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zoom RSS エジプトミイラとCTスキャン ミイラ解剖の「黒」歴史 ― エリオット・スミス

<<   作成日時 : 2011/05/11 00:10   >>

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エジプトさんも、ようやく落ち着いてきたようで研究再開っぽいです。
ザヒ博士の辞任とか、あんだけ騒いで結局元サヤってどうなの。。。そんなに人材乏しいのか。。



という愚痴はおいといて、本日のお題はこちら。


ナショジオ記事「最古の動脈硬化、ミイラの疾患調査」。
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=2011041801&expand#title


ツタンカーメンのミイラ解析でも大活躍だったドイツ製CTスキャン機、ほかのミイラの解析でも大活躍というこの記事。もちろん、こんな技術のなかったかつては古代のミイラを調べるには直接切り開くしかなく、通常の死者と同じように病理学解剖が行われていたりしました。

その一部始終を詳細に書いた本だと、こんなんとか。




しかしこれだとミイラを破壊してしまうことになり、どれだけ丁寧にやったとしても元の状態には戻せません。
そこでミイラを壊さず、手を触れずに詳細を調べる方法がとられるようになり、最近だと2006年から2007年に来日した「大英博物館 ミイラと古代エジプト展」で、ネスペルエンネブウのミイラの調査が3D上映されていました。

http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2006/mummy/index.html



今回のミイラ調査は、その流れをくんで、ミイラをひとつの古代遺産として扱い、損なうこと無く死因や古代の生活スタイルなどを割りだそうというもの。もちろん、DNA採取などはどうしてもミイラを傷つけてしまうわけですが… 手当たりしだいにミイラを解体して見世物にする「解体ショー」なんかをやっていた時代からすると随分進歩したものだなと思います。





というわけで、今回は少し時間をさかのぼって、19世紀初頭のイギリスやアメリカで流行していた「ミイラ解剖」の話。



シャンポリオンがヒエログリフ解読に成功するのが1822年。それ以前の考古学者は古代エジプト人の残した情報は何も読めず、ヘロドトスやストラボンなどギリシャ語で残された記録や、聖書の記述などを元にエジプトイメージをふくらませていた。エジプトが「神秘の古代文明」だった時代である。

そんな時代においてミイラを解体した学者たちの一部は、自らの所属する「現在」の「社会」、すなわち19世紀の世界において、政治的な目的のために古代人を利用した。現在では誤った思想であることは明白なのだが、あらゆる文明はすべて一箇所から広められたもので、すぐれた優位人種が存在していたはずなのだという学説が、多くの学者たちによって信じられていたのだ。もちろん、その優位人種とは彼らにとっての「われわれ」―― 白人に他ならないのだ、と。

この考え方はナチス・ドイツも利用した思想だが、とくにイギリスにおいて顕著だったと思われる。優位人種がいたとするならば、当然、あの巨大なピラミッドを築いたエジプトと無関係であるはずはないのだと。
現代ではあり得ない、馬鹿げていると思う人も多いだろうが、ネット上の煽り合いを見ていると未だに頑固に信じている人は一定数いるようなので侮れない。

この誤った思想の根底にあるものは「白人=優位人種」という意識だから、エジプト人が白人でなければ「ならない」とされるのも当然の流れだった。古代エジプトのミイラに求められたのは、古代エジプト人が白人であったという証拠なのである。


そんな目的のために解体されたミイラたちは、不幸だっただろう。

情報は改ざんされ、都合よく書き換えられて今に残されている。いわく「古代エジプト人の脳は大きいが、黒人の脳はこれを下回る」云々…。顔立ちだけで白人判定されたミイラもある。

これが、19世紀の「学術的ミイラ解体」の世界なのだ。






それから100年近く経った後の20世紀初頭でも、状況はそれほど好転していない。

1901年、ナイル流域にアスワン・ダムが完成。
アスワン・ダムは、アスワン・ハイ・ダムの前に作られたより小さなほうのダムで、この時には沈没水域に有名な遺跡がなかったせいかユネスコを通じた世界規模の大々的な遺跡救済キャンペーンは出されなかった。
しかし水没した遺跡はあったようで、ダム水没前、実に8000体ものミイラが水没予定地から運びだされ、解体されていたという。ここで名前が登場するのが、グラフトン・エリオット・スミス(Grafton Elliot Smith)。ある意味で悪名高い学者である。

スミス氏の基本データをまとめると、こんなかんじである。


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オーストラリア生まれ。両親の世代にイギリスからオーストラリアに移住した移住民。
ケンブリッジで学んだ病理学者(解剖学者)。エジプトミイラの解剖にもとづく研究で知られる。
1934年に「sir」の称号をもらい、1937年にロンドンで死去。

「ピルトダウン人」事件の犯人のひとりとされたことがある。

※ピルトダウン人…
人類が猿の仲間から進化したことがまだ確定さていなかった頃、「ヒトはいかにして人間になったか」には様々な説があった。その中の一つで、初期に最も有力視されたものが、「ヒトはまず脳から進化して、賢くなったことによりサルから分岐した」というものだった。この説を裏付けるためには、サルの体と巨大な脳をもつ骨が見つかることが最も望ましい。ピルトダウン人の骨はまさにその特徴をもって発見された。
しかし、のちに発見されたサルと人を繋ぐいかなる類人猿の骨とも接点が見つからず、疑惑の声があった。
正体が判明したのは約40年も経過したのちのことで、頭蓋骨はクロマニョン人、下顎はオランウータンのものだったのを細工して組み合わせたものだった。


また彼は、すべての文明は一つの源泉から発したと信じており、その源泉がエジプトにあると広報していた。この悪行により、今でも一部エジプトファンからは諸悪の根源として語られる傾向にある。

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「ピルトダウン人」の事件は、イギリス版ゴッドハンド事件とでもいうべきものだが、より深刻だ。同様の考古遺物贋作事件としては「ケンジントン・ルーン・ストーン」や「水晶ドクロ」などがあるが、それらは人種差別や政治的プロパガンダと強く結びついていないだけマシだろう。

事件の根底にあったものは、人類の進化が脳から始まり、脳の大きさと知能こそがヒトを優位たらしめる要因であるとする考え方。すなわち、黒人の脳は白人の脳より小さいと言い張ったり、古代エジプト人のミイラの脳を測り白人に近いなどと発表する学者たちの流れが、この発見を「強く望んだ」ことによって起きた事件なのである。

(ちなみに、この脳の大きさにわる知的優位説はいまだに根強く残っていて、「イルカの脳は人間よりも大きいから賢いに違いない」というような主張も、元をただせばこれら19世紀のレイシズムの流れを汲んでいると言える。)



そんな事件の首謀者のひとりである可能性があるとして挙げられるほど身近に関わっていたあたりで、何となくいかがわしい雰囲気もあるが、決して解剖学者としてダメな人だったわけではない。れっきとした教授で、カイロ大学ではじめて解剖学を教えた人物である。問題だったのは「Hyperdiffusionism」、すなわち、すべての文明は一つの超古代文明から伝播した! というようなトンデモ説を、おおっぴらに信じこんでしまったという点にある。

ピルトダウン人事件における一つの救いは、彼は「捏造」までは行わなかった可能性があることだ。すなわち、ピルトダウン人の骨を発見したメンバーの中にいて、その骨を批判的に捉えることは出来なかったかもしれないが、自らその骨を「製造」したわけではない…かもしれない、ということ。(捏造が発覚するまでに40年を要したことで、関係者がほとんど死去していたため、事件の真相は闇の中だ。)

ただし、誤った説を強く信じていたために多くを見逃し、また見えていたものの多くを誤解したのは確かなことである。



脇道にそれてしまったが、結局言いたかったのは、こういうことだ。

アスワン・ダムが作られる時を含め、何千体もの古代エジプトミイラを解剖し、調査したエリオット・スミス博士は、解剖する前から強い信念にとりつかれており、その信念にそぐわないものは「何一つ見ていなかった」。
解剖は公平な視点を欠いて行われた。古代人の病理学についての見聞―― 寄生虫や虫歯の有無、解剖で分かる持病や外傷による死因など、ある一定の成果は得られたが、その一部は自説の強化のためと完全に趣味のために行われたようだ。

エリオット・スミスはミイラの生殖器収集家としても知られる。
妻がいて子供もいたはずなのだが、なぜか生殖器に妙な関心を寄せていたようで、詳細なスケッチをとり自宅にも萎びたイチモツをコレクションしていたというから、良くわからない。というか、そんな簡単にミイラの一部をホイホイ持って行けてしまうのはどうかと思う…。


ハワード・カーターのツタンカーメン王墓発見が1922。
エジプトからの遺物持ち出しが禁止されるのが1923年、カーターとエジプト当局がモメるのが1924年。
それまでは、観光客でも学者でも、ミイラや古代遺物はほとんど持ち出し放題だった。

エジプトの死せる古代人たちが、壊されることなく一体ずつ丁寧に調査されるようになったのは、ごく最近のことだと言っていい。




ただし、発見されるミイラが多すぎて既存の博物館に入りきらない、という問題もある。

さきにあげたアスワン・ダム建設時の「8000体」という規模は、決してその時だけの話ではなく、他の発掘現場でも数百、数千というミイラの発見例がある。すべてを保存するのは現実的に不可能。埋め直すのが一番手っ取り早いのだが、ひとたび遺跡発見のウワサが流れれば盗掘者がやってきて掘り出すので、結局は、とれるデータだけはとっておこうと手っ取り早く解剖するのも一つの処理手段になってくる。高価なCTスキャン機を大量に揃えるのは難しいし、山ほどのミイラをトラック積みにして機械のある場所まで運んでくるのも現実的ではないだろう。

条件が揃えば死者も多くを語ってくれるが、その声をすべて聞き届けられるだけの生者は地上にいない。
過去のすべての死者は、現在を生きる生者の数より圧倒的に多い。

昔も今も、たぶん未来も、敬意を払って丁寧に調べてもらえる死者は、よほど幸運な一握りに過ぎないのではないかと予想する。

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