マヤ人「街を焼くぞ!」…マヤ文明の衰退に大規模な戦争が関与していた可能性

文明に対する評価というものは、時代ごとに違うことも少なくない。
マヤ文明についても、かつては「本格的で大規模な戦争は存在しない。あくまで王族や貴族の小規模で儀礼的な戦争だけ」「ただし生贄は多い」という論が強く、比較的平和な文化圏だったと語られることが多かったのだが、近年では「実はけっこう戦争やってた」「むしろ、以前言われてた生贄は言うほど多くない」という論説に変わりつつあるように感じられる。

今回の話も、「定説を覆した」というよりは、既存説が変わりつつある途上にある話の一つのように思われる。

マヤ文明の衰退、従来説を覆す研究成果
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/080600462/?P=1

この研究では、中米・グアテマラ北部の湖の堆積物を調べて、過去に起きた旱魃の証拠を探そうというものだった。マヤ文明の衰退には気候変動が関わっていると考えられており、湖の底の堆積物を調べれば、だいたいどのくらいの年代に旱魃が起きていたのか、その年代と都市の衰退が一致するかがわかる。

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しかし出て来たものは旱魃の証拠ではなかった。
大量の炭化物の存在によって大規模な火災が起き、そのあとにトウモロコシの栽培の痕跡が減少していることが分かったのである。
実際に近くの都市で発掘してみると、意図的に破壊され、火をかけられたらしき建物が見つかっており、これは戦闘の跡だろうと考えられた。さらに、都市跡からは「バラム・ホル(都市名)は焼かれた」と書かれた石碑が見つかり、年代が堆積物と一致したという。

"そこから考えられるのは、たとえ激しい戦争を切り抜けていたとしても、気候の変化によって穀物の栽培が難しくなり、それによってマヤが衰退した可能性があることだ。古典期後期よりもかなり前から激しい戦争が起きていたことを示す証拠は最近になって徐々に増えており、ウォール氏の研究によってまた一つ増えたことになる。"


同じように戦争で火をかけられたことが分かっている遺跡は、たとえばベリーズのブラックマン・エディー遺跡、先古典期後期のセロス遺跡、古典期終末期のヤシュナ遺跡やコハル遺跡など。特にアグアテカやコハルの遺跡は、都市の中心部が敵に破壊され、火をかけられたことがはっきりわかっている例だ。

こうした例により、マヤの世界観は少しずつ書き換わろうとしている。
都市間の戦争は以前考えられていたよりは大規模なもので、時に街に火をかけるような破壊行為も行われていた。気候変動によって食物の栽培が困難になれば、戦争はさらに激しさを増していっただろう。(ただしこれは今はまだ推測にすぎず、今のところ証拠を少しずつ集めている状態)

ちなみに「イケニエはそんなに多くなかった」という例では、とらえてきた敵の捕虜を必ずしもイケニエにしておらず何年も生かしておいたり後に釈放したりした例が見つかっていること、球技大会で負けたチームを生贄にするという伝承が史実では証拠が見つからず、最近の研究では、そもそもの根拠が神話なので見直しが必要だと言われていることなどが挙げられる。

いつか未来に出る本では、マヤの世界観は以前とは全く違ったものになっているかもしれない。