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zoom RSS 「ニーベルングの指輪」のハーゲンが、なぜ愛を憎むのかということ

<<   作成日時 : 2008/11/19 07:40   >>

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全く北欧神話ネタではないものを検索していたら、ハーゲンがなぜ人を憎み愛を拒絶するのか?について考察しているページを見つけた。ワーグナーが元にした北欧神話やその他の伝説を全く考慮しないと全然違う方向にいっちゃうもんだなと思った。(間違いとは言わない。納得はしないが)

ハーゲンやアルベリヒというキャラが何故、あれほどまでに愛を拒絶し、傍目には残虐に思える行為を行ったのかについては、オペラだけ見た人や、オペラの筋書きがワーグナーによる創作だと思っている人には巧く表現できないんじゃないかという気がした。
そしてまた、オペラとして見ている人と、北欧神話から連綿と連なる「ニーベルンゲン伝説」集合体の一部として見ている人では、おのずと見える世界、解釈の仕方は異なるのだろうと思う。
私には、元ネタとなった北欧神話での設定や物語の骨組みは分かるが、ワーグナーが北欧神話ネタのオペラで「愛」をテーマにし、あれほどまでに(不自然なくらいに)愛を連呼し、固執した理由は分からない。それは芸術家の人生を追って理解した人が解釈するところだろう。




と、いうわけで、少しネタにして語ってみる。
まずはワーグナー版でのハーゲンの身の上というものを明らかにしておこう。

ワーグナー版ニーベルンゲン伝説、「ニーベルングの指輪」では、ハーゲンは"指輪"を取り戻すために小人アルベリッヒによって"作られた"存在である。小人では光ある世界に出られないから。小人は武器を振るえないから。人間の血を引く息子が必要だった。これについては後でもう少し詳しく語ろう。

ハーゲンはグンターやクリエムヒルトの異母兄弟、その母が陵辱されて生まれた子とされている。(※)
つまり婚外子であり、家督の相続権はない。また、彼の父と母の間に愛はなく、父にとっては利用すべき息子、母にとっては、おぞましい存在でしかなかっただろう。

※改めて確認するとそうは書いてないが、舞台芸術的に入れられない単語だったのかも。「騙された」という表現と、醜い小人を愛する理由はないことからして、浮気や連れ子などではない。ハーゲンがグンターと血のつながった兄弟ではない設定になるのは「ニーベルンゲンの歌」、兄弟だが小人の息子であり異父弟だとされるのは「シドレクス・サガ」から。「エッダ」の時点では人間の英雄だったのに対し、小人の息子という設定が加わったことによって出自が低くされ、卑怯な振る舞いに理由が与えられたとも言える。




何よりもまず特徴的なことに、「ニーベルングの指輪」で描かれるハーゲンは、自分のことが嫌いだ。

初登場の時に、兄グンターに「私は嫡男のあなたが羨ましい」と言っているが、これは家督を相続できないからではないと思われる。何故ならハーゲンは小人ゆずりの知恵があり、策略を巡らせれば家を乗っ取ることくらい可能なはずだからである。少なくともグンターとギーヒヒ一族の現在の栄光はハーゲンの尽力であり、グンターもそれを認め、信頼している。にもかかわらずハーゲンは、自分の出自を蔑んでいる。

グンターとジークフリートが血を混ぜて盟約の誓いをするとき、自らの血は穢れている、と口にする。

"わたしの血は、あなたたちの血のように清く高貴なものではない。むっつりと、冷たく、沸き立つにおそく、頬を紅潮させることもないこの血―ー"

誓いに加わらなかったのは、利用するだけ利用して捨てるつもりのジークフリートに対し「裏切らない」などという誓いは立てられないからでもあるが、小人という穢れたものの血を引く自分が神聖な誓いに加わることはできないという悲しい事実ゆえでもある。



ここで、北欧神話の世界観の知識があるかどうかで判断が変わってくるだろう。

 「小人の血筋はなんでそんなにダメなの?」

まず北欧神話の世界では、そもそも小人は、神々の作ったもの(=人間)とは異なる存在だ。巨人族のような敵対関係ではないが、蔑まれ、卑しいものとされている。地下世界の優れた鍛治屋である小人たちは、宝物や特別な道具を作り出せるが、自ら武器を振るうことは出来ず、決して英雄にはなれない。

色が浅黒く地下に住む小人たちは、フレイが統べる光の妖精(リョースアールヴ)に対して、闇の妖精(デックアールヴ)と呼ばれ、住む世界からして暗い地下の世界があてがわれている。そして美しく心根の良いリョースアールヴに対し、デックアールヴは醜い姿で性根も曲がっている、と設定されている。彼らの中には神々に匹敵するほどの知恵を持つ者もいるが、神々の一族や尊い血筋の者に求婚することは出来ず、太陽の光に当たると石になってしまう。(エッダ/アルヴィースの歌)

「ニーベルングの指輪」に継承されている小人のイメージとは、この、デックアールヴのイメージなのである。

それを裏付けるのが、たとえば、序夜「ラインの黄金」に登場する小人アルベリヒの扱いだ。アルベリヒは醜く、背が小さく、ラインの乙女たちにキモいだの臭いだの酷い言われようであり、闇に住むために地下世界から出て来た時に眩しいラインの黄金の光に目が眩む。

そのような、醜く浅ましい小人を父に持ってしまったハーゲンは、小人の知恵を受け継いではいるが、陰気で、決して美しい姿はしていない。また、誇れる家柄ではない。それゆえに美しく家柄の高い貴婦人の愛を得ることは、かなわない。また、英雄にはなれない小人の血を引いているため、どれだけ実力があっても主人公にはなれない。神の血を引くジークフリートの輝かしい家柄と比べれば、その差は一目瞭然である。

だから彼の内側には満たされない思いと諦めが渦巻いている。若くして老け込んでいる、という表現からしても、陽気な愛、ジークフリートが体現する"生"や"若さ"の対極にあるものとして存在させられているのだ。


ちなみに「アールヴ」は、トールキンが「エルフ」という種族を創造するに当たって元にした言葉でもある。
リョースアールヴが普通のエルフ。デックアールヴは、ファンタジーで言うところのダークエルフに相当するんだと思いねェ。つまり、ファンタジー風に言うと、ハーゲンは人間とダークエルフのハーフなので、出自にコンプレックスを持ってるってこと。
血筋なんてものは自分にはどうしようもない。生まれ持ってきたもので、その血が裏切りや不実を宿命付けられ、神々の祝福からも外れたものだったとすれば、自分を嫌うのも致し方ないだろう。



しかしハーゲンは、己の宿命から逃れようとしている。

 「指輪を手に入れた者は世界を支配する」

支配の先に何があるかはともかく、ラインの黄金から作られたその指輪を手にすれば、あらゆるものを従えられる。たとえば、今のままでは手に入らない「王座」や「美しい貴婦人の愛」を手に入れることも出来る。あるいは、決してなることの出来なかったはずの「英雄」になることが出来る。
つまり、血の宿命から「自由」になれる可能性が、そこにあった。

私にはワーグナーがハーゲンの行為の理由に何を想定していたのかはハッキリとは分からない。
だが、愛を拒絶しているように見えるハーゲン、そして、その父親のアルベリヒほど、それを渇望していたキャラクターはいないと思う。
手に入らないがゆえに欲し、欲せども手に入らぬがゆえに憎む強い思い。


…と、こういう方向で解釈すると、舞台上の不気味な悪役の男は、いかにも日本人好みの暗い宿命を背負った悲しい悪役に変貌する。
恵まれた血を受け継ぎ、容易く至上の愛を手に入れながらあっさり捨ててしまうジークフリートの、浅はかで傲慢にも思える愛の在り方と比較すれば、ハーゲンがなぜ人を憎み愛を拒絶するのかが、きっと見えてくるだろう。




もちろん、芸術の解釈の仕方は一通りではないので、これが正しいとはいえないんだけども。

少なくともワーグナー的にはジークフリートとブリュンヒルトの愛こそ至上にして理想の形だったはず。ただ、それは巧くいっていない。ジークフリートの行動に一貫性がないために、ハーゲンやアルベリヒの求めざれど得られぬ渇望のほうが物語りの主題に思える。


*************

ちなみに、ハーゲンの片親が小人という設定は、「シドレクス・サガ」や「ニーベルングの"指輪"」にしか見られない。
「エッダ」、「ワルタリウス」、「ニーベルンゲンの"歌"」などでは、人間の両親を持つ。片目が無い、髭が黒々としている、などの描写や、バリエーションによっては妻がいるといった描写もあり、「見た目が恐ろしい」以外で、人間離れしているとか特別醜いといった描写は見当たらない。

だから出自が原因で心に闇を抱えている「ハーゲン」は、ここにしかいない。
ジークフリートを殺す、という行動自体は同じでも、その行為に及ぶ理由は、物語ごとに異なっている。

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