エジプト初期王朝の影響が見とめられる近東の遺跡群について

国境は現代のものであり、そんなもんの無い古代の人は現代の国境とは無関係に動いている。
つまりエジプトに隣接するパレスチナやイスラエルにもエジプト人の活動した遺跡はある。それも紀元前3,000年くらいから。

というわけでパレスチナ・イスラエル・シリアなど近東地域でエジプト関連の遺跡群をちょっとメモしておきたい。
各遺跡の場所などはこのへん参照

前期青銅器時代Ⅰ-Ⅲ期パレスティナ地域におけるセトルメント・パターンの変遷と地域性
http://jswaa.org/jswaa/JWAA_09_2008_061-079.pdf

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ナルメル王の時代に既にエジプトの植民地として扱われていたところを幾つかピックアップ。


●アラド Arad

ベエル・シェバから東30kmくらいの場所にある。聖書に登場する都市アラドと同一かどうかについては所説あり。ナルメル王のホルス名を刻んだ遺物の出土がある。


●En Besor

ネゲブ砂漠の北西。すごく見慣れたエジプト遺物が多数出土している。

https://www.penn.museum/sites/expedition/en-bensor/

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●エル・テラニ Tel Erani

ここもベエル・シェバに近く、聖書に出てくる都市と関連づけられることが多いが、決定的な証拠はない。
ナルメル王のセレク(王名をマークで囲んだ正式な記述)や壷などが見つかっている。

https://www.academia.edu/12581131/Observations_on_the_Early_Bronze_Age_Strata_of_Tel_Erani

遺物の一部はエルサレムにある博物館で見ることが出来るようだ。
https://www.imj.org.il/en/placee/tel-erani


他にもあったが、一杯ありすぎて追いきれなかった…
逆に言うと、それだけの数があるということは、紀元前3,000年時点では現在のイスラエル・ヨルダン南部まではエジプト文化圏に組み込まれていたと言っていいと思う。エジプト化されていたのが都市部だけだったとしても。

また、エジプト文化が入ってきてたということは、その文化の担い手である人間もそこにいたことになる。壷やアクセサリーだけなら庶民が来てたと言えるが、初期のヒエログリフ入りの泥封が出ているなら、一定の知識があり、遠距離交易にもたずさわれる階級の人が来てた証拠にもなるだろう。


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近東より遠くのメソポタミアとの繋がりも、紀元前3,000年には既に存在した。エジプトで発見される、メソボタミア特有の円筒印章や、メソポタミア風のモチーフを使ったジェベル・エル=アラクのナイフハンドルなどがその証拠としてよく取り上げられる。また、遠くアフガニスタンでしか取れなてラピスラズリが継続してエジプトに持ち込まれていたことは、アフガニスタンの鉱山からインド、メソポタミアを経由してエジプトまで続く遠距離交易ルートが成立していたことの証拠として挙げられる。

エジプトの文明が単独で発展した、とか、自然的に孤立した地域にあった、というのは既に昔の説だし、現代の国境や地域の区分にこだわる必要はない。