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zoom RSS アクエンアテンの宗教改革は何故実行できたのか。

<<   作成日時 : 2009/06/03 01:08   >>

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と、いうわけで前回からの続き




大学で同期だった誰かが卒論にアクエアテンの話を書いていた。

他学部だったし知り合いでも何でもない人だったので、ついぞそれについて話はしないまま卒業したわけだが、今さらのように、専攻で考古学やってる学生さんはアクエンアテンのことをどう認識しているのだろうと気になった。エジプトの史の中でも、かなり知名度の高い王様だし。

あの時思ったのは、 本職の人は難しく考えすぎだ ってこと。
そんな難しい話じゃなかろう。
最低限の知識は必要だが、最後はフィーリングだフィーリング。
より多くの人を納得させられた説こそ、その時代における「真」なのだよ。
エロゲネタで人も釣るさ。目的のためなら手段は選ばぬ!



  ――そのくらい、人によって評価の分かれる時代なんだと思ってくれ。




と、いうわけで本題へと移る。

アクエンアテンについて、知らない人に簡単に説明しておくと…。
(ご尊顔は、Googleの画像検索でたくさん出てくるよ)

画像


アクエンアテンという王様は、第18王朝、ツタンカーメンより2代ほど前(と言ってもツタンカーメンの前の代が早世していて実質ツタンカーメンが次の代みたいなものだが)のファラオ様。
彼は、それまで国家の最高神だったアメン・ラーを突然捨て、「今日から ア テ ン 神 がこの国の神! 異論は認めない!」と宣言して宗教改革を断行した。しかもアメン・ラー信者が多くて神殿もあるからと、それまでの都を放棄して突然砂漠の真ん中に遷都。エル・アマルナという都を築き、それまでの伝統とは異なる芸術様式「アマルナ美術」なども生み出した。ただし、その改革は短期間に終わり、アクエンアテン亡き後に即位したツタンカーメンは、その短い生涯を伝統を元に戻すことに費やしたと思われる。

アテンは一言で言うと、輝ける太陽の恵みの光を神格化した愛と平和の神であり、世界を創造した唯一神であり、アクエンアテン王ただ一人に語りかける神様だ。

愛の神ゆえに、アテン信者は戦争はしない。エジプトは他国へ軍を差し向けることを止め、半鎖国状態に陥った。同盟国から危急の知らせが入っても援軍は送らず「神が救ってくださいますよ」的なことも言っちゃう。芸術的には高いものを生み出した時代だが、同盟国や国外領地を失い、国力的には衰えたと評価していいと思う。

王ただ一人に語りかけ、王のみがアテンの神託を受けることが出来たので、神官団を必要としなかったところがユニークである。




▽ここで前回の「それ何てエロゲ」な家系図を、思い出してもらいたい…。



さて、アクエンアテンというのはこういう、政治(宗教)でかなりのムチャをやった王様なのだが、

 「そもそも、当時の王様ってのは
  こんなムチャな改革が実現できるだけの権力を持っていたのか?」


ここがポイントだと思う。
何しろ、国家の最高神を首都ごと捨てて、遷都しちゃうのである。ローマ教皇が「主を崇めたのは間違いであった。今日からはブッダを我が神とする。もうバチカンなんていーらないっ。今からバーミヤンに我が居城を築く!」…とか言い出したのと同じようなもんだろう。

王はタテマエ上は「神の子」、「現人神」。ただし「神の子」の威厳だけでは権力は握れない。

古代エジプトのファラオといえば「地上における神のようなもの」、昔はそういわれてきた。が、現人神なんて所詮はタテマエだ。その威光は常に絶対のものだったわけではない。神と同格なのは死せるファラオであって、日本で言うところの「仏さん」。生きてるうちは拝んでも大したご利益はなく、信心深くなければ死んでからも怖くは無い。
神の子孫であるという家系図も、日本で言うところの「万世一系」に近い、お決まりのプロパガンダだろう。実際はファラオも人間と認識されており、だからこそ墓泥棒にも遭ったし、「王は偉大なる存在である」というパフォーマンスを定期的に行う必要があった。

普通なら「都を移すぞ!」と突然言ったからって軍も労働者も付いてこないし資金も出ない。
アクエンアテンには絶対権力があり、大量の資金と人を動かせる裁量権が無ければ、改革はそもそも行われていない。
…つまり、王には実際に権力があったはずなのだ。

アクエンアテンの、はっちゃけた「改革」を可能にしたのは、彼の一族が多大な権力を握っていたからに他ならない。すなわち 近親相姦を繰り返して、権力が拡散しないよう一族でガッチリ握っていたこと が、この王様の改革を実現させたんじゃないかと。ようやくここで話が繋がったね!



これがどう問題なのかというと。

今までの説だと、アクエンアテンは「アメンの神官たちの権力が大きくなりすぎたため、神官の勢力を殺ぐために」アメン信仰を廃止し、全く新しいアテンという神様を主神に祀り上げたのではないか…と、言われているものが多かったからだ。
つまり、王の権力が弱まりつつあったから、権力を取り戻すために改革が行われた、と言われていた。
それって違うんじゃね? …と、我が脳内にアテン神が閃いたわけ。

画像


アクエンアテンがテーベの中心で改革を叫んだ時、古代エジプトの国家守護神はアメン・ラーという太陽神だった。その神様に仕える神官たちも多く、宗教と政治が一体化していたため政治に介入する神官たちの権力も大きかったと言われている。国家の重要事態に、王が神官たちに助言や神託を求めることもあっただろうし、神官たちが王を諌めるために神託の名を借りることもあったかもしれない。

だが、そもそも改革を実行するためには、王に大きな権力が必要。
神官たちの権力も大きかったかもしれないが、反対を押し切ってでも短期間に遷都、他の神々の崇拝を禁止(実際は禁止しきれていなかったようだが)するだけの力はあった。

つまり… アクエンアテンが突然、テーベの都を捨てて砂漠のド真ん中の何もないところに遷都したのも、無名だったアテン神を唯一神として崇めたのも、アメン神官団の権力が大きくなったことや、神官たちに王の権威が脅かされたこととは、あんまり関係ないんじゃないかと。(つか、単にアメン神官団の力を殺ぎたいだけなら、同じ太陽神で、新王国時代に地位を下げられてしまっていたラー神官団をぶつけるのが一番てっとりばやく、かつ効果的だったんじゃないのか…?)


王の権力掌握は万全だったが、アクエンアテン個人の都合によって改革が行われたんだと私は思う。
彼の改革は、改革というよりは王としての勤めを放棄して自分の世界に逃避する行為だったのではなかろうか。
まあ、たぶん、専門家だとあれこれ証拠を挙げて難しい話になっちゃうと思うんだ。だけど私には、どーしても、彼に国を良くしたいという理念があったように思えない。





これは主に、 自分の娘に手を出す親父にロクなのはいない という理由からである。

たとえ古代であってもファラオ様であっても、娘はダメだろ娘は…。

まあエル・アマルナの労働者に過酷な重労働を強いたとか、アマルナで疫病が流行った痕跡があるのに対処してないとか、アテン神との交信が電波くさいとか、他国からの支援要請を突っ返してるとか、後世の憎まれっぷりがハンパないとか、そのへんの理由は二番目以降かな。


まじめな推測かと思いきや、最後もやっぱり下世話な話で〆る。


***************

何も言わずにこれで遊んでいくといい… 
アテン神捕獲大作戦

たとえ世間が彼を認めても、俺はただのデンパ王だった説を取る!

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