今年も(以下略) 第26回西アジア発掘調査報告会 二日目まとめ

二日目まとめっていうか初日は仕事だったんで二日目しか聞いてないけど。
今回も一般参加枠でこそっと隅っこに紛れ込んできたので、とりあえず忘れないうちに内容まとめ。

http://jswaa.org/meetings_all/session/

【イランの調査】

報告⑬ イラン南ホラーサーン州、カレ・クブ遺跡の第1次調査―イラン東部最古の農耕村落を求めて―東京文化財研究所研究員 安倍 雅史

「イラン東部最古の農耕村落を求めて」と見せかけて、途中でタイトル変更「最果てのウルク文化」。
前段として、農耕のはじまりは肥沃な三日月地帯とされるが、今まではその西側のシリア近辺ばかり調査されていたこと、東のザグロス方面はかつては政情不安であまり調べられていなかったことが語られた。しかし現在ではシリア側の治安が悪く、逆にザグロス側が良くなっているため、ザグロス側のイランで調査されはじめている。

で、カレ・クブ遺跡で農耕村落を探していたのだが残念ながら見つからず…代わりに見つかったのがウルク文化の土器群だったのだそうな。これはまだ調査中なので確定ではないらしいのだが、ウルク期、もしくはその後のプロト・エラム期に属する土器で、紀元前4000年紀~3000年紀初頭に既にアフガニスタンに近いところまでメソポタミアの文化が進出きていたことが分かるという。
従来知られていたプロト・エラム文化の範囲を600キロも東に入ったところらしいので、確定すると文化地図書き換え内とですかね。

ちなみにメソポタミアは資源ない地域なので、必要な資源は外の地域にとりにいくのが基本。ラピスラズリを輸入していたことも判っているので、この遺跡はおそらくその宝石の輸入ルートに関わりがあるんじゃないかと思う。

画像


【アラビア半島の調査】


報告⑭ アラビア半島の遊牧化―ワディ・グバイ遺跡群の第3、4次発掘調査(2018年)―金沢大学・歴史言語文化学系教授 藤井 純夫

あまり研究されていない、アラビア半島の遊牧文化の成立についての調査。銅石器時代~前期青銅器時代に遊牧民が砂漠の中に祖先崇拝のための神殿を築き始め、それが大型化していく発展過程の話。遊牧生活をしていると、死者が出た場合は死んだところで埋めて、決められた祭祀施設で魂だけを祀る(そこに帰って来て拝む)という感じの流れになるそうだ。
これは、のちのナバテア文明(ペトラ遺跡で有名)に継承される文化の在り方。

* このへんの話もあって、神殿を築くのに定住生活や農耕文化は必要ない、というのが最近の主流



報告⑮ 古代ディルムン王国の起源を求めて
―バハレーン、ワーディー・アッ=サイル考古学プロジェクト2018―
東京文化財研究所研究員 安倍 雅史

ディルムンとは、インドとメソポタミアの間に成立して交易の中継地点をやってた国。現在のバーレーンあたりにあった。そのディルムンの「形成期」にあたる紀元前2500-2000年あたりの時代の古墳がこの調査のターゲット。
バーレーンは最近めっちゃ開発しまくってるので、世界遺産登録されていない古墳は壊されまくっており、残っているものも既に周囲はビルに囲まれていたりする。また、ほとんどの古墳が盗掘を受けており、気候から人骨などの残りも悪いらしい。

貴族階級のものと思われる大きめの古墳ではなく一般人の墓と思われる小さいのを掘ってみた、というのが今回の話で、一般人の墓にも拘わらずインドから持ち込まれたカーネリアン・ビーズや、香油が入っていたと思われる土器などが見つかっているという。これは、一部の特権階級だけが交易品を手にしていたのではなく、下々まで行き渡っていたことを示す発見だとか。
それと、ディルムンがシリア砂漠からやってきたアモリ人の王朝だったらしいことが明らかになってきているそうだ。
つーことは彼ら、ウル第三王朝が衰退する前から近くにおったんやんけ。誰やねん蛮族扱いしたんは。取引先のTOBやんけ。


報告⑯ バハレーンにパルミラの隊商の痕跡を求める―バハレーン、マカバ古墳群第1号墳第二次調査2017、2018―奈良県立橿原考古学研究所技術アドバイザー 西藤 清秀

紀元前3-紀元後7世紀にパルミラ人がティロス期の社会にどんな影響を与えたのか、という調査。
古墳群はほとんど盗掘されているそうで、あまり遺物が出て来ていない…。漆喰の棺と、運がよければその中に人骨があるくらい。ただ状態が良くなくて、あまり成果が出ているようには見えなかった。

科研費データベースの情報でも、「保存状態のいい人骨を見つけて調査したい」とあり、残ってそうな古墳をこれから掘るそうなので、まだ途上という感じの話だった。
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-16H02725/



報告⑰ ポルトガルが襲ったコールファッカンの町壁
―アラブ首長国連邦オマーン湾岸の中世港町、2018年―
金沢大学名誉教授 佐々木 達夫

コール(2つの)ファッカン(湾)と呼ばれる港町の調査。16世紀はじめにポルトガルが攻撃して人口が減ったらしく、17世紀以降はほとんど民家のない状態。ただし最近は開発速度がすさまじく、湾が埋め立てられて港になってたり、砦のあった山が丸ごと削られて消失していたりする。

ポルトガルが攻め込んだ時代にあった、町を囲む壁を発掘して町の広がりを確かめた、という話で、当時の町は意外と小さかったことが分かったらしい。壁は幅2mくらいなので、高さも幅に比例してそんなに高くなかったはずだ、とのこと。



報告⑱ サウジアラビア紅海沿岸ハウラー遺跡の考古学調査(2018)―中世の港町とその後背地―早稲田大学総合研究機構客員教授 長谷川 奏

ハウラーは、ムハンマドの子孫が住んでいたと伝承された町らしいが、12世紀には飲料水の質の悪化や十字軍による治安の悪化で放棄されたそうな。エジプトからメッカヘの巡礼路上にあたるという。(ただし9世紀までは主要ルートではない)
紅海に面しており、9-11世紀には重要な湾港だったはずだがほとんど調査がされていないという。

周辺で見つかるペトログリフ(岩に刻まれた碑文)はワスム(部族のマーク)やアラビア語でのアッラーへの祈り、サムード文字D、C。さらにラクダの絵など。意外にもナバテア文化の影響はあまり見られないらしい。
7世紀以前の状態が不明な町らしく、ローマ時代の遺物が出てくるかどうかが一つの着目点だと言われていた。



【エジプトの調査】


報告⑲ 古代エジプトクフ王第2の船発掘・保存・組み立て復原プロジェクト―エジプト・ギザ遺跡・2018年―東日本国際大学教授 黒河内 宏昌

ピットから木片と化した船パーツを取り上げて復元する作業。取り上げ作業がだいぶ進んだけどあと2割残ってる、とのこと。来年には取り上げは完了させる。下の層にいくにつれ重みで木材がつぶれており、粉みたいになってるところもあって大変だとか。また変形してしまってるパーツもあり、元の形に復元するときに直す必要があるかもしれないので、最低限壊れない程度にしか固めていない。

既に復元された第一の船と基本的な構造は似ているようだが、違うのはオール受けと思われる青銅のパーツが船べりにたくさん埋め込まれていること。また、大量の船のオールが発見されている。これは同時代の墓の壁画にもあり、この船が実用品だったことを思わせる。

逆に言うと既に復元されてる第一の船のほうのオールは実用的ではない形に組み立てられているようで、もしかしてあれ間違ってるんじゃ…? とかいう話もちらっと出ていた。なにしろ組み立てされたのがだいぶ昔なので、当時の知識だとやらかしちゃった可能性もなくはない。ただ本当に第一の船と第二の船で構造が違ってた可能性もあるので、今後の調査まち。


ところで、あの、クラウドファンディングしてたアレどうなったんですかね?



報告⑳ 紀元前2千年紀エジプトの葬制の変遷を探る―ダハシュール北遺跡第25次調査(2018)―東日本国際大学エジプト考古学研究所客員准教授 矢澤 健

あまり書ける内容のない調査だったので飛ばし


報告㉑ ネクロポリス・テーベ研究―エジプト、ルクソール西岸アル=コーカ地区、第11次調査―
早稲田大学文学学術院・早稲田大学エジプト学研究所教授 近藤 二郎

ウセルハトの墓を再調査しにいったら別の墓見つけちゃったんですけど、からスタートして、その墓の奥にさらに別の墓が繋がってたのでまだ発掘しているらしい。そして発掘で土砂をのけたら墓が崩れそうなのでまず補強からしているらしい…。
ついでに見つかってしまったコンスウエムハブの墓は壁画がきれいに残っているのだが、実は半分くらいは未完成で下絵のみ。また天井の模様は墓が使われた第19王朝の時代のものというより第18王朝のトレンドなので、再利用ではないかという説もあるらしい。
墓内部の壁画から、かつては墓の上部にちいさなピラミッドが載っていたことが予想されるため、その基礎部分が発掘されることも期待しているとか。


報告㉒ 王朝時代末期の庶民墓地―エジプト・アコリス遺跡の調査(2017・2018年度)―公益財団法人・古代学協会客員研究員 辻村 純代

かなり長いこと発掘されている遺跡で、これまではプトレマイオス朝からローマ支配時代がメインだったが、最近は町が形成されはじめた時代にさかのぼろうとしているらしい。

ミイラCTスキャンによる歯周病の衝撃。怖い怖い。ミイラがねっとりしている理由は内臓を抜いていないから…。つまり作りが手抜きもしくは廉価版。
人間を入れるCTスキャンにミイラも入れて診察してしまうエジプトさんのおおざっぱさよ。
革靴の埋葬がたくさん出て来てるけど女性と子供がほとんど。新生児シューズもある。

大量のブタと、なぜかスッポンの骨が見つかっている。豚は日常的に食べられていた。スッポンもあるいは。

ミイラの中に、くるんとカールした特徴的なひげを持つ男性がいた。金髪っぽい髪の毛をしている。また12-13歳くらいで同じく金髪の少女が見つかっている。町が作られはじめた形成期のアコリスに異国人が住んでいた? 少女の棺が意図的に打ち壊されているのも謎。


========================
以上 ざっとここまで
======================



初日分も資料はもらったので後日まとめるかもしれない。かも。
えっ年度末? 新年度対応?? 何だったったけそれー(現実逃避中