ニューギニア島の森に生きる人々 最後の洞窟の民―メアカンブット

ナショジオ2月号の特集、メアカンブットについての特集。
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/article/20120120/296848/

ニューギニア島は、オーストラリアの北に位置する。インドネシアの隣、と言えばだいたい位置はわかるのだろうか。あまり知られていないが、この島は海沿いと高地では気候が全く違い、民族・部族は多種多様、同じ国の中でも言葉が通じないのは当たり前、という複雑な土地である。

そして、かつてはこの島に住む人々はひとまとめに未開人とみなされ、ある時期には植民地支配も受けていた。

ニ世紀前、ニューギニア人はみな石器時代の暮らしをしていた。つまりニューギニア人は、その当時、ヨーロッパでは数千年前に金属器にとってかわられた石器に似た道具を使い、集権的組織を持たない集落社会で暮らしていたのだ。しかし、白人がやってきて集権的政治組織を押し付けられた。鉄の斧、マッチ、医療品、衣服、飲料、傘などのさまざまな物資がニューギニアに持ち込まれた。

<中略>

白人の入植者の多くは、ニューギニア人を「原始的」だと、あからさまに見下した。1972年当時においても、もっとも無能な白人の「ご主人さま」でも、ニューギニア人よりはるかに生活水準は高く、ヤリのようなニューギニアのカリスマ的な政治家より暮らし向きがよかった。

―銃・病原菌・鉄(上) ジャレド・ダイアモンド


そのニューギニアにおける少数部族の一つ、洞窟から洞窟へ渡り歩き、狩猟採集の生活をする「メアカンブット」が今回の特集記事。独自の文化や言語を持ち、その実態はあまり知られていない。全く文明に触れていないわけではないが、生活水準は低い。

医療知識がなく、森で移住生活をするため医者にかかることも出来ず、死亡率が高い。加えて、森林破壊などにより狩りのエモノが少なくなり、食べ物を満足にとれていない。そうした人々を「救いたい」と思う人類学者と、「政府が支援してくれるなら定住生活をしたい」と望む当のメアカンブッシュたち。ここが深い。そして重い。

彼らは換金できるものを何も持っておらず、今のままでは資本主義社会に組み込まれて生きることは出来ないのである。かといって他の生き方を知っているわけではなく、このままでは自分たちは全滅してしまうのだと薄々感じながら暮らしている。祖先の伝統に誇りはあっても、ばたばたと人が死んでゆく現状は何とかしたい。

学者たちは、貴重な少数民族として彼らを保護したい。しかし彼らの望むものは学校や医療施設、定住のための家を建てる道具や資金。すなわち支援は、学者たちの知りたい彼らの伝統や文化を失わせることを意味している。それは、サイやゾウを国立公園で保護したら、サイのツノやゾウの牙で伝統工芸品を作って暮らしていた先住民の暮らしが立ち行かなくなったという、アフリカの事例と同じ事だ。

世の中はきれいごとでは済まされない。
何かを得れば何かを失う。世界は連鎖している。何かを変えれば、それに関連した何かもまた変わらざるを得ないのだ。




果たして人類学者たちに何が出来るのか、こういうとき学者はどうするのか、民俗学なんかやってる人にはぜひとも聞いてみたいものだ。

ちなみに私なら、「とりあえず換金作物か換金できる動物を洞窟で育てればいいんじゃね」って、何かの技術を教えてみたい。森にブタがいなくなったんなら自分らで育てりゃいいんじゃね。てか一つの洞窟にとどまるのが数日から一週間ってのが短すぎると思う。どっかいっこに定住すりゃええんちゃうんかなあ。…そのへんは彼らの移住生活の理由をよく知らないので適当だけど。「救う」ことは一方的な支援ではなく、自活できるよう知恵を貸すことであるべきかなと。