古代エジプトに「洪水」は無く、メソポタミアに「洪水」はあった 

自分にとっては当たり前なことも、人と話してみると実は世間一般的には当たり前じゃなかったりする。今回は、そんなネタを持って来た。

 "エジプトって洪水伝説無いよね? なんで?"

メソポタミアの洪水伝説は、あれは本当に過去に何度も洪水で都市ごと流されてるんだ。元ネタがあるんだ。エジプトでは、「川がいきなり氾濫して大洪水! 町が流されちゃった★」とか無かったんだよ。多分その違いじゃないかなあ。



エジプトのナイル川では、季節ごとに水位が上下する「氾濫」は起きていたが、予想外の「洪水」というのは起きなかった。対して、ティグリス・ユーフラテス川は油断してると凄い勢いで洪水が起きた。
同じく大河のほとりに芽生えた文明といっても、エジプトとメソポタミアでは川の性格が違うんだ。


判り易いように断面図を出してみよう。

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二本の大河のうち、洪水が起きやすいのはティグリス川のほう。その理由は一目瞭然、ユーフラテスに比べて市中の傾斜が激しく、ユーフラテスのように緩衝地となる湖が無い。上流で雨が降ったら、バクダッドまで一気に水が流れ落ちる。

同じようにナイルの断面図も出せればよかったんだが、ナイル川の断面図は一度も見たことが無いので出せない。
が、データだけ出すと、長さは、ユーフラテスの二倍以上ある 6650km。上流には傾斜の激しい地域もあるが、エジプトに入り、エジプトの南端アスワンを過ぎると、そこから海までは流れは緩やかで、1kmあたり1cmしか標高が下がらない場所もあるという。川の断面図を描けばほとんど横一直線になるだろう。

その長さゆえに、ナイルは、たとえ上流で豪雨が降ろうとも一気に水が押し寄せることなく、ノンビリとエジプト国内を潤し続けた。水位が上がりすぎて町に届いてしまうことはあったが、逃げるのが間に合わんほどの勢いで押し寄せてくる「洪水」にはならなかったのである。


ちょいとグーグルマップの同じ縮尺で比較してみた。赤いラインの間が「流れの緩やかな地域」である。

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上がメソポタミア。ティグリス川はバグダットからが緩やか、ユーフラテスはサマーワから。対してナイル川はアスワン以降は流れが緩やか。直線距離だけで、川の蛇行を計算に入れていないのだが、だとしても川がゆっくり流れている距離はナイルのほうが長い。しかもナイルはそもそも長さが6500km以上あるので、1800kmしか流れてないのにその半分が急勾配のティグリス川とは明らかに違う。



さて、そんなわけで、エジプトのノンビリした大河とは裏腹に、時々大暴れする大河のほとりに暮らしてしまったメソポタミアの人々。彼らが体験した「大洪水」の記録は、「ウーリーの穴」とか「大洪水の穴」とか呼ばれる発掘穴で考古学的に証明されている。

この穴は、1929年から30年にかけて、ウルの都を発掘していたチャールズ・レオナルド・ウーリー(Charles Leonard Woolley)によって掘られたものだ。
遺跡というものは年代順に積み重なるものだから、だいたい新しい時代が上に来て、古い時代が下に来るが、新しい部分と古い部分が交じり合っていることも良くある。そんなわけで、町の一部に深い竪穴を掘り、これまでの文明がどのように積み重なってきたのか確認しようとしたのだが、彼はそこで思いがけないものを発見する。分厚い粘土層による文明の中断の跡が見つかったのだ。

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※図中で「起源の島」と呼ばれているのは、人がその地に住み始めた最初の時点で存在した地表(人が手を触れていないという意味で「処女地」)。そこから堆積物が溜まって現在の地表が作られている。


この2m四方の竪穴、ウルの町に「最初に人が住み始めて」から「現在」までの歴史の辿れる深い穴が、「ウーリーの穴」、「大洪水の穴」と呼ばれているものだ。

人の暮らした文明の痕跡を中断させている分厚い粘土層は大洪水の跡。その厚さは最大で3.5mにも達する。ウルの町は過去に少なくとも2度の洪水を受けており、最高水位は8m、メソポタミア流域の、長さ500km、幅150kmの広大な地域を丸ごと水没させる大規模なものであったと推測されている。(※「生活の世界歴史 古代オリエントの生活」より)
ウルの住民が体験した「大洪水」は、地層からして紀元前4000~3500年頃だったとされる。(まだエジプトは初期王朝も始まっていない時代だから、エジプト側の記録は残っていない)


しかし洪水は、この2回だけではない。厄介なことに、ティグリス・ユーフラテスの両河川は、大規模な洪水を起こすと流れを変えてしまうことがあった。河川の経路が変わったために、水不足で滅びたと思われる都市すらある。
だから、その時々の流れによって、被害を受けた地域は異なる。実際、他の都市でも同じように竪穴を掘ってみたら、異なる時代に洪水跡が見られたという。ニネヴェの町はウルと同じ年代に洪水の跡が見られるが、ウルより河の上流なので体積層が少ない。ウルクやラガシュ、シュルッパクなどは現在は川に面していないが、紀元前2800年くらいに洪水による粘土の堆積が見られるという。(各都市の位置については下の図を参照。)

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以上…結論として、
メソポタミアに伝わる洪水伝説は、実話が元の可能性が高い
本当に町ごと、地域ごと水没して船で脱出しなければならないような事態を体験して、生き残った人々が物語として語り継いだはず。いや、語り継いだからこそ、ウトナピシュティム(ジウスドラ)の物語や、水に関わる数々の神話が誕生したのだろう。

以前、「旧約聖書の「大洪水伝説」に元ネタはあるのか?」というエントリで、「黒海が海に変わった瞬間の「天変地異」が洪水伝説の元ネタではないか、という説がある」というのを紹介したが、その説を持ち出すまでもなく、もっと確実で裏も取れている「元ネタ」がメソポタミアに存在するんだな。

ちなみにメソポタミアの洪水伝説は、旧約聖書の物語にディティールがかなりよく似ている。最初に粘土板が発見された時も、「洪水伝説の粘土板」とか「聖書の原型」として有名になったらしいから、キリスト教圏の人たちにとっては馴染みの深いものなのかもしれない。



最後に、ニップル出土のシュメールの粘土板に書かれた洪水の模様を引用しておく。

暴風雨はすさまじく一束になって襲いかかり
大洪水は一挙に祭祀の地を一掃する
七日七夜
大洪水は全土を覆いつくし、
大きな船は風雨のために大浪にうちあたりたるのちに
ウツの神があらわれて
天と地に光をそそぐ
ジウスドラは大きな舟の窓を開く
英雄神ウツはそれに光をそそぐ
王ジウスドラはウツの前にひれ伏し
ウシをほふり、ヒツジを殺す


エジプトだと、そもそも雨降らない。
上流で雨降って水かさが増しても、途中で水が足されることなく、下流にくるまでにかなりの量が蒸発するんだ、ナイルは…。まったく、良く出来た洪水抑制システムなんだぜ。エジプトの川の神がアレな理由がよく分かる。

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引用元はこの本

生活の世界歴史 (1) (河出文庫)
河出書房新社

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図の出展元はこの本



どちらも分かりやすくて面白い本なので、メソ初心者にお勧め。
プチキレて洪水で人間を滅ぼしてしまう神様、それもまた良し。


ティアマト<なぎはらえー