もしも自分が「表現の不自由」展をやるとしたら。

色々モメてほうぼうで騒ぎになっていた「表現の不自由」展。
何が問題だったかというと結局は、

 税金を使って一思想のみに傾倒した政治的なプロバガンダをやらかしたこと

だったと思う。(一思想のみでなく、左右両派を均等に配置していればここまで炎上はしなかったのだろうが…)

つまり「表現の不自由」について語るものではなく、自分たちが理想とする世の中にならないから敢えて世の中に(むりやり)議論を呼び起こしてやろう! 話題になればいーや! という、炎上商法みたいなものをやらかして、結果として展覧会は中止に追い込まれ、それがさらに「表現の不自由」へと繋がったわけである。展覧会の趣旨からすれば真逆の最悪の結果であり、この結果が分からなかったのなら主催者と企画者はかなりのお花畑だろう。また、展覧会が中止に追い込まれたことに腹を立てている人は、もう少し視点を引いて考えて欲しいのだ。「果たして、企画の趣旨とあうメッセージ性はあったのか?」と。

で、文句を言ってもしょうがないので、もし自分が「表現の不自由」という題材で展覧会をやるなら、何を展示するかを考えてみた。


●まずヴィレンドルフのヴィーナスを展示したい

コレである。

VenusWillendorf.jpg

レプリカでいいので、これを出したい。なぜなら、この約2万5000年~3万年前という古代の裸体は、ポルノとしてFacebookから締め出された経歴を持っているからだ。

3万年前の裸婦像がポルノ? 検閲で削除したFacebookが謝罪
https://www.huffingtonpost.jp/2018/03/02/facebook-venus-ghianda_a_23375019/

"この彫像が問題になったのは2017年12月に、イタリアの芸術家ラウラ・ギアンダさんがFacebook上に投稿したことがきっかけだった。

画像が「危険なポルノ」として検閲で削除された後、ギアンダさんは「このような検閲は恥ずべきことで、抗議に値します」と反発。この像を展示するウィーン自然史博物館も「3万年間、彼女は衣服を着ていなかった。ヴィーナスは裸のままで良い」と、検閲を批判していた。"


古代の裸まで検閲されてしまい、抗議するまで撤回もされない。こんな世の中じゃポイズン(古い)。
これが検閲された経緯とFacebookへの皮肉の説明パネルをつければ完璧。


●エロ・グロは必須。というわけで

永井豪のマンガとか出したいですね。最初に発刊された「キ〇ガイ」とかのセリフがそのまんまのやつ。
最近の重版だと、どぎつい単語は消されているらしいので。言葉狩りもまた「表現の不自由」の代表例。


●なぜか日本ではタブー視される、春画も出したい

現代のマンガを出すなら昔のマンガも、というわけで春画も。海外では高評価だったのに国内では「エロいからダメ」という評価で近年まで展覧会すら開かれていなかった。その展覧会も、イメージダウンを恐れた企業がどこもスポンサーにつかず、クラウドファンディングで開催資金を集めるというありさまだったのは記憶に新しい。
世界に誇れる日本文化でさえこのありさま。これを「表現の不自由」に入れずしてどうするのか。

日本初の春画展、苦難の開催 スポンサーゼロ、苦情に怯えながら
https://www.j-cast.com/2015/05/22235926.html?p=all


●暴力もあっていい

「表現の自由」をうたうのであれば、暴力的な描写だって当然入っているべきだろう。
ただ、これは今の自分だとなかなかいいネタが思いつかなかった…。単純なバイオレンスではなくて、何か。はだしのゲンとかは有名過ぎるし、なんかいいのないっすかね。


●戦車とか戦闘機とか

左向けの人に厳しく規制される戦車や戦闘機、日章旗とかそりゃもう必須ですよね。
最近も実際に、増刷させてもらえなかった本とかあるんだし。

講談社「はたらくくるま」増刷中止 戦車など自衛隊特集「不適切」指摘を受けて
https://news.nicovideo.jp/watch/nw5696552


今回の展示会に決定的に足りていなかったのがまさしくこの方向。左と右を両方展示してりゃ、大炎上はするだろうけどまだ中立は謳えたんじゃないですかね…


●社会福祉とか職業実習生の何かとか

右向けの人に規制されそうなやつといえば、このあたりかな…あまり公に語られずに闇に葬られてる左系の話題って、正直、隣の国の話とかよりこのへんだと思うんだ。


●韓国で発禁となった「帝国の慰安婦」も展示しておきたい

どうせ慰安婦関連とか出すなら、これじゃないかな。
どちらの国に対しても中立に近い視点と思われる本なのに、なぜかとなりの国では発禁&著者は告訴→有罪という、中世の宗教裁判じみたことをやっている。

「帝国の慰安婦」の著者、朴裕河教授に有罪
http://www.donga.com/jp/article/all/20171028/1109029/1/%E3%80%8C%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%80%8D%E3%81%AE%E8%91%97%E8%80%85%E3%80%81%E6%9C%B4%E8%A3%95%E6%B2%B3%E6%95%99%E6%8E%88%E3%81%AB%E6%9C%89%E7%BD%AA

日本ではこの本どころじゃない過激な(そして根拠の薄い乱暴な)言説を出す人はいるけれど、その人たちの本が発禁になったり有罪判決食らったりはしてない。というか、内容に問題があると主張するのであれば、根拠をぶつけて反論するのが当たり前。こういうのが、言論弾圧、表現の不自由でしょう。


●股間を規制されたダビデ像

以前、名画で少女がふとももを露わにしているのが不適切、として撤去せよとの署名が集まったニュースが流れていた。

バルテュスの絵画は少女を性的対象としている? 撤去の署名に8千人が同意
https://news.livedoor.com/article/detail/13987084/

こんなのもダメと言われるいまのご時世。そのうちダビデ像の股間(包茎)にも規制がかかると確信しているので、ぜひとも股間にイチジクの葉を貼り付けたダビデ像のレプリカを出したい。聖書ネタを知っている人はさらにクスリと出来るはず。

他にも、約2,000年前のエジプト・アレキサンドリアを舞台にしたゲーム「アサシンクリード・オリジンズ」の全年齢版では、ギリシャ風彫刻の股間が規制され、貝殻が張り付けられたため話題となった。古代世界を舞台にして、史実を追求して作られたゲームなのに、なぜ股間が規制されねばならなかったのか。非情に興味深い問題である。
ちなみにゲーム内では、歴史的に男性しか就くことのなかった職業や、男子しか通わなかったはずの学校に女性がおり、ディスカバリーモードでは「この部分は、あえて史実に従う必要はないと思いました」といったキャプションがついてくる。要するにいろんな国でいろんな人に売るために「あたりさわりのない」方向に変更したバージョンと言えるが、配慮と言う名の表現規制の代表例だろう。

『アサシン クリード オリジンズ』の「ディスカバリーツアー」にて“彫刻の性表現”が規制される。往年の芸術が、マーメイドが如く姿に
https://automaton-media.com/articles/newsjp/20180222-63384/

saa.PNG



●文化盗用と騒ぐ人たち用のアレ

一時期ネットで話題になったアイヌ文様の着物とか、あれも表現の不自由だと思う。
文化というのは混じり合うのが当たり前だし、文化を使うのに権利も許可も必要ないのにね。

似たような騒動は海外でもあり、「日本人でもないのに着物を着るのは恥知らず」と、なぜか当の日本人ではない人々が抗議したという事件があった。

ボストン美術館の「キモノ試着イベント」が中止に 理由は人種差別、白人至上主義?
https://www.huffingtonpost.jp/2015/07/11/museums-kimono-wednesdays-cancelled-after-claims-of-racism_n_7774766.html

"ボストン美術館は7月7日、巡回展で行われていた着物の試着イベント「キモノ・ウェンズデー」を「人種差別だ」という抗議を受けて中止にした。

中止となったのは、クロード・モネの「ラ・ジャポネーズ」の前で着物に触れてみたり、試着して絵画の前で記念撮影できるイベント。ソーシャルメディア上で「文化的に無神経で人種差別だ」との抗議の声が広がり、美術館の現場で抗議する人たちも現れた。批判はさらにエスカレートし、「用意された衣装は正確に言うと着物ではなく打掛だ」という抗議まで起きている。"


というわけなので、ぜひ絵画にそっくりの金髪マネキンに打掛を着てニッコリしていてもらいたい。
その隣には西洋人のもののはずの背広を着て堅苦しく立つ日本人風のマネキンを置くこともお忘れなく。



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ほらぁーちょっと考えてみただけでこんなにネタが一杯あるじゃないですかぁーー!
表現の不自由でクスっとしたり、うむむって考えたりできそうなネタがぁー!

美術だの芸術だのいうものはやっぱ、ちょっと考えるような捻りが無いとつまんないですよ。


あと、今回の件で気が付いたんだけど、どうも自由を勘違いしている人が多いような気が…
自由とは、何をしてもいいという意味ではない

当然のことながら、「金閣寺を燃やすのはアートだ!」と言って火をかければ犯罪行為だし。
人種差別的な発言をすればヘイトスピーチに引っかかるし。

そうした法律に引っかる範囲をのぞいても、「やるべきではない」ラインは存在する。

これは「表現の自由」と「それを批判する自由」、「表現の自由」と「批判を受け付ける責任」はセットである、ということを考えればわかると思う。表現したものが著しく誰かを傷つけたり怒らせたりするものであれば、それだけ批判も風当たりも強くなる。これが行き過ぎた悲劇が、シャルリ・エブドがムハンマドをネタに風刺画を描いてテロ被害に遭った事例だろう。

「自由」を行使する人は、それに対する反撃を「自分で」受ける責任を前提としていなければならない。
他人に殴りかかければ同じ強さで殴り返されるという当たり前の話である。

だからこそ、自由はそれを高らかに謳う前にまず、他者への思いやりを考えなければならない。
自由を振りかざした同士がガチで殴り合うと、あとに残るのは焼け野原だけなのだから。