資源的に恵まれていたのに覇権は取れなかった…ウラルトゥ国について調べてみた

古代文明の水の利用を調べていたときに、「ヒッタイトと同じくウラルトゥも使える水の量が豊富だった」という話があったので、ほほう? と思ってちょっと調べてみた。まずウラルトゥ国って何ぞや。名前からしてウラルトゥ山脈のあたりにあったっぽい。そこからスタートしてみた。


調べてみると、この国については2つの名称がよくつかわれていた。

Kingdom of Urartu
Kingdom of Van

後述するが、「ウラルトゥ国」は古代のアッカド語での名称、「ヴァン国」はメインランドとなるヴァン湖の名前からとった現代の名称である。


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主要な遺跡は湖畔に集中している。メインランドはヴァン湖畔。
この時点で、「使える水が豊富」の意味を理解。湖と川がたくさんある地域だ。

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なお、ウラルトゥ国はアルメニアの歴史に組み込まれているという記述も出て来たが、確かにここはトルコ・アルメニアの国境沿いになっている。ヴァン湖がトルコ、セヴァン湖がアルメニア、ウルミア湖がイラン。主要遺跡はヴァン湖からセヴァン湖にかけて、アララト山を挟んで見つかっている。

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なお、ウラルトゥ(より正確には"ウラシュトウ")という言葉自体が、アッカド語で「高地」という意味。これはアララト山のことを指すという。つまりウラルトゥは他称で、アッカド語の「アララト山のあたりの国」という意味の名称が元になっている。

バビロニア人の呼称は「ウルアトリ」、ヘブライ人は「アララト」。
アッシリア人はウラルトゥのことを「ナイリの人々」と呼び、ウラルトゥ自身は自分たちを「ビアネ」または「ビアイニリ」と呼んでいたという。

萌芽の成立は13世紀ごろ、国家としての全盛期は前9世紀頃。当初は小王国の連合体で、主要構成民族はフリ人。
全盛期にはアッシリアと覇権争いもしていたが、7世紀半ばには早くも衰退してしまう。戦略としては強固な要塞を築いて、要塞に囲まれた集落を核として広い範囲を防衛するスタイル。城攻めの得意なアッシリアとの相性は最悪だっただろうということが推測できる…。時代の運が悪かったんだろうなぁ(´・ω・`)


フリ人の国家なら言語はフリ語だろうと思いがちだが、最初の頃は当時の国際共通語だったアッカド語を使っていたようだ。のちに自分たちの言語(フリ語系のウラルトゥ語)で書かれた資料も出てくるようになる。ただしウラルトゥに関する資料はウラルトゥから出てくるものよりライバルだったアッシリア側のものが多く、特に覇王サルゴン2世の時代(前714年)の遠征記録は詳しい。

アララト山の付近は早くからワインの生産が行われていた。人類史上初めてブドウが栽培化された地域ではないかという説もあるくらいで、ウラルトゥ国でもワイン造りはさかんに行われていた。

また、プラム、リンゴ、チェリー、マルメロ、ザクロなど様々な果実が栽培されていたようだ。実はウラルトゥのあたりは、栽培化されたリンゴがヨーロッパに入るルート上にある。

栽培リンゴの起源と拡散ルート ちょっと調べておいた。
https://55096962.at.webry.info/201801/article_7.html

現代だと想像がつきにくいかもしれないが、ウラルトゥの辺りは中央アジアとヨーロッパを繋ぐ東西の文明回廊上にある。また、この地域の鉱床には、なんと金、銀、銅、鉛、鉄、スズと必要なものほぼ全てが揃っている。豊かな自然環境とあわせて、この地理的要因が王国の繁栄を支えたのだろうと思う。

…逆に恵まれすぎて、よその国から狙われた、とも言えるが。


Urartu Civilization
https://www.ancient.eu/Urartu_Civilization/

古代世界においては、軍事力あるものが正義である。
え? 現代世界もそんなもんじゃないかって? まぁそうなんですけど、古代世界は現代よりもっと単純に「力こそ全て」だという意味で。

資源に恵まれた豊かな土地は誰だって欲しい。ウラルトゥは、ある一定規模の勢力を持ってしまったその時から、周辺の国や民族から一方的に狙われ続けることになったのだと思われる。特にアッシリアの猛攻はかなり国力を削ったのだろう。また、キンメリア人やスキタイ人などの騎馬民族も攻め込んできたらしい。防衛が間に合わなくなった時、村や町は焼かれ、打ち捨てられる運命となった。

恵まれた環境を持っていたのにあっという間に滅びてしまった王国は、結局、その恵まれすぎた環境ゆえに身を滅ぼしたと言っていいかもしれない。