現在位置を確認します。

アクセスカウンタ

zoom RSS 大人気エジプト神、セト神の「わくわく神話にゅうもん」

<<   作成日時 : 2011/06/04 00:10   >>

トラックバック 0 / コメント 0

――エントリのタイトルがナンかおかしいけど気にしちゃ駄目だYO!
と、いうわけで、日本においてはエジプト神話の中でたぶん一番人気、アメリカあたりだと「デビル」言われてひどい扱いのセト神について、今日は皆で詳しく学んでみようじゃないか。

※遊戯王スキーの人からのリクエストなんだよ!

画像
こちらが代表的なセトさんの立ち姿。




悪役扱いのセトさんが、なぜ日本でウケているのかは良く分からない。
北欧神話でのロキ人気と同じで、日本にはあんまりいない「強引でもリーダーシップ発揮してくれる強いタイプ」への憧れからなのかもしれない。
とりあえず、この神様は強いけど マジでド外道 なのでリアルに存在したら泣いて逃げたほうがいいです。
どのくらいド外道かっていうと、日本の神様だとスサノオに似てる…。(笑)


*******

さて、このセト神。
「なんの神様?」かと申しますと、一言でズバリ言えば、「砂漠の神様」

嵐、暴風、不毛などの属性は、すべて、「砂漠の王」という本質に付随するものです。エジプトの国土は大半が砂漠。川沿いの人が住める土地を除けば、それ以外は人を拒む赤い大地。セトはその砂漠の化身として、絶対的な力を持ち、人を拒み、人が支配することの出来ない存在として畏敬の念を抱かれる神でした。

そのセトへの信仰は、エジプトで王朝時代が始まる以前から存在したようで、最初に信仰されはじめたのが何処かははっきりしません。セトを表現している動物も、実在する砂漠の動物とは似ておらず、すでに絶滅したか、空想上の動物だったのではないかと言われており、はっきりしません。



一方で、神話上セトのライバルとされている鷹の神ホルスは、人の守護神であり、人の頂点に立つ王そのものを意味します。いわば人の領域の神様。信仰の始まったのは、最初の王朝が誕生したナイル上流地域だったと思われます。力強く羽ばたく鷹が王の化身として、魂のシンボルとして選ばれたのは自然な成行きです。

信仰初期のホルス神はセト神のライバルとはされていませんでしたが、やがて人間世界で、セト神を信仰する一派とホルス神を信仰する一派の間でリアルに争いが起きてしまいます。(第二王朝の頃)
ホルス神は信仰の発祥地である上エジプトでより強く信仰されていたようですが、この時期にはセトは対抗する下エジプトの一派に崇められていたようです。

この、エジプトを二分する争いの影響で、セケムイブという王様は、在位の途中からホルス派からセト派への転向を余儀なくなれます。以降、数代に渡り、エジプトの王様たちはホルス派とセト派どっちにも配慮した名前を名乗り続けました。セト派の勢いが抑えこまれ、王がホルスのシンボルのみ名前につけるようになるのは、第二王朝最後のカセケムイ王の時代です。



…と、いうわけで、のちにホルスとセトが争う神話は、人間世界の「ホルス派とセト派の争い」が元になって作られたのではないか、といわれており、これはある程度の信ぴょう性をもって受け入れられています。ただなにぶん、その歴史自体が神話にも等しい大昔の出来事なので、確かなことはわかりません。
(古代エジプト第二王朝は紀元前2800年ごろ。つまり、イエス・キリスト降誕の28世紀ほど前のことです^^;)


後付として、セト神はホルス神とともに他の神々、豊穣神オシリスやイシス女神、ネフティス女神といった神々の家族に組み込まれます。豊穣神オシリスはナイルデルタの豊かな耕地を象徴する神でもあり、砂漠の神セトとはちょうど対の属性を持つ神でした。

そのせいなのか何なのか、セト神がオシリス神を非道な手口で殺害するという神話が誕生しました。

↓コレ
http://www.moonover.jp/bekkan/story/6.htm

初出はピラミッド・テキストなので第4王朝の頃までにはそういう神話が出来ていたものかと思われますが、殺し方とか協力者がいたかとか殺したあとの遺体のバラし方とかは出展ごとに違っていたり。ここから、ホルス神による父親の復讐という神話が生まれ、ホルス派がセト派を迫害するのはだから正統な権利があるんだよ、的な流れにもっていくあたり、いつの時代も宗教で政治を操る人々は話の作り方が巧いです。


そんなわけで、セト神は基本的には王権を脅かす「悪神」という扱いでした。
しかしここに、古代エジプト人のもつ根本概念、「相反するものは揃っていてはじめて完全と成す」が加わります。


昼と夜は対になり、秩序と混沌もまた対となります。両方が揃っていなければ世界は成り立ちません。
砂漠は不毛の土地ですが、それもまた世界を構成する重要な一つの要素。セト神のもつ荒々しい力は、恐れられると同時に、戦争など秩序の揺らいだ非常時には大いに頼られるものでした。悪神とされながら完全に退けられることがなかったのも、そのためです。


ここに、セト神の「戦争の守護神」という役割が新たに誕生します。


オシリス神を殺害し、後継者であるホルス神と長く激しい戦いを行うことの出来た戦闘力が、良い方向に評価されたというわけ。ラメセス2世などの戦争によって国土を拡大することに熱心だった王様たちがセト神を特に崇めていた理由も、ここにあります。
エジプトから見て、異国=砂漠の外側 だったこともあり、セト神の肩書きには「異国の主人」というものもあります。

通常時には厄介者ですが、他の神々が手出しできない砂漠での出来事や秩序の乱れた場所ではセト様頼みなので完全に悪として切り捨てることは出来なかった、と。ちなみに砂漠の中にあるオアシスでは、概してホルス神よりセト神のほうが人気だったようです。



セト神は、不毛の大地を意味する神なせいか子供はいません。
ただし性欲はマッハで怒髪天なので女性にはいろいろ手を出しています。
甥のホルスをベッドに連れ込もうとしたこともあります。

新王国時代には、王は即位の際にセト神の代理としての動物を「屠殺」することにより、先代王の復讐を遂げ正統な後継者として即位する、という儀式が行われることもありました。


時代が下り、ローマ支配時代が近づくと、セト神への信仰は急速に変化していき、かつての「怖いけれど頼れる存在」ではなく、単純に「忌み嫌われる存在」へと変化します。これはおそらく、新王国時代以降のエジプトは異国からの侵略に常にさらされ続け、かつてのように戦争で優位に立つことが難しくなっていたことと関連します。異国からの侵略者を打ち破る力として信仰されたセト神が、その役割を果たせなくなったということだからです。

セト神への信仰は、ローマ支配の時代にはほとんど消えかけており、ローマ化された彫像やレリーフの中にもセト神の姿は見当たりません。
信仰が最後まで生き残るのは、エジプトの西方砂漠の中にあるオアシスで、ここは元よりセトの領域である砂漠の集落だということもありますが、砂漠の中にあって孤立しているために逆にナイル川沿いの地域のように異国の敵に脅かされることが少なく、安定していたからでもあったと思われます。


*******

…アレ、「にゅうもん」のはずだったのにわりとマトモに語ってしまった…。
セト神の属性については、こんなかんじで。


関連エントリ

エジプト神話で「砂嵐×飛行機」
http://55096962.at.webry.info/201103/article_12.html


#ちなみに遊戯王でシャチョの前世は「セト」って名前だけど
#エジプト的に正しいのは「セティ」だよ…

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

大人気エジプト神、セト神の「わくわく神話にゅうもん」 現在位置を確認します。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる