シュメール(アッカド)の都市遺跡「マラダ」についての資料

シュメールの都市、と言いつつ出来たのはアッカド時代っていう遺跡もある。その一つがここ、マラダ(マラド)。
バビロニア地方の中部にあり、現代名はワンナ・サドゥン(Wannat al-Sa'dun)またはテル・ワンナ・サドゥン(Tell Wannat es-Sadum)。シュメール語/アッカド語での名前がマラダ(Marda)。同時代の大都市キシュから南西50kmほどの距離に紀元前2,700年頃から作られはじめ、アッカド王朝の頃に隆盛を誇り、のち新バビロニアくらいまで存続する。

ちなみにアッカド王朝というのはこのあたりの時代。ウル第三王朝のインパクトが強すぎて影が薄いし省略されてることもあるのだが、ちゃんと資料集とかにもいるはずだから…!

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この町が都市として栄えるのはアッカド王朝の時代なのでシュメールじゃないんじゃない? と言われそうだが、時代的には間違いなくシュメールの一部。のちにバビロニアの王が「シュメールとアッカドの王」を自称するように、シュメール人とアッカド人は一つの都市の中でもまざって暮らしていたし、メソポタミアの南部には両者の都市が存在する。違いは言語だが、長く混じって暮らしていれば互いの言葉は混じる。
成立からの歴史からしても、この都市は、シュメールとアッカドはそう簡単に分けられない、という意味でのキーポジションになるかと思う。


最大人口は5,000人ほどと考えられており、覇権を取ったほかの中枢都市に比べれば少ないが、それでも小さな村落などとは比べ物にならないほどの人口を誇る。

アッカド王朝時代、マラダにはナラムシン王の王子の一人が支配者として配置されていた。また、ウル第三王朝時代の記録としては、ウルの王ウルナンムの法典の前文で「エラム(イラン方面に住む民族)の支配から解放した」として列挙されている都市名の中に含まれている。イシン王朝の時代にはイシンの支配下にも入っている。とにかく色んな勢力の支配下に入り続けており、そのたびに記録で言及されるので各時代の消息が分かる。逆に言うと、この都市単品での遺物などはそれほど多くなく、書庫なども見つかっていない。

都市の守護神はルガルマラダ。これは「マラダ市の主」くらいの意味になるはずで、通称かもしれない。

なお、人が住んでいなかった時代が長いためか、この遺跡は表面に何も残っておらず、現在ではほとんどただの地面の状態。
近くに道路が出来ていて、遺跡のすぐ側を横切っているという話も出てくる。
http://eamena.arch.ox.ac.uk/impact-risks/road-building/

かつては主要都市の一つだった場所も今では田舎の田園地帯の端。新バビロニアの時代から軽く二千五百年以上経っているわけなので、これもまた、時代の流れというやつか。