失われた3,500年前の記憶 ミタンニ時代の宮殿がモースル・ダムの底から出現

ミタンニは、かつてエジプト・ヒッタイトとともに東地中海世界で覇権を担っていた帝国の一つ。

イラクの北、クルド人の住んでいるクルディスタン地方にあるモースル・ダムが旱魃で干上がり、ダムの底に沈んでいたミタンニ時代の宮殿跡が浮かび上がってきたらしい。
イラクで他にミタンニの遺跡っていうと、目の偶像で有名なテル・ブラクくらいしか浮かばない。いまだ謎に包まれた帝国。
ミタンニの遺跡は実はあまり見つかっていないので、これはかなり貴重な発見だと思われる。

Archaeologists uncover palace of the Mittani Empire in Iraq's Kurdistan Region
https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2019/06/archaeologists-uncover-palace-of.html
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時代としては紀元前15-14世紀、青銅器時代。
見つかったの自体は昨年の秋、だそうだ。

なお、ダムの底にあることからも判るとおり、雨が降ればこの遺跡は再びダムの底へと姿を消してしまう。そのため緊急発掘で大急ぎで記録されている。ドローンを飛ばして360度映像を記録してるので、遺跡の3Dなども作れると思う。
また、現地で楔型文字の刻まれたタブレット(水に沈んでもいけるってことはおそらく焼成)が10枚ほど見つかっているそうなので、解読も期待したい。今のところ、今回の発掘地Kemuneの古代名は Zakhikuで、紀元前1800年ごろから400年ほどこの場所に存在していたと思われる、というところまで分かっているようだ。

また、注目したいのは「赤と青の明るい色合いの壁画の残骸」が発見されたといってるところで、エジプト以外で紀元前2千年紀の色鮮やかな壁画が残ってるとこってほとんど聞かない。これはかなり貴重なものではないかと…。
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ミタンニが崩壊するのは、紀元前1350年ごろ。
ヒッタイトは、その約150年後に姿を消す。
この遺跡の年代推定が正しければ、ミタンニ崩壊の約50年前とかなり近い時代に都市が放棄されていることになるため、ミタンニ衰退の原因の手がかりが何か見つかるかもしれない。
ここには、めまぐるしく変化していく東地中海世界の歴史の一頁がある。

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余談だが、このダムはかつてこの辺りに過激派組織のISが台頭していた頃は一時期、支配下に置かれたことがあり、奪還まで緊迫した状況が続いていた。
また、ダム自体の耐久度などに問題があり、いつ決壊してもおかしくないと言われていたこともある。巨大なダムのため、決壊するとティグリス川の鉄砲水が下流のバグダットを飲み込んで、神話の時代の大洪水の再現になるという。
現代のイラクにとっても、かなり重要な場所なんだよ。という豆知識。

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おまけ

ミタンニ-ヒッタイト間の条約に出て来るインドの神様と、当時の人の流れを考える
ミタンニの中核となったフリ人自体は非インド=ヨーロッパ語族で、フリ語はウラルトゥ語が最も近いのだそうだが、貴族などに一定数のインド=ヨーロッパ語族の人がいたと考えられている。

フリ人は馬の飼育に長けていたことで知られるが、ウラルトゥ語が使われていたアナトリアの東のほうが故郷だとすると、馬の飼育化が始まった可能性があるとされるコーカサス地方に近いので、彼らの故郷や素性にある程度の筋道が見えてくることになる。
文化的にヒッタイトに近かったのも、故郷自体が近かったからなのかな、とかちょっと考えてみたりしてるけど、なにしろフリ人自体の情報が少ないので仮説の域を出ない。まああれですよ、歴史って…面白いですよね…!