天空の国チベット ~ちょっとした政治と経済の話

前置きが面倒なのでざっくり書いていくが、日本においては、チベット=中国に不法占拠されている弾圧された土地、というイメージが強いと思う。実際、2008年のペキンオリンピックの際には「フリーチベット!」が叫ばれたし、ちょうどダライ・ラマ亡命から50年になる年だったこともあり、ラサでは大々的にデモが行われ。焼身自殺をはかる僧侶も出た。

しかし実際はどうなのだろう?
現地や実情を見ないで、さも知ったように叫ぶそのスローガンに意味はあるのか?

今回の旅は、ずっと抱いていた疑問やかすかな違和感を辿るためのものでもあった。
そしてある程度のことを知ることが出来た。

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●チベットは弾圧されているか? →YES

これは、中国そのものが思想と言論の弾圧の中にある中で、チベットを含む一部の民族が特別に弾圧されていると感じた、という意味である。
人民は一個の人間である前に国家のものである、管理されるべき存在。これが中国である。ただし実際のところ、面積が広く、多民族国家であるために、実際、国家によって統制されなければまとまることは出来ないとも思われる。国家の形態と統治のあり方は、それぞれの国/地域ごとに異なるのは当然だ。正しい方法は一つではない。つまり中国がヨーロッパの主張するやり方に従う必要は、必ずしもない。

とはいえ、「やりすぎ」である。

そして中国人に対して、元々そこに住んでいたチベット人の権利が制限されているのは、やはり批判されて当然だろう。

チベットには歴史の本はないんです、と悲しげな顔をして言いながら、文化大革命で壊された仏像の話をした人。
チベット人はパスポートの発給が制限されているが、いつかもしパスポートが取れて日本に行けたらお寺巡りをしてみたい、と語った人。
ダライ・ラマ14世は亡命したのではなく逃げたのです、そう言わなければなりません。と、言っていた人。
僅かな滞在で、自由時間もほとんどない中で話をした現地の人たちの言葉である。耐える心を持っていなければ、そこで暮らしていけないのだ。


●チベットは中国から独立すべきか? →NO

しかし、独立という意味での「フリー」は現実的ではない。

何故なら、チベットの政治形態が宗教指導者が政治も行う、政教分離されていない状態で、宗教が優先されるためだ。
現在のチベットは、50年に渡り中国から経済的な恩恵を受けてきている。中国人ばかり優遇されているわけでもなく、飴と鞭というべきか、道路や鉄道、電気などの生活インフラ、インターネットなど、チベット人も大いに利用している。スマホで各お寺のお祭りの日などのお知らせを受け取っているとも聞く。これらは中国の投資あってのものだ。

地方に住むチベット人の大半は、農業や放牧を生業とした低収入な人たちだ。しかも来世に懸けるという宗教上の思想から、現世で稼いだお金を惜しげなくお賽銭に使ってしまう。中国の金銭的な支援がないまま独立すれば、世界最貧の国が出来上がる。これは不幸しか呼ばないだろう。

チベット内でも、既に経済的な格差は生まれている。ラサなど都会に住む若い世代の中には、地方の田舎暮らしや、伝統的な宗教観を否定する人もいるという。それは当然の反応だろう。旅行者でさえ、ラサからちょっと地方都市に行くと、あまりの田舎ぶりと人々の呑気さに驚いてしまう。(とはいえ、その"呑気さ"は、例えば夏のフィリピンの路上で仕事もせずに一日中ぶらぶらしている人のような呑気さなので、チベット固有のものとは言えない。田舎と都会の落差と言うべきか)


そしてまた、ここで想像される「チベット」がどこからどこまでなのかというのも問題である。
外国人は「チベット」といえば「チベット自治区」を想像するのだと思うが、実はチベット族は自治区外にも沢山住んでいる。そして、自治区内はもちろん、自治区外についても、地域ごとの文化の差が大きい。特に言語は、ラサの話し言葉と青海省の話し言葉が相互に疎通不可能だという話をすでに書いた。

そう、だから、「自治区」を独立させてしまうと、周辺のチベット族が大量に取り残されることになるのである。

これはクルド人自治区/クルディスタンの問題と同じだ。イランのクルド人自治区でも独立の機運があるが、もし実際に独立してしまったら、周辺国に大量のクルド系諸民族が取り残されることになる。ちなみにクルド人の言語も部族ごとに差異が大きく、普段はトルコ語など別の言語で意思の疎通をしている。

そもそもアジアの国は多民族国家がデフォなので、一民族一国家、という西洋式の考え方が正しいとも思えない。
やるべきことは、独立した国を作る云々ではなく、思想の統制や言論弾圧を伴わずに多民族国家として巧くやっていく運営方法の確立だろう。

「フリー」チベットは、独立させろという意味ではなく、奪われた自由を取り戻せ、の意味が正しいと思う。


●今のチベットに必要なものは…? →最低限の自由を

今回の旅の中で見ていて「ちょっとこれは…」と思ったのは、チベット人が大事にしている仏教の世界観を、中国政府がないがしろにしていることへの違和感だった。観光資源として利用したいと考えているためか、勝手に寺の周囲にオブジェ建てたり、観光バスが入れる広い駐車場を作ったりしているのはマズいと思う。
あと、かつてのダライ・ラマの宮殿、ポタラ宮に監視カメラとりつけまくってるのもな…。

各寺の僧侶の数が制限されていたり、僧侶の行動が制限されているというのも、2008年の暴動からの警戒だとは思うが、そもそもそうなった原因って何だったけな。という話。それで現地の人が政府に好意的になるはずもなく、力づくで押さえつけるやり方は巧くないと思う。
チベットでは、ダライ・ラマ14世の話はしてはいけないし、絵や写真もご法度だという。実際、街中では、強制的に還俗させられたパンチェン・ラマ10世の写真はたまに見かけたけれど、ダライ・ラマ14世は見かけなかった。

とはいえ、思想や言論の統制はチベットだけでなく、中国全土が「そういうことしてるところ」でもある。
弾圧していかないと纏まりを演出できない悲しさ。押さえつけたものは、いつか必ず反動を生むはずなのだが。

もし中国に余裕があるのなら、ダライ・ラマの亡命政府を呼び戻して、ラサ周辺だけバチカン市国みたいな宗教国家にして権限を範囲内に制限しつつ、その保護国を名乗れば、世間とも折り合いがつくのではないだろうか、とも考えたが、中国が移民にいちばん力を入れているのがラサ周辺で、既に住民の半数が中国人になっている現状では、それも難しいのかもしれない。とはいえ、移住してきた中国人たちにとってラサは過酷な環境だ。長期休みにはラサから去ってしまうというし、果たして、根を張って一生そこに暮らす覚悟まであるのかどうか。

実際に行ってみると、フリー・チベットを叫ぶメディアが言うほどの惨状は、チベットには存在しないように見えた。
インターネットが規制されているとはいえ、中国公式で配信されている日本のアニメなどは見られるらしく、最近放映されたアニメを見ていると言っていたチベットの若い人もいた。またカラオケに日本の楽曲が入っていたり、一部雑誌も入っているようだった。しかしパスポートの発狂がされない、特定の話題がタブー、情報発信に制限がある、など、自由が奪われている面は確かにある。多くを聞くことは出来なかったし、してはいけないことなので、聞き出そうとはしていない(余計なことを外国人に喋ったと分かると、その人が「再教育」されてしまう可能性がある)。

チベットは昔から、モンゴルなり中国の各王朝なり、権力者の庇護を得て宗教的権威を保ってきた地域だ。
その歴史からすれば、現在の大国の一つである中国の庇護下にいること自体は、それほどの問題ではないように思う。ただ、庇護ではなく圧制に近いのが問題なのと、最低限と思われる自由が保障されていないのは、好ましくないと感じる。果たしてこの点が改善される方法はあるのだろうか。




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というわけで、あとはそのへんぷらぷらしながら撮って来た街の何気ない写真
これがラサの裏路地

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地方都市のお寺の門前市

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地方都市の市場通り
チベット人は犬が大好き。死後に魂を導いてくれるからだそうだ。

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なんか中国国旗とか広場とか作られて観光地化されてしまったお寺
泉にお金を投げ込むのは中国人だけだ、と地元の人が嘆いていた。地元の人は仏像にお金をおそなえすることはあっても、池や泉を汚すことはしない。

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街から街へ移動する途中の道路沿いは、ずっと沙漠。
ひたすら続く荒涼とした世界。ヤクか羊の群れが見えたら、次の街が近いなと分かる。

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旅をして答えの無い疑問を抱くことはよくある。
世界には、「xxすれば解決するじゃん」のような単純な問題より、どうすれば解決できるか分からない問題のほうが圧倒的に多い。しかしそれでも、不完全な答えにとりあえず満足して考えるのを止めるよりは、納得のいく答えにたどり着くまで勉強して、情報を集めて、考えるほうがマシだと思うのだ。