チベット初の統一王国から中国占領まで。「裸形のチベット」

チベット仏教の思想についての本とかいっぱい見かけるけど歴史がないなー…と思いながら探していて見つけた、独立国家としてのチベットの歴史の本。最初の統一王国から、ダライ・ラマ14世がインドに亡命する1959年までの通史となっている。

裸形のチベット―チベットの宗教・政治・外交の歴史 (サンガ新書)
裸形のチベット―チベットの宗教・政治・外交の歴史 (サンガ新書)

世間では、北京オリンピックを契機として2008年ごろ、チベットを解放しよう、「フリーチベット」という運動が盛り上がっていた。しかしあのときフリーチベットを唱えた人のうちいったい何人が、チベットの歴史まで辿っていただろうか。中国の「チベットは昔からウチの一部だった」という主張がどこから来ているのか、確かめただろうか。
知らないで感情だけで言ってもどうにもならんぞ。とは、この本の冒頭に書かれていることである。

自分も何となくしか知らなかった部分が多かったのだが、今回、改めて最初から歴史を追いかけてみて情報を整理することが出来た。

まずチベットは、自国で強力な軍備をもつことをせず、その時々の中国なりモンゴルなりの為政者に仏教(密教)の教えを授けることで庇護してもらう、バチカン市国的な生き方をしていたということ。チベットは政教一体で運営されており、僧侶たちのトップ=政治のトップでもあったこと。しかし転生者をトップに据えるシステム上、幼くして見いだされる転生者の教育に時間がかかることから、結果として転生者を教育する担当が実権を握りがちだったこと。

仏教の教えを授ける側と授かる側の仏教国、という関係は、ヨーロッパでいう教皇と皇帝の関係に近い。これは中世であれば容易に想像がつく。しかし教皇が国を持ち、自国の独立を訴えるというのは、現代では考えにくい。中国はもちろん、周囲の国々が急速に近代国家へと変貌していく流れに、山奥に籠って宗教の世界に浸っていたチベットは乗り遅れたのだ。中国が「庇護」していたチベットは、そのまま中国が「宗主権を持つ」地域ということにされてしまった。

(…このへんの流れは、インドを支配していたイギリスが、ロシアを牽制するために武力行使したり余計なことしたのが直接の引き金になっているので、「またお前か」という感じ。)

1949年、チベットを「解放」するという名目で中国軍が入り、イギリスが無関心を貫く中、1951年には押し切られる形で和平条約を結ばされる。しかしこの条約もすぐに守られなくなる。1958年から始まった反乱に対する徹底した粛清の末、1959年にダライ・ラマ14世が亡命。
そして今に至る。


読んでいくと、中国が「昔からチベットはうちの一部だった」と主張するのには無理があるものの、チベット側も中国の各時代の王朝のスネかじりみたいなことをずっとやってきているし、さらに近代化するのが遅れたり、国際感覚が足りなかったりで、色々ポカミスをやらかしている部分もある。

中国軍のチベット占領が国際法的に見てグレーゾーンというかほぼアウトなのは間違いないのだが、経緯を見てみると、チベット側が一方的に被害者というわけでもないんだな、ということが分かる。そして改めて、「イギリスは絶対信用しちゃいけない、余計なことしてイザってときは逃げるぞ」ということを胸に刻んだ…。



というわけで、チベットについて興味あるなら、一度は読んでおくといい本かと思います。