イースター島と洞窟の秘密 (大量絶滅の原因はやっぱり大航海時代なのか・・・)

ナショジオチャンネルのイースター島特集は、かなり良い内容だった。

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イースター島の写真は美しい。風の吹きすさぶ剥き出しの大地に聳え立つ巨大な顔。太平洋のド真ん中の孤島というだけでワクワクしちゃうね。
しかし、そんな美しい島には、悲劇的な過去が秘められているのだった。

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この島に人が住み始めたのは、紀元500年頃のことだから、古代文明といっても比較的新しい部類ではあるらしい。
島に残された石積みがインカのそれに似て居るというので、南米から人が移住したのではないかと言われてきた。有名な冒険家、トール・ヘイエルダールによるコンチキ号の太平洋横断実験もあった。(※北欧出身で、トールとヘイムダルの名前を繋いだようなその名前とムチャっぷりが一部マニア?にバカウケである。)

しかし現在のところ、イースター島にたどり着いたのはポリネシア人、あの太平洋に船を漕ぎ出し、どんな小さな島にも住み着いた人々であることが知られている。南米のインディオがポリネシア人の祖先であるという説に有利な証拠は、遺伝子調査からは見つかっていないようだ。まあ、まあ、コンチキ号が太平洋に乗り出した頃は遺伝子解析なんて方法は無かったのだから仕方が無い。



ポリネシア人たちがやって来るまで、イースター島(現地語ではラパ・ヌイという)には人は住んでいなかった。
太平洋のど真ん中の楽園、木々は生い茂り、鳥は群れをなし、大型の獣はいないから外敵の心配もない。人は瞬く間に増えた。最盛期の人口は2万人とも言われる。しかしそれは、島の供給できる食料量を上回っていたのかもしれない。

意外なことに、火山岩から出来たこの島の周囲には漁場がないのだという。
島に打ち寄せる荒い波の下には魚がおらず、漁をしたければ、カヌーで沖合いに出なくてはならない。人々はマグロやイルカを獲って食べていたらしい。だが、カヌーを作る木は島に移住して僅か数百年で枯渇した。

原因は――

そう、有名なコレである。

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 モアイ像、作りすぎちゃった…。


楽に食料が手に入った時代は良かったのである。人口も多く、モアイ像作りは各部族に分かれて競い合うお祭りのようなものだったとも言われる。しかしそのために、島中のヤシの木を伐採しまくっていれば、そりゃいつか木もなくなろうというもの。人々はまだ植林を知らなかった。環境破壊という概念も無かった。CGの再現映像とはいえ、緑に覆われた美しい島が瞬く間に今の風吹きすさぶ島へと変貌していくさまは衝撃的だ。かつて森を見つめて立っていたモアイ像も、今は荒れ果てた溶岩大地を見つめるばかり。

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ヤシの木を切りすぎたことで、島の高地からは豊かな土が流出してしまい、また、ヤシの木陰に群生していたほかの木々も消えた。鳥もいなくなり、外洋に漁に出る船も作れない。そして彼らは家畜も連れてきていなかった。
増えすぎた人口を支えるためのすべを失い、島は強烈な飢餓の時を迎える。

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この番組の中で最もショッキングだったのは、「人が食事をする場所」という名前の洞窟だ。
海に面した隠された場所にあるが、その洞窟の名は「人が食べられる場所」も意味する。壁に描かれた夥しい赤い人の絵と、散らばった骨。それは、部族間抗争が単なる縄張り争いではなく、食うものと食われるものを決める、まさに命がけの戦いであったことを意味している。島に宿営していた鳥たちを食べつくし、魚を取りに海へ漕ぎ出す木材もない人々にとって、唯一のタンパク源が同じ「人」だったのだ。あまりにも陰惨な歴史である。

モアイ像も、この争いの中で打ち倒されたものが少なくない。
像は部族の象徴だったから、相手部族を倒した時に像を引き倒してその守護を奪ったのだという。

島は火山の噴火によって作られており、溶岩が冷えて固まったときに出来た無数の洞窟が島中に存在する。
飢えの時代、人々はそれらの空洞の中に家をつくり、他の部族から隠れ住んだ。木がなくても作れる住居、ということもあったのだろう。これらの地下遺跡は、まだ調査中だが、いずれ何か当時を知る手がかりが見つかるかもしれない。ともあれ、同じ船で海を渡ってきた人々が、数世紀のちにはお互い対立しあい、地下に隠れ住むしかなかったというのは、何とも悲しい歴史だ。



そうした長い苦しみの歴史を経て、人々はようやく、ある一定の秩序を見つけ出す。
が、それは永くは続かなかった。世界は既に大航海時代に突入していた。外の世界から船が訪れるようになり、島はもはや外界から隔絶された場所ではなくなっていたのである。

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ここでも、南米におけるインカやアステカとヨーロッパの接触と同じように、悲劇的な出会いが起きた。
船乗りたちは島に多くの病原菌をもたらし、梅毒や天然痘も持ち込まれた。また、奴隷商人が島人を略取。その結果、最初に外界と接触した150年後の1877年には、島人は僅か111人であったという。


―― つまり、

イースター島の文明の破壊は、島人自身が引き起こした環境破壊と、大航海時代にもたらされた病原菌と暴力という二段階で引き起こされ、そのうち後者が決定的だったということ。人が石器で殴りあう分には、いきなり数千人とか死亡しないのですよ。人間そう簡単に死なないし。銃なら一瞬で人が殺せますけど。

それでも人々は生き残り、今では大航海時代の外界との接触以前のレベルにまで人口が戻っているという。
歴史と血筋は今にいたるまで続いている。現在の住人は、海を越えたポリネシア人の子供たちだ。

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彼らにとって、祖先が築いたモアイ像は「誇り」なのだという。(だから観光客が傷つけたり落書きしたりしたら怒る^^;) モアイ像づくりに没頭しなければ、森は消えず、長い飢餓の時代を経験せずに済んだかもしれないのに… と、そう思ってしまうのは外部の人間だからなのだろうか。

遠い海の向こうから来た最初の人々が、この島でなぜ巨大な顔を築こうと思ったのか、それは分からない。
本当の理由は、たぶん永遠に謎のままだろう。