果てしなき旅路 そして「黒い山」へ

イスタンブールで見た謎の象形文字から始まり、象形文字ルウィ語に至り、「えっ ヒッタイトって100年前には知られてなかったの?!」な衝撃の事実を知りそこから派生して、ようやくツェーラムにたどり着きました。

狭い谷,黒い山 (1959年)
みすず書房
C.W.ツェーラム

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この「狭い谷 黒い山」は、ヒッタイトの「発見」に関わる一連の流れを、わかりやすく書いてくれている本だ。「狭い谷」、「黒い谷」は、それぞれヒッタイト研究のターニングポイントになった遺跡のある場所を指している。
発刊は1975年、ということで研究内容は今からすると古い部分もあると思う。が、ヒッタイトの発見は、この本が出るわずか70年前だった。そして、本が出た当時、日本ではまだヒッタイトという名を知る人は少なかった。

最近の本では、ヒッタイト帝国が既にはるかな過去から知られていたかのように書かれているが、日本におけるヒッタイト認知は実は最近始まったに過ぎないんだな… と、改めてシミジミと思う。



ヒッタイトの「発見」と書いたが、実際にその帝国は長年忘れ去られて、誰にも意識されることはなかった。
聖書に登場する「ヘテびと」「ヒッティ」は長年、実在しないものと考えられていたらしい。ヒッタイトが発見され、その名前「ヒッタイト」が読まれてはじめて、聖書の記述との対比が始まったという。

現代人の感覚からすると、聖書は嘘八百、一片たりとも歴史の指標には成り得ない、と思ってしまうのだが、この場合は聖書の記述のほうが正しく、かつてエジプトと覇権を争ったと書かれているという例だ。確かに、聖書もまた、民族の「記憶」だる伝説の集合体である。伝説はまっさらな場所からは生まれない。多くの場合、何がしかの真実や歴史的出来事を元に、それを変化させて作られるものなのだ。


また、本にも書かれているが、住人たちは粘土板のかけらを羊の群れを追うのに投げていた、という。またある村では、文字盤が病気をなおす魔法の道具だと信じて壁に埋め込んでいたという。ヒッタイトは、1830年代にそこを西洋人が訪れるまで誰にも「発見」されなかった。遺跡は地表に出ており、現地住人はよく知っていたにもかかわらず、である。
エジプトの場合も似たようなものだが、得てして大発見とはそのように「目に見えている」が「正しい意味を理解されていない」ものなのだ。


そしてまた、ヒッタイトは発見されてからも、すぐに人々の興味をかきたて、研究が開始されたわけではなかった。同時代はエジプトと、メソポタミアの研究が盛んで、そちらが人気だったからだという。
シャンポリオンがヒエログリフ解読の突破口を見つけるのが1822年。
ヒッタイトの首都ハッティシャシュが「発見」されるのが1834年。

語りはじめた膨大なエジプトの碑文を前にしている学者たちの目を、まだ存在の確定していないヒッタイトに向けさせたのは、エジプト側で既に発見されていた、ヒッタイトと交わされた外交文書だったようだ。まずエジプト学の盛り上がりがあり、そのエジプトに匹敵する勢力を誇ったヒッタイトが存在した、というところから、発見されつつあった小アジアの謎に満ちた遺跡が、そのヒッタイトなのではないか? という方向に流れていったらしい。

だから、エジプトとヒッタイトの和平交渉碑文の発見は、エジプト側が先に見つかっており、それと同じものをヒッタイトの首都候補地で探した、という順番になる。そして、ヒッタイト側の碑文が見つかった場所、現在のボガズキョイが、ヒッタイト帝国の首都だったと確定された。1906年のことである。
この時をもって、数千年も忘れ去られていたヒッタイトの首都は再びこの世に蘇ったのだと言える。


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…うん、あれだ。
そんなの全然知らないまま現物見に行っちゃったよ、ごめんなさい状態。内容だけじゃなく発見の経緯も重要だったんだねコレ。エジプト本だと発見の経緯はほぼ抜きで、昔から知られてましたよーくらいの勢いで、わりとさらーっと書き流されてるしなあ。

こういうのが発掘とか古代史とかのロマン、なんじゃないのかな。
大昔に2つの大帝国の、ふたりの王の間で交わされた約束の印が、何千年も経て、何千キロも離れた2つの場所で見つかりました、…って、それだけで凄いよね。



いやしかし、この時代の本だとまだ、象形文字ルウィって出てこなくて、「ヒッタイトの象形文字」とアバウトに書かれているんだね。解読も途中までしか進んでいなくて、内容わかりませんって感じで終わっている。
本が出てから30年。研究もかなり進んでいるようで… うん。新しい本出してくんないかな、誰か。(チラッチラッ)

イスタンブールで見て「??」だったバビロニア風の碑文の意味も、ようやくワカッタヨ…。ヒッタイトがバビロニアにちょっかい出してた時代のなのか、あれは…。一時的とはいえ、バビロニアまで支配しにいってましたっけ

このへんの場所と時代は知らないことが沢山あるなあ、と実感。
黒い山を越えて、時の旅路はまだまだ続くのであります。