やったのはハットゥシリ1世? トルコ~シリア国境の都市の地下から3,600年前に燃えた都市跡が見つかる

タイトルどおり、トルコとシリアの国境に近い場所の遺跡の地下から燃えた跡が見つかったらしいのだが、今回はなぜか例外的に最初から犯人が名指しされていた。やったのはヒッタイトの王、ハットゥシリ1世じゃないかというのだ。
時代は紀元前1,600年、この時代のヒッタイトはまだ新興の王国で、急速に国土を拡大しつつあった。

※ちなみに記事のタイトルは「3,500年前」だが、これはキリよくするために四捨五入して書いたのだと思われる。本文中では1650 B.C.だし、一般的なヒッタイトの年表でもハットゥシリ1世の在位は紀元前1,650~20年ごろとされている。

Burned buildings reveal sacking of ancient Anatolian city 3,500 years ago
https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2019/08/burned-buildings-reveal-sacking-of.html

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被害にあったのはSam'al(サムアル)という街。
現在の土地の名前はZincirli(ジンシルリ)。

記事にはあまり詳しく記載されていないが、そもそもこのジンシルリ遺跡は新ヒッタイトもしくはシリア・ヒッタイト系の比較的新しい遺跡として知られていて、紀元前9世紀ごろの都市がいま見えているもの。今回の発見はさらに古い時代のものなので、今ある都市の下部を掘っていってさらに古い時代の痕跡を見つけた、という話のようだ。つまり、今知られている都市は破壊されたのち後世に再建されたものだったということ。


破壊の犯人とされているハットゥシリ1世について。
ハットゥシリという名前は「ハットウサの人」という意味で、ハットウサはヒッタイトの首都だったハットゥシャの都の意味でもある。1世はハットウサを首都と定めた王でもある。ちなみにハットゥシリという名前の王様は3人いるが、2世は影が薄く、3世はヒッタイト滅亡直前の紀元前1,250年ごろに在位していた。

確かにこの王様なら大々的な破壊行為はやりそうだし、実際に戦争の記録も残されているようなのだが、調査している大学のプレスリリースなどを見てみても、この破壊の痕跡が何故ハットゥシリ1世のやったことにされているのかが決定的な証拠はないように思われた。時代的には合致しているから、「この時代にこの場所で大規模な破壊行為をするのはハットゥシリ1世に違いない」みたいな感じで特定しているのだろうか。(ちなみに、ヒッタイトによるバビロン侵攻は紀元前1600年ごろ。)

また、破壊の痕跡はあるものの人の死体は見つかっておらず、ここに住んでいた人々は奴隷として売られるなどしたのでは? と書かれているが、普通に逃げた可能性もあるのでそれはどうかなーとちょっと思う。ヒッタイトが征服した都市の人間を大量に奴隷にしていたかどうか検討してからでもいいような。

と、若干の疑念は残るものの、ある日とつぜん破壊されたので、当時の人の生活の痕跡がそのまま残っており、当時の文化について知ることの出来る良い見本にもなっているという点は同意。逃げる暇があったら大事な日常品なんかは持ち出されちゃうしね…。


あと、この国境に近い場所って、ちょっと前まで治安悪すぎて外国隊が入れなかったはずなので、ISの脅威が薄れて少しは落ち着いたのかなぁ、などと思う。