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zoom RSS 映画「アレクサンドリア」感想 国際都市アレクサンドリアの悲哀

<<   作成日時 : 2011/03/28 00:10   >>

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映画「アレクサンドリア」を観てきた。
http://alexandria.gaga.ne.jp/

<公式ストーリーより>

4世紀末のエジプトのアレクサンドリア。そこには人類の叡智を集めた“図書館”があり、図書館長の娘で天文学者でもあるヒュパティアによる、天体についての授業が行われていた。宗教を問わずに生徒を集めていた彼女だが、急速に数を増したキリスト教徒が古代の神を侮辱した事から、市民の間に争いが起きる。やがて図書館はキリスト教徒に破壊される。数年後、増大するキリスト教徒は、その支配の邪魔になるヒュパティアに狙いをつける。


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観に行こうかなー と思ってた矢先に地震があり、なんだかんだで映画館が節電のため自粛とかになり行けてなかったこの映画。既に観に行った歴史ファンからは「背景がすごいよ!」という評価だったので期待していたが、期待以上のものが見られた。


妥協なしのガチな4世紀末アレクサンドリア。

単なる「エジプト」ではなく。
単なるプトレマイオス朝の首都アレクサンドリアではなく。
ローマとの戦争に敗れ、プトレマイオス朝が滅びてローマ属州となって数百年を経たのちの、「国際都市」アレクサンドリアの姿。
観に行く前は、何でタイトルが「アレクサンドリア」やねん。と思ってたけど、これは町が主人公でいいかもしれん。

かつて壮麗であっただろう町が薄ぼんやりとした退廃に染まりつつある雰囲気、「国際都市」として多くの異民族が行き交うさまなど世界観は素晴らしくよく出来ている。これだけで歴史ファンは満足するであろう出来。





主人公ヒュパティアは、実在した女性天文学者。

その生涯も、その最期も既に知られており、映画の向かうところは明白。悲劇的な終わり方しかないことが分かっていながら、結末には脚本家の「優しさ」が感じられた。暴力と迫り来る混沌を目の当たりにし、絶望しながらも彼女は「真実に近づけるなら、幸せに死ねる」と言う。その望んだ真実の欠片を手に入れた直後、悲劇は起こる。
死んでゆく瞬間、彼女が見ていたものは、愛した空。眼を閉じる時、その胸に去来した思いは何だったのか。手にした理論の実証と後世への伝達を行えない心残りか、宇宙の神秘に初めて触れられた満足か。

ヒュパティアはじめ、物語の中に登場する大半のキャラクターが望んだものを手に入れられない不幸な結末をたどる。激動の時代のはざまに生きる人々の迷い、やり場のない悲しみや怒り、そうしたものが感じられる作品だ。役者さんがまた巧いんだこれが。




派手なアクションも分かりやすい敵もいないので一般向けではないかもしれないが、映画ファンや天文学・宗教学などを学ぶ若者にとってはきっと楽しいはず。

と、いうわけで私的にはこれは良映画。
やってる映画館少なそうなんですが、ぜひ見る候補として…。





ちなみに、この映画は宗教批判の映画ではない。


そもそものあれの原因は、宗教問題ではなく奴隷制に依存したローマ式の社会構造だ。ローマ式の上下社会が限界に来ていたところに火つけになったのが「平等」を謳った宗教だったんだ…。


単純な宗教問題のように見てしまうのは、世の中に正義と悪があるんだと信じてしまっている人だと思う。キリスト教徒は悪だったのか? そうではないだろう。誰が正しくて誰が間違っていたのか。ダオスは一生奴隷でいるべきだったのか。キュリロスはユダヤ人と共存する道を探すべきだったのか。見方によっては、主人公ヒュパティアですら間違っていた。本当は、キリスト教に改宗出来ないなら他の学者と同じようにアテネへ亡命するべきだった。そうすれば、彼女を愛した人を苦しめずに済んだのに…。

当時のアレクサンドリアは国際都市。多くの場所から人が集まっていた。その中でキリスト教はいわば新興宗教の一つで、最初に受け入れたのはアレクサンドリアにいた学者たちでも、土着のエジプト人でもなく、遠くから出稼ぎにやってきていた貧困層なんだ。彼らにとっては、神を信じさえすれば「いつか救われる」という希望と、神の前では「平等になれる」という安心が必要だった。

宗教は人がよりよく生きようとして生み出すもの。キリスト教は、その考え方が当時の人々に必要とされたからこそ、より多くの人に受け入れられた。彼らなりに悩んで選択した結果があれだった、というだけのことだ。


宗教というものは、人が考えたものだけに間違いもある。
神学っぽく言うならば、「多くの人は神の言葉を深く理解する能力がない」。

本来、キリスト教は愛と平和を説いていたはずだった。それが、教徒異教徒を弾圧する狂信者になってしまったのは、誤りやすい人間の性だ。
初期のキリスト教徒たちは、エジプト宗教と平和的に共存していた。ローマ皇帝がキリスト教徒を迫害した時も、エジプトでは迫害はされなかったので多くのキリスト教徒が逃げてきたという。今もアレクサンドリアには初期キリスト教徒が使っていたカタコンベが存在する。腕に十字架を刻んだミイラが、異なる文化がかつて入り交じって共存出来ていたことを証明してくれる。

なぜキリスト教徒が寛容さを失ってしまったのか。
時代の境目となるのが、まさにこの映画で語られている4世紀末なのである。古代に作られた神像の打ち壊しなどの暴力的な行動も、この時代から始まる。

実は、劇中で語られた時代、各地のキリスト教徒たちは、その刃を互いに向け合っていた。
4世紀以降、各地で独自に解釈されてきたキリストの教えを統一しようとする動きが始まる。何度かにわたり「公会議」が開かれ、異端か正統か、という話だが、実際は各地の大司教どうしの権力争いに過ぎないとも言える。身内さえ信用できないその状況の中、宗教コミュニティを教化しなければ生き残れないという危機感が煽られて、一部に強硬派が出てしまったのかもしれない。



こうしてキリスト教徒たちが内ゲバに明け暮れている間にローマは分裂。
生き残った東ローマはイスラムの勢いを止めることが出来ず、エジプトもまた陥落する。以降、エジプトのキリスト教徒たちは現代に至るまで「少数派」として生きる。皮肉なことに、その少数派たちが現代に伝えるキリスト教の中には、かつて否定したはずの古代エジプト宗教の残り香が色濃く残っているのだが。




劇中でも語られていたキリスト教の「聖書第一」の考え方は、著しい知の衰退をもたらす。
アレクサンドリア図書館の叡智が無残に打ち壊されていったように、彼らは他の場所でも多くの遺産を「神の教えに反する」として禁止していった。その結果、11世紀末から12世紀にかけて十字軍が結成された時点での文化水準は、イスラム側が圧倒的に高くなっていた。

しかし、それは結果を知っている現代人だからこそ批判できる話であって、当時の食うのにも困っているような人たちからすれば、学問なんかにかまけていないで、困ってる俺らに金と食い物をくれ。もう奴隷生活なんてしたくない。と思っただろう。



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以下、補足解説っぽいメモ

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■都市「アレクサンドリア」について

エジプトの北端、地中海に面した都市。
もともとエジプト人はあまり貿易に興味を持っておらず、貿易経路も陸路がメインだったため貿易港を作るのはかなり時代が後になってからなのだが、アレクサンドリアは、その中でも最も新しい。
作ったのはアレキサンダー大王が遠征してきた時(前338年)で、街の名前は大王の名に由来する。
のちに大王の後継者のひとりプトレマイオスが王朝を開く際の首都となり、町は大いに栄えた。

その立地から、陸路・海路でエジプトを訪れる人々の拠点として多くの民族、物資が行き交う大交易都市へと成長。やがて王家の支援を経て国立図書館が建設され、学術都市としても発展していく。


■宗教

4世紀末のアレクサンドリアの宗教は、ピラミッドを建ててた時代や、ツタンカーメンが生きていた時代の古代エジプト宗教と同じものではない。
まず時代が、クフ王がピラミッドを建てたころから約3000年、ツタンカーメンの時代から約2500年を経ていることに注意。エジプトの神々も古代から見ると相当変化していた。

前338年から支配していたプトレマイオス王家というのが、エジプト人ではなくギリシャ人で、その時点でギリシャの神々がエジプトでも偉くなった。しかしギリシャの神様をそのまま輸入してもエジプト人から反発くらうので、じゃあ両方合体させちゃえ、と。

そういうわけで、ギリシャの最高神ゼウスと、当時エジプトで人気のあったオシリス神(ラー神やアメン神はブーム過ぎて人気がなかった…)を合体させて作ったのが、作中で言われていた「セラピス神」。外見はゼウス神のまま、オシリス神のもつ死者の守護者や豊穣神としての役目も併せ持っていた。

オシリス神の家族だった妻イシス女神や息子ホルス神との関係もそのまま引き継いでいて、特に魔術を操るイシス女神への信仰は大人気。ローマに逆輸入されて一世を風靡したという。


■エジプトと初期キリスト教

現代のエジプトで信仰されているキリスト教は、大半が「コプト教」と呼ばれている。初期キリスト教から分離してエジプトでカスタムされたキリスト教の一派だ。

エジプトへのキリスト教の伝来は2世紀ごろ。キリストの弟子の一人マルコが亡くなったのがアレクサンドリアと伝えられており、キリスト教黎明期に早くもこの教えに触れていたことになる。以降、2世紀から3世紀にかけ、エジプト各地に広がり初めたキリスト教は、初期には古代エジプト宗教と平和的に共存していた。もともとが多神教で、宗教に寛容さのある国だったため、キリストやヤハウェは多数いる神の一種として捉えられていたようだ。

その状況が一変し、キリスト教徒による従来の土着宗教弾圧へと転じるのが作中の時代から少しあとになる5世紀初頭。もともとエジプトのキリスト教は初期くキリスト教がエジプトでカスタマイズされた土着色の強いものだったが、5世紀半ばにカルケドン会議にてローマと対立し独自路線を歩み出したことにより、コプト教という独特なものが出来上がることになる。



■公用語

プトレマイオス朝時代に作られたロゼッタストーンは、ヒエログリフ&ヒエラティック(エジプト語)とギリシャ語だった。
そこから推測できるとおり、アレクサンドリアで使われていた言葉は土着民のエジプト語とギリシャ語。クレオパトラは例外として、プトレマイオス王朝の王たちの大半がギリシャ語しかわからなかったという説もあるくらいで、政府高官はギリシャ語がメイン、次第にエジプト語の地位は下がっていった。

アレクサンドリアは多くの民族が行き交う国際都市でもあったため、使われていた言葉はギリシャ語だけではなかったようだが、4世紀末には学者が使う言語はギリシャ語がメイン。

ちなみに、アレクサンドリアに移住してきたユダヤ人の二世・三世はギリシャ語に染まってしまい、ヘブライ語がわからなかったという。そんなこんなもあって、旧約聖書が当時としてはマイナー言語だったヘブライ語からメジャー言語のギリシャ語に翻訳されることになった(七十人訳)。


■キリスト教徒と修道院

キリスト教の修道院制発祥の地はエジプト、ということになっている。
もともとエジプトの土着信仰ではナイルの西方は「死の国がある」とされていた。ナイル西方とはまさに詩の世界である砂漠の広がる土地。4世紀ごろには既に、その砂漠の中に人知れず住み着き、ひたすら神の教えを守って隠遁する修行者たちの姿があったという。

また彼らの多くは、放棄されていた古代のファラオたちの神殿跡や墓地を再利用し、神殿内に礼拝所や寝泊りの場所を求めた。テーベ西岸のハトシェプスト葬祭殿付近の崖に無数に掘られた穴や、王家の谷の暴かれた墓の内部、デンデラのハトホル神殿などには、長年キリスト教徒たちに使い込まれた跡がある。

作中で打ち壊された図書館が家畜小屋にされていたが、キリスト教徒といわず近代まで、現地の人たちは神殿を家畜小屋や台所として使っていた。ただし遺跡を徹底的に破壊するような使い方ではなかったため、多くの遺跡が原型をとどめたまま現代に残されている。



■その後のキリスト教徒

作中では、エジプト土着宗教を追いだして都市を我が物とすることに成功したようにみえたキリスト教徒だったが、その後は「正統」「異端」をめぐる宗教会議という権力闘争に巻き込まれ、アレクサンドリア司教の座をローマに奪われるハメになる。のちエジプトのキリスト教徒たちは、アレクサンドリア司教の座を自分たちのもとに奪い返すため、アラブ側に味方することになる。(アラブ人は税金さえ払えば宗教の自由を認めてくれたから)

7世紀、エジプトは完全にアラブ世界に飲み込まれ、イスラムへの改宗もしくは異教徒で居続けるための人頭税の支払いを強要される。裕福な一部は人頭税の支払いを承諾したが、それ以外の貧しい人々は大挙してナイル上流の奥地へ移住せざるを得なくなる。

上記イスラム支配時代の始まりに伴い大量のキリスト教徒が流れ込んだことにより、ナイル上流地域のキリスト教徒率が高まり、現在でもナイル中流〜上流にかけてはキリスト教徒(コプト教、東方正教会など派閥はいろいろ)が多数を占める地域がある。

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