オホーツク文化からアイヌ文化への繋がり資料。

むかーしオホーツク文化の講演会を聞きに行って、そんとき今ほど知識がなかったのとキチンと資料残してなかったのとで記憶が微妙なので、もう一回やり直すことにした。というわけでいつもどおり我らが市民税で経営されている図書館を襲撃してきたぞ。どん。

オホーツク海沿岸の遺跡とアイヌ文化
北海道出版企画センター
菊地徹夫

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よさげな本が見つかったものの、しょっぱなから個々の遺跡の説明とかスタートして導入とか概要とかが無いという、なかなか突き放した感じの構成。

まず知っておくべき基本的なこと

●北海道には弥生時代という分類がない

●縄文時代終了後、続縄文→擦文文化→(考古学上の)アイヌ文化 ※アイヌ集団の成立とはちょっと時代がズレる

●これは北海道中心の流れだが、北はサハリンとか、南は東北あたりとかも文化的には一部カブる

で、そこに縄文文化の担い手とは別の、オホーツク文化という海沿いに住んでた人々の文化が混じる。

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年表+ミトコンドリアのハプログループ解析結果だとこうなる。

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オホーツク文化の担い手については不明点が多いが、たぶん北方から渡って来た民族だろうと考えられている。
日本の北の方では北の方から新たな人間集団と交じり合い、南の方でも南からの人間集団と交じり合って、本州には弥生文化をもたらした大陸からの人間集団が交じり合う。という形で地域差が生まれていくが、これはその一つの例ということ。

オホーツク文化は縄文文化とは明らかに違い、のちのアイヌ文化の成立にも影響を与えたと考えられている。

ただ今のところ問題があり、縄文→続縄文→擦文文化までは繋がりが追えるが、その後、遺跡の数が減り、中世アイヌ成立までの間の遺跡があまり見つかっていないのだという。同じ場所にずっと集落が作られていたなら文化層が上へ上へ重なっていくのだが、そうはなっていないところが多いそうで、気候変動などで一時的に集落が移動したか、何らかの理由で極端に人口が減少して集落が減ってしまったかもしれないらしい。

また、オホーツク文化の担い手が、最終的にアイヌに吸収されたのか、どこか移住していってしまったのかも分からないという。(DNAを見る限り、擦文文化のあたりで少なくとも一部は融合したっぽい)

そのあたりは、この本ではまだ「謎」とされていたので、今もまだ研究中なんだと思う。縄文といったら東北のイメージが強いけど、北海道の遺跡も結構面白い。


あと、これを調べている最中に北海道にいくつかストーンサークルがあることを知った。
http://hokkaido-travel.com/spot/visiting/ho0527/

縄文時代のストーンサークル…これ宗像教授が行くと何か起こるやつや間違いない…!