王も死亡したと考えられている。(後世の歴史家の叙述から、戦死ではなく服毒自殺ではないかと言われることもある)


「ミダス王の墓」が見つかっているのは、フリュギアの首都だったゴルディオン。現在のトルコで、首都アンカラから南西に100km。首都の名前はミダス王の父ゴルディオンに由来する。遺跡は幾重にも重なる要塞から成っており、フリュギアの栄えていた紀元前9世紀~8世紀に大部分が属する。

ゴルディオンには、問題の墓以外にも約100基の墓があり、時代は前8世紀~ヘレニズム時代にかけて。家のような石積みに土を盛りかけた「古墳」の形状になっており、その中で最大の、8世紀のものがミダス王の墓と呼ばれている。
古墳の中には、棺に納められた60才くらいの老人の遺体と、豪華な副葬品が入っていた。
ゴルディオンは8世紀末に破壊されているため、その前の栄えていた時代の権力者の墓ということになる。

墓の基本データはこのへんとか
https://www.livius.org/articles/place/gordium/gordium-tomb-of-midas/

tomb.PNG

写真見ると「でかっ!」てなる。いや、ていうか、マジ古墳。
直径300メートル、高さ47メートル。この中に木組みでお部屋がひとつ。この部屋の枠組みに使われていた木から割り出した年代が紀元前740年前後のため、紀元前710年ごろにサルゴン2世に対して反乱を起こした「ムシュキのミタ」がミダス王と同一であるならば、1世代か2世代ずれていることになる。

考えられる説は幾つかあるが、妥当なのは、この墓はミダス王のものとはみなせないという見方だと思う。ミダス王が史実として実在していたとしても、彼の墓は無いのだろう。

そもそもミダス王が亡くなったのがフリュギア滅亡時だったという今の考え方ならば、滅亡後の王国の首都にこれだけ大きな墓は作れない。実際に、この大きな墓はフリュギアがまだ全盛期だった8世紀半ばに作られているのだ。

現時点では、この墓はおそらくフリュギア全盛期の王の一人のものだが名前は判らない、くらいに留めておくべきだと思う。