ピラミッドはどこへ行った ~古代人の運んだ石のゆくえ~

 ピラミッドは、どこへいったか?

エジプトには、過去、大量のピラミッドが作られた。
2010年春の時点で、その数はズバリ、118基。(リストとか)  しかし現在では、その中身も含め、そもそも全部で何基作られたのか、どこに作られたのか、よく分からないピラミッドもある。そのため、発見されるに従って、年々ピラミッドの総数が増えていく結果となっている。

多くの人は、ピラミッドというと、巨大なものを想像しがちだろう。巨大なピラミッドが行方不明になるというのは考えにくいかもしれない。
しかし一番有名なギザの巨大なピラミッド以外にも、小型のピラミッドは沢山あった。というか、小型のもののほうが数としては多い。小さなものだと高さ10m以下、長い年月のうちに砂に埋もれて見つからなくなってしまうサイズだ。こうして行方不明になったピラミッドが後から発見されて数が増えていく。(中には、いったん発見されたけど砂嵐で埋もれて見失ってしまった、なんて話もあるくらい…。)

しかし大きなピラミッドでも、破壊によって大部分が失われてしまったものがある。



このエントリのタイトルは「ピラミッド」だが、とくにピラミッドに限定するつもりはなく、実際は古代エジプトの遺跡を構成していた石材の行方…の、つもりである。
最も建築に手間をかけられた時代のピラミッドの表面は、完成時には白く輝く石で覆われていたという。その石は今ではごくごく一部を除いて見ることは出来ない。
また、かつて壮麗な姿を誇った大神殿の門や天井には現在では石がなく、町と神殿の境界は破壊され、神殿本体には柱が吹きさらしの中に立っている。
なぜか。

――それは、後世に石をひっぺがして、別の建造物に再利用してしまったからだ。

石は腐らない。砕かない限り消えてなくなることはない。
遺跡を構成していた石の大半は、今も元あった遺跡の近くに存在する。ただし、モスクや、要塞や、新しい町の城壁跡や、ひどい場合は石臼や台所用品として、なのだが。

石を切り出すのには手間がかかる。ことに硬い石の場合はそうだ。
そうでなくとも、古代に良質で手近な石を片っ端から切り出して積み上げてピラミッドなんぞにしてしまったお陰で、後世の人間ほど、良質な石材を手に入れるのに苦労したはずである。そうなると、既に使える形にされて、町の近くに積み上げてある石の山に手を出すのも当然の流れといえる。

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巨大なピラミッドも、表面の化粧石をひっぺがされて、残っているのはてっぺんだけ…







●遺跡の運命/倉庫や住居として再利用

実は遺跡や古代の墓の多くには、近代まで人が住んでいたものが少なくない。

近所の人が、ちょうどいい雨風を凌げる建物として使ってしまったのだ。たとえば、デンデラのハトホル神殿はほんの数百年前まで掘っ立て小屋と一体化していた。
国民の宗教が変わっても、新たな宗教のための施設として再利用することは可能で、歴代ファラオたちの墓のある「王家の谷」の中では、古代の墓をキリスト教の隠者が修行のためのほこらとして使ったり、葬祭殿がそのままキリスト教の教会や、あるいはイスラム教のモスクとして使われていたりした形跡が残されている。また、王家の谷の一番奥にある、ハトシェプスト葬祭殿も、モスクとして再利用されていたようだ。

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2009年にエジプトに行ったときに立ち寄ったルクソール神殿では、一部がモスクになり、今もご近所の人たちの礼拝の場として使われていた…。

この使用方法だと、遺跡は傷むが、跡形もなく破壊されるという運命は辿らない。



●遺跡の運命/古代エジプト人自身が再利用

逆に、徹底的に破壊される可能性があるのが、古代エジプト人自身の再利用。

石材の再利用には、たとえばカエムワセト葬祭殿のように、すぐあとの時代に石材が再利用されてしまったようなケースもある。王朝が変わったり、王権が弱まったりして、もはや過去の王族の作った施設を敬う必要がなくなった時、その遺跡は再利用されることになる。
アケト・アテンの都などはその典型で、アクエンアテン王の死後まもなく解体され、ヘルモポリスの町や、カルナックの大神殿に流用された石は今もそこで見ることが出来る。

ただ、古代エジプト人自身が石の流用をする場合は、流用元の価値を分かっているので、手当たり次第に破壊するということにはならない。重要な像や碑文を壊したりはしない。



●遺跡の運命/イスラム支配の時代に再利用


最も冷徹に、ひどい損害を与えたのは、転用元の遺跡・遺物の価値がもう全然分からなくなっていた、イスラム支配の時代末期のことだ。

エジプトは、さいごの女王クレオパトラ7世の死後、ローマの属州となる。
そしてその後、639年にイスラム支配下に入り、これ以降はヒエログリフやピラミッドの意味を含む、古代エジプトの知識の多くが消えていく。
よそから来た、宗教も文化も全く違う人々が国を支配するようになり、世代を重ねるうちに元からエジプトにいた人々も祖先の過去を忘れていき、文化が断絶してしまうのだ。

イスラム支配の時代、王朝はころころ変わっていったが、それぞれの時代に、それぞれの理由から、石の転用が国の命により行われている。ギザに立つ大ピラミッドの石材は、古代の首都だったメンフィスの石材とともに、ギザ大地のふもとに作られた都市、「フスタート」の建設に多くが流用されたという。モスクの外壁の輝く白い石も、実はもとはピラミッドの表面を覆っていたものだ。

転用された石材のうち最も有名なものは、ロゼッタ・ストーンだろう。それはロゼッタの町で壁として積み上げられていた石の中から見つかった。日本で言うと、古い墓石や五輪塔を城の石積みに使うようなもので、転用前の本来の意味が失われたと理解できる。


ことに近代に入ってからの破壊は、それ以前の何千年もを上回るペースで行われた。
たとえば、テーベの神殿が石材確保のため爆破されたのは、1836年の調査より後。デンデラ神殿が近くに工場を建てるため1/4を失ったのは、1835年のことである。

近代まで、かなりの数の遺跡が、今よりはマシな状態で残っていた。
決定的な破壊は、ここ200年くらいの間に集中的に行われた。その破壊の中の1つに、ツタンカーメンの墓の発見と発掘を入れてもいい。(発掘するということは、もとの状態から変化させるということで、どんなに気をつけてやっても”破壊”に他ならない。) 多くの過去が、もはや二度と元には戻せない状態になってしまった。



無知ゆえの暴虐。
その極端な例が、このシャバカ石だったりする。

この石には、現在では大英博物館が所蔵している。末期王朝時代のシャバカ王の時代に記された、プタハ神を崇める神話が書かれたステラなのだが、表面が大きく破損してしまっている。…どうやら、手ごろな大きさとみて、石臼か何か生活の道具として使ってしまったらしい。

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文字描いてあるし、明らかに石碑だろこれは、っていう石のド真ん中を、どうして再利用するかな…^^;
伝説の魔人が封印された水晶を漬物石に使っちゃうおばぁちゃんくらい信じられないぞ。どう見てもこれ、イベントアイテムじゃないですか!

もちろん、読めもしない、よくわからない文字の描いてある石なんて売れないし腹の足しにもならねぇ、と思われていた時代があったことも事実。遺物の売買という市場が誕生するまでは、遺物はガラクタでしかなかった。




この石のド真ん中に躊躇なく穴を開けられる人なら、ファラオの素晴らしい坐像をブチこわして靴磨きの台に再利用することくらい朝飯前。ピラミッドを解体してモスクを建てたり、ロゼッタ・ストーンを裏庭の囲いに使ったり、壁画のいっぱい描かれた墓でシチュー煮て煤まみれにしたりすることだって、わけもなかろう。

こうして、人の手によって創られた過去の遺産は、人の手によって、その多くが灰燼へと帰していった。
人の手によって築かれたピラミッドもまた、石をはぎとられ、多くが砂漠に消えて行った。
ある意味、それもまた自然の理というべきか。