シュメールの都市遺跡「ニップル」についての資料

シュメール人が宇宙人扱いされるのと、バビロニアやアッシリアと混ぜられるのは、きっと資料がなくてよく分からないからに違いない。なので資料を放流しておくよ。


次はニップルに行ってみよう。
古代のシュメール語の都市名はニップルまたはニブル。アッカド語でニップル。現代名は古代名とよく似たヌッファル。
つづりでは「エンリルの都市」と記載されることが多い。別名として「シュメールとアッカドの境界」「天と地の紐帯」。発掘開始は1888年とここも100年以上前から調査されていて、途中50年ほど発掘が中断されていた時期がありつつ、断続的に現在も続いている。

ここは現存するシュメール語のほぼ全ての文学作品が発見された都市でもある。シュメール語の書かれた粘土板はここニップル出土のものとウル出土のものが二代コレクション。ちなみに発見場所は書記の学校。いわば書記がお手本にするために学校図書館に集められていた資料がそのまま残っているというわけ。

都市国家でもあり、城壁に囲まれた遺跡が出土している。運河を挟んだ都市の面積は約1.3km四方。市街地の北側に最高神エンリルを祀る神殿があった。

この都市も、先に紹介したギルスと同じく都市国家時代に入る以前のウバイド期には既に居住が始まっている。人が住んでいたのは紀元前6,000年頃から、中断をはさみつつ紀元後800年くらいまで。ちなみに、ここのイナンナ神殿は紀元前3,200年ごろから紀元後100年のパルティア時代まで何度も建築しなおされたようで、22層の層をなす。(つまり最低22回、別々の時代に建て直されている)
紀元後400年~700年はササン朝ペルシアの支配に入り、メソポタミア的な伝統はほとんど消え去っていた。

実はこの都市は覇権争いで勝利したことがなく、ほとんどの期間、周辺都市国家の支配下にあった。なので「xx期」のような名前には出てこないのだが、王権の守護者であるエンリルを祀る重要な都市国家であったことは間違いなく、この都市の支配者がシュメール都市国家群のトップを張れるというので、上位国家が支配権を争ったこともあった。(イシンとラルサ)

また、上記のような属性から、時代ごとにその当時の支配的な国家に次々と占領されたことが判っているが、ほとんどの支配者は神殿に敬意を示しており、サルゴン、リムシュ、ナラム-シンなど有名な王たちの多数の奉納品が出土している。

ただし、時代が進むとエンリルは主神の地位を失う。
バビロンが勃興しマルドゥクが主神に近い扱いとなると、エンリルの神殿は無視されるようになり、聖域の中心もバビロンへと移っていった。


この都市で勘違いされやすいのは、いま地上に見えてる遺跡は「後世のもの」で、シュメール都市国家時代のものはずっとずーっと下の方に埋もれてる、ってとこかと思う。
都市の再現図を見た時は、それがいつの時代のものかチェックしたほうがいい。紀元前2000年まではシュメール、それ以降はシュメールじゃないです。

たとえばこのへんの発掘で見えてる神殿の壁など、複数の時代が入り混じっている。
一番古そうな中バビロニアで紀元前1,500年以降。
https://www.penn.museum/sites/expedition/nippur-1972-1973/

wall.PNG


あと「ニップルの都市マップ」として出回っている粘土板に城壁を描いたものも紀元前1500年ごろなので、ウル第三王朝も古バビロニアも過ぎ去って、ヒッタイトがカチ込み入れてくるイベントも終了した後の中バビロニアあたりになる。

↓1,500 B.C.
nippur.jpg

もちろんメソポタミア史としてや、ニップルの通史としてこの図を出してくるのはいいんだけど、厳密には「シュメール」の時代ではなく500年もズレているので、イメージとして使うのは微妙。

またシュメールの時代であっても、都市国家の中には既にシュメール人以外にアッカド人(+それ以外の集団)も多数住んでいて、実際に粘土板の中にはシュメール語以外の人物名も早くから登場している。逆に、シュメール人だけしか住んでいない時代は存在しなかったはずだ。なので、この辺りで人骨が見つかっても、それが果たしてシュメール人なのかアッカド人なのか、そもそも混血が進んでいるのか、といったことは分からない…。