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zoom RSS アクエンアテンと王の権威 アメン神を否定しても王権が揺るがない理由

<<   作成日時 : 2011/09/13 00:10   >>

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ふと思いだして読み返してみた。

「古代エジプトの歴史と社会」という、日本の有名所のエジプト学者さんの論文を集めた本から、森際眞知子「アクエンアテン統治再考論」。

古代エジプトの歴史と社会
同成社
屋形 禎亮

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この論文を要約すると、こうなる。


●疑問の提示

新王国時代のファラオたちは、国家神であるアメン=ラー神の息子として、神格化された王の権威を保っていたはず。しかしアクエンアテン王は唯一、アメン神を否定し、アテン神を国家神に据えた。にも関わらず、アクエンアテンは王としての権威を保てていた。

アメン神と結びつけられた神格を否定しても王が王であれたのは何故?



同じ第18王朝で、ハトシェプスト女王なんかは女性のファラオなので権威づけをしようと自ら「私の父親はアメン神なんですよ」という碑文を刻ませている。ほかの王様たちも軒並みアメン神に捧げた神殿などの記念物を作り、即位名に「アメン」の言葉を入れている。神との関係を強調しなければ、王の権威が保てなかったようにみえる。

ところがアクエンアテンはその神のつながりを否定しても権威を失わず、それどころかアメン神を否定したあとに大胆な宗教改革や遷都を行っている。ということは、アメン神の神格と王の権威ってアクエンアテンの時代には実は分離してたんじゃないの? というのが、この論文のお題。


著者の推論として、ハトシェプストの息子(正確には娘婿)のトトメス3世以降、アクエンアテンの前の代アメンホテプ3世までの間に取られた領土拡張政策が王の世俗的な権威を高め、神権との分離を可能にしたのではないかという話になっている。

アクエンアテンの宗教改革、アメン神の否定と遷都は、王権に迫るほど肥大したアメン神官の権力を削ぐためのものだと説明されることが多いが、王の存命中はアメン神官が王の政策を阻止できていないことからして、実はアクエンアテンの権力は、その時点で神官団のそれを大きく上回っていたということである。アメン神官団に真っ向から反発し、後ろ盾をなくしても王たりえたからこそ、彼は改革を実行することができた。

だが、アクエンアテン以外の王たちが、領土拡張政策、すなわち戦場に出て自ら英雄として振る舞うことによって個人への崇拝を高める方法をとっていたのに対し、アクエンアテンは自ら戦場に出ることなく、紛争地帯の同盟国からの救援依頼さえ断っている。(アマルナ文書に残されている) アンエンアテンは戦争をすることなく自らの権威を保とうとした。代わりとなったのは何か。

これに対し、アクエンアテンは領土拡大ではなく朝献交易(支配地域への庇護の代わりに貢物として高価な品々を受け取るなど)、諸外国との婚姻、溜め込んだ王家の財産を下賜しての人脈作りなど、平和的な政策で内政・外交を乗り切っていたのではないかという考え方がある。戦争によって国土を拡張するには限界がある。既に拡張されたものを維持するめにアクエンアテンの選んだ方法は、剣ではなく金だったのだと。確かに、莫大な財産を持つということはそれだけで個人のカリスマを高める要因にはなる。

これは、宗教に没頭するあまり内政・外交ともに無視し続け破綻させた狂気の王というアクエンアテンの姿とは異なる。どちらが正しいかは見方にもよるのだろう。ただ、結果としてこれは歴代王たちが溜め込んだ財産の浪費であり、戦争を避け続けたことによりシリア・パレスチナ方面の同盟国を失う結果も招いている。


アクエンアテンの生きた時代から数千年後に生きる我々から見れば、単純に「改革は失敗」だったと映ってしまうのである。




結論は出ない。
歴史の見方は人によって様々、とらえ方や資料の読み方によっても大きく変わる話だからだ。

だが、改革を打ち出した当初、アクエンアテンに王たるカリスマがあり、改革を可能にする権力があったことは確かだ。それはアメン神の神威をないがしろにしても失われないものだった。


この論文では、「アクエンアテンの治世は持続可能な到達点であり、あとは落ちるしかない類のものだった」と結論づけている。カリスマ王一人に率いられる王権は脆い。次代ツタンカーメンがアメン信仰に戻っていったのは、父親の残したものだけでは王の急死により崩壊した王の権威を支える要素として不足していたからだろう。そうでなくても彼自身は即位したとき、まだ幼い少年だったのだから。

もう一つ、この論文から読み取れる面白いことがある。「エジプトは官僚社会だった」というものだ。アメン神官団は王に代わり儀式、祭礼などの特殊行事を担当し遂行するとともに、あらゆる知識を有するエリートたちである。王が誰であっても、実はこの官僚たちさえいれば国家運営は可能だ。

こういう見方も出来るのではないだろうか。

アクエンアテンは自らカリスマを持つ18王朝最後の王で、ツタンカーメン以降の王たちは現在の日本国における天皇と同じ形式的な国家の象徴でしかない、と。



第21王朝で官僚たち自身による「神官国家」が出来る流れは、このあたりから出来ていくんだろうなぁ・・・。

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