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zoom RSS アフリカの創世神話とアフリカならではの「原罪」感

<<   作成日時 : 2018/09/11 00:10   >>

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なぜか本屋がアフリカ神話をプッシュしていたのでホイホイ引っ掛か(以下いつもの)
というわけで、アフリカの創世神話についての研究本を読んでみた。アフリカはひさびさだなー。

アフリカの創世神話
紀伊國屋書店
阿部 年晴

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アフリカ神話との対話
三恵社
2018-03-16
阿部 年晴

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アフリカは、もちろん様々な部族・地域からなる場所なので、それぞれに神話が異なる。
日本語でアフリカ神話っていうとディンカかドゴンが言及されることが多い気がするのだが、この著者はディンカ、ルグバラ、ドゴン、フォン、ロジ族など色んな部族から集めてきているのである程度視野は広い。ちなみにディンカ族はナイル最上流、ドゴン族はニジェール川領域で、それぞれ過去に高度な文明を築いた地域に近いところに暮らしている。

アフリカの神話は口伝であり、今も少しずつ語られながら変容していく力をもつ生きた神話である。なので100年前に聞き取りされた内容は、さいきん聞き取りされた内容と異なる可能性がある。また、いずれの地域も他の部族やヨーロッパなど他地域の文化と接触しているため、たとえば、西洋的なエピソードが過去のいつかの時点で取り入れられた可能性がある。

そうした前提を踏まえてみてみると… アフリカの神話は実に面白い。
なんとなく西洋的なエピソードや、アメリカ先住民の神話に出てくるのに似たような展開もあるにもかかわらず、それに対する解釈や心情的な反応が大きく異なる。

具体例を挙げると、創世神話に出てくる「原罪」である。

部族の祖先が、何らかの罪を犯して天を追放される。
あるいは何かやらかして、人は死すべき運命を背負わされる。
にも関わらず、「それはそーいうもんだから。」と肯定する。神に対して自らを責めたりはせず、天と別たれたことを悔いもしない。
聖書にあるような、失楽園の悲しみは存在しないのである。

ディンカの創世神話では、ある女が長すぎるきねを振り上げて至高の神にあててしまったために神が去ったとなっている。聖書の神話やギリシャなど地中海世界の神話であれば、欲に見舞われた愚かな女の罪が人類を貶めたことにされるだろう。しかしこれも「そーいうもんだから。」と語られるのみ。

そもそもディンカの神話では男女の魂は同等で、ふたつ一組の決して欠けてはならないものとされている。神話の語り手は男の長老だが、自らの魂の半分である女を悪者にすることはない。女がきねを神に当てるのも、きねを振るって穀物を潰すのが女の役目だからである。別の神話で銛が使われるときには男が役目を担う。男女平等、などとカッコつけて言うまでもなく「そーいうもんだから。」という飄々とした語り口が、地中海世界の神話のパターンに馴れているところにはとても新鮮だ。

「神話とは何なのか」。
そして人はなぜ神話を語り続けてきたのか。

語り手のいなくなった古い神話とは違い、アフリカの神話は語り手がおり、語り手がいる限り、変化しつづけ、広がり続ける。生きているからこそ、なぜ今もまだそれが必要とされるのかを考えることになる。アフリカ神話の世界は、実に興味深い多くの示唆がちりばめられている。

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