文明「滅亡」とその意味

本屋で、マヤ文明の滅亡 というタイトルをチラっと見かけて、ふと思ったこと。

マヤにしろエジプトにしろ他の文明にしろ、「文明の滅亡」という言葉は意味もよく分からないまま軽々しく使われすぎな気がしている。文明の滅亡ってそもそも何だろう。その文明の担い手だった人間がすべて突然いなくなってしまうような状況を想像しているなら、それは大間違いだ。

マヤ文明の例を取れば、マヤ人は、部族として現在も生きている。ケチュア語も使われているしマヤ歴も実は現地に行くと儀式用カレンダーとして一部健在だったりする。ただマヤ人が王として君臨する王国がなくなって、近代国家のメキシコやグァテマラが出現したというだけにすぎない。

エジプト人も滅びてはいない。古代から見れば民族の人口比や混血状況は変わっているものの、古代エジプト語はコプト語として宗教儀礼や農業用語に今も生き残っているし、昔からほとんど変わらない国境線の中、漁師や農民は今もナイル川に依存した生活を続けている。

人が今もそこに生きていて、伝統の一部はその後に受け継がれている。では滅びた「文明」とは一体何なのか。
そもそも文明とは何なのか。


まずはここに着目してみよう。
伝統的なものとしてゴードン・チャイルドによる文明の定義があるが、その定義の中で挙げられた諸条件は、今では、必ずしも必要ではないことが分かってきている。


では、チャイルドのように定義される文明とは何か。そこにあげられた諸特徴は、じつは社会の定義とはいえないか。食料生産という経済、人口、階級、都市、公共事業、金属技術など、社会制度にかかわる人間行動の特徴や状態を示している。したがって、文明とは社会に関する定義であるといえる。

では文明という社会は、そうでない社会とどう違うのか。

<中略>

文明の期限の過程とは、せんじつめれば国家という政治システムがどのようにしてできあがったのかということである。国家は政治の機構であるから、それは広い意味では社会の仕組みのことであり、したがって広い意味では文化の一部でもある。もし、人間の営みすべてを文化というなら、文明き国家という政治機構を持った社会とその文化のことである。


「世界の歴史1 人類の期限と古代オリエント」中公文庫




「文明とは何か」。人類の歴史を考える上では避けては通れない部分である。
ここでは「文明=社会の仕組≒国家」としている。文化は社会の中で作られる、文明の「一部」という扱いになっている。

文明とはまず第一に、国家という社会統治の政治機構を備えた社会の意味であること



定義の仕方は学者さんによっても違うのだろうが、ここではとりあえず、上記の定義に従ってみる。

この定義であるならば、「既に滅びた」と言われるマヤ文明、アステカ文明、メソポタミア文明、エジプト文明、ギリシャ文明、ローマ文明、などなどは、確かに「国家」「社会構造」としてはいったん崩壊しているので、確かに「文明」としては「滅亡」したと言っていいことになる。

一方で、「文化」としては生き残っている。 社会構造の一部は次の文明に引き継がれ、ものによっては現代まで生き残っているからだ。



ただ一方で、この定義だと、そもそも文明の生死は国家の生死とどう区別するのかという疑問も湧いてくる。
文明の誕生と国家の成立は連続して起こるものだというのが考古学者の考えのようだが、既に誕生している文明をいくつもの国家が使いまわす場合の扱いがよくわからない。


たとえばインカ文明は、スペイン侵略によって王がいなくなった時点で「滅亡」したことになっているが、伝統文化もほとんど時を同じくしてほとんどが失われているからこれは問題ない。

エジプト文明だと、独立を失っても特に文化として変化はしていないので国家が「消滅」しても文明としての「滅亡」にはなっていない。文明として滅亡宣言をしていいのはイスラム支配の始まる7世紀ではないかと思うが、それすらも定かではない。

ギリシャ文明はローマに吸収合併されてしまうので、ギリシャの都市国家崩壊とギリシャ文明の死はイコールではない。

現実問題として、現在地球上にある「文明」は、過去に存在した何らかの文明から一部を引き継いでいて、完全にオリジナルとして近代に誕生したようなものはない。いったん「滅びた」ことにされている文明から引き継がれた一部によって作られた文明は、新たに誕生したというよりは、死んだ文明が生き返ったことにならないか。


それから、継続しているとされる文明についても実は途中で一回死んでいるという場合もあるように思う。

文明とは、文化の集合体というイメージなのだろうと思う。個々の文化については出所が異なっていても構わない。それらが一つにまとまった「社会」を文明と呼ぶのだとすれば、たとえ国家が存続されていても、社会構造が大きく変化した時点で文明としては変わってしまっているのではないか。

例えば中国なんかがそうで、国家として存続してはいるけれど、近代に大きな社会構造の変革があったのだから、文明=社会構造という定義を当てはめれば、その時点で別の文明に変動していることになるんではないか。



文明とは何か、という問題とともに、文明の生死は一筋縄ではいかない問題のように思う。
というか自分が一番得意としているはずのエジプト文明ですら、その「終わり」の部分がはっきりせず、滅亡したとも再生されたとも言い難い状況なのが悩ましいところである。


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