古代エジプトのビール検証(6) まとめ。キリンビールのサイトに出ている「醸造法」には誤りがあります

◆2014年追加 最終報告

古代エジプトビール再現実験にまつわる追加確認

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>>と、いうわけで前の記事からの続き

思ったより長くなりましたが、自分なりにけっこうイイところまで来たのではないでしょうか。
依頼人には今度うまいビールでも奢って貰うことにしましょう。実はビールはドライしか飲めないけど。

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と、いうわけで総括です。
結論はもう記事タイトルになってますが(笑)

◆目的

キリンビールの「古代エジプトのビールを再現する」という企画で提示されている古代エジプトのビールの作り方について、詳細を確認し、検証手順や結論が正しいのかどうかを確認する。



そもそも、この検証を始めたのは、キリンビールのサイトに挙がっている「古代エジプトのビールの作り方」の説明について、友人の酒マニアに「先進的過ぎておかしいんじゃね? 古代でこれは可能なの?」と、質問されたから。

キリンビールのサイトには、その作り方は「壁画をもとに再現した」としか書いていないし、その他の「考古学的分析」について何処にも明記されていない。普通の研究なら、詳細を論文なり紀要なりで世間に提示しないといけないわけで、再現可能性のない実験なんて常識的に言えば学術研究として認められないはず。

どこの記事を見ても詳細を書いていないので、何か詳細を明らかに出来ない理由があるか、ツッコまれると拙いような不十分な研究しかしてないだろうと意地悪なことを考えて色々洗い出してみました。
尚、洗い出した文献その他については、前記事の古代エジプトのビール検証(1)~(5)をご確認ください。



◆結論

「新説」として提示されている2つの説のうち、「新説 古王国時代の製法」として提示されているものは1996年にサイエンス誌に掲載された、Delwen Samuel博士の論文のほぼ丸写しで、根拠となる研究は存在するが新説ではない。 また、元論文では、この作り方は新王国時代の証拠から確認されたものとされている。

「新説 新王国時代の製法」とされているものについては、ベースとなっている研究は発見できなかった。しかし原料を「エンマー小麦・大麦」から「デュラム小麦」に変更している点については根拠が不明であり(それは壁画から読み取ることが不可能な要素の1つである)、明確な根拠が存在せず、他の研究論文と矛盾している現段階では誤りと言って差し支えないと思われる。

また、こちらの説には、以下の問題点が見受けられる。


(1) 壁画からの再現というだけでは根拠として不十分であり、パン製法の工程とビール製法の工程を混同している可能性がある。道具やビール作りの模型、ビール壷やビール粕などの化学分析を含めた、包括的な視点をもって結論づけるべきだった。

(2) 元になった墓の壁画が新王国時代のものというだけで、この製法を新王国時代のものとしており、時代ごとの差異を検証することについて不十分。よって二通りの製法があると主張するのなら、「古王国時代」「新王国時代」ではなく、一般的な製法と、それ以外の製法といった区分のほうが妥当と思われる。

(3) 「新王国時代の製法」についてワインを使用したことになっているが、ワインの原料となるぶどうは外来種であり古代エジプトにおいても大量生産された証拠は無い。一部の上層階級のみが飲料としていたワインが、庶民の口にも入るビールに使われたと主張するには無理がある。また過去にビール粕を分析した研究論文に、ワインを検出したという記述が見当たらない。(もしも新王国時代のビールにワインが使われることが一般的であったなら、ビール壷やビール粕からワイン成分が出てくるはずだ)


以上から、「新王国時代の製法」については現時点で眉唾ものであり、再考される余地が大いにあるものと思われる。ただし、この製法について、研究に関わったとされる吉村作治氏が発表した専門的な文書が見つからなかったため、現時点では根拠が不十分であり不正確な可能性が高いと指摘するに留める。



この検証のゴール地点は、その製法が正しい正しくないもありますが、根拠となっている研究や参考にされた文献を洗い出して、最初の発見者が誰だったのか、その研究の書かれていない詳細がどういう内容だったのかを知ることでした。

調査の結果、「古王国時代の製法」とされているものについては、新説ではなく、公に発表された論文がありました。”ディオドロスの記述は後世に書かれた不正確なものであり、それに頼っては正しい古代エジプトのビールは再現できない”ということを結論づけ、正しい製法を再現したという名声は、Delwen Samuel博士が受け取るべきでしょう。

「新王国時代の製法」とされているものについては、元となる論文などは見つかっていませんが、そのお粗末さから、吉村氏とキリンのプロジェクトから生まれたオリジナルである可能性も考えられます。問題点については上に書いたとおりです。

古代エジプトで作られていたビールは一種類ではありません。また、ビール製法はローカルな作業であり、パン作り同様、地域によって異なっていた可能性があります。従って、何種類かのビール製法が存在したとしても、それが時代による差異なのか、地域による差異なのか、はたまた値段や使用目的の違い(たとえば、日々口にするビールと神々に供えるビール、儀式用のビールや貴族が飲む高級ビールなど)によるものなのかは、すぐに答えが出るものではないはずです。
安易に「これは新王国時代の墓の壁に書いてあったから、新王国時代の製法だろう」などと主張するのでは、根拠に薄いというかそもそも学術研究の域に達していません。

「新王国時代の製法」とされている図でデュラム小麦が使用されている理由について、これは日本語ページでも英語ページでもそうなっていたので、単なる誤植ではなさそうです。
古代エジプトで生産されていた主な麦は、エンマー小麦、大麦(六条大麦)、デュラム小麦の三種類。
しかし色々と資料を当たってみても、デュラム小麦が主食として使われ初めた時期はグレコ・ローマン時代となっており、中王国時代を挟んで麦の種類が変わったという記述は何処にも見つかりません。

ワインについては、他の方ページでもツッコまれていましたが、古代エジプトにおいてレアだったワインを、日常で口にする飲み物に使うはずがないのです。ビール作りにナツメヤシ(デーツ)をすりつぶしたものを加える製法については、今回の調査の中で眼にした英語・日本語両方の文献で確認できましたが、ぶどう、ワインといったものを加える製法は見つかっていません。
もっと言うならば、庶民が日々口にするものなのだから、その手順や製法、生産コストについては、「一般農民が生活の中で作って常飲出来るものなのか」を、検証する際の念頭におくべきだったろうとも思います。

これらの不備をごまかそうとすれば、詳しい研究内容の発表は出来ないだろうと思います。
また、学術論文として仕立てられるほどの有効データも集まっていないのではないかと。

是非とも、このプロジェクトについて研究の詳細を公にし、我々にツッコむ… じゃない、好奇心を満たし議論する余地を与えていただきたいものですが…。



…まあ、これを元にしたと称してビール作って売ってるんで、一番厳しい言い方をすれば「詐欺」に近いレベルだと思うんですけどね。
なんちゃって教授連れてきて名前だけ借りて信憑性があるように見せかけてコレなんですから。「飲むと健康になる水」の会社が独自にやった研究と大差ない程度の信憑性しかないってのは、ちょっと問題じゃないのか。(笑)

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<<と、いうわけで図と一緒にまとめ>>


「従来説」

過去にディオドロスの著作ほか後世に書かれた文献資料に頼って研究されていた時代の再現方法を極限まで単純にするとこのような図になると思われます。しかし、文献の資料は不正確な部分が多いことが既に指摘されており、現在では考古学的な資料が参照されているようです。
「従来説」と「新説」とをわかりやすくセンセーショナルに対比するために作られた図であり、これまでの他の学者の業績や試行錯誤を故意に無視した不適切なものです。

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「新説 古王国」

発見者は吉村作治氏ではなく(多少改良したのかもしれませんが…)、1996年に発表されている論文(PDF)ファイルが元ネタです。
改良されている部分において、干しブドウが加えられている根拠が不明で、一般的にはナツメヤシを使用した製法であったと思われます。また、古王国に限定した根拠が不十分です。

原料は「大麦」「小麦」となっていますが主にエンマー小麦であり、予期せず混入したと思われる大麦がわずかに混じっている程度、というのが正確なところです。

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「新説 新王国」

ケンアメンの壁画を「見ただけ」で再現したとされる、非常にアレな説です。今のところ、他に同様な説が発表された学術論文は発見できていません。
原料がエンマー小麦からデュラム小麦に変化している点については根拠不明なだけではなく誤りと思われます。また、手順についてもワインを加えたとする根拠が希薄で、当時高級であったワインがより安価なビールの材料になったと考えるのは不自然。ワインを使用した製法が存在したとしても庶民の飲む一般的なビールとは異なると思われます。


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ちなみに、コレ、別のページでは材料がエンマー小麦になっています。

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考古学的データからして正しいのはエンマー小麦ですが、英語サイトではデュラム小麦だし、商品化されたビールも片方はデュラム小麦だったので、キリン的にはデュラム小麦と書くのが正解だったのではないかと思います。

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そして、もう一つ残念な結論なのですが、

 このプロジェクト、考古学者は必要ない。

既存の論文を翻訳して、その内容を再現するだけなら、醸造の専門家が一人いればコト足ります。
実際、私がDelwen Samuel博士の論文ほか、この件に関してひっかかってきた文書を理解しようとする努力の際に必要としたのは、酒の醸造についての基礎知識でした。「上面発酵」や「サワードウ」「ラガーモルト」等の特殊な英単語の意味が分からずに最初はポカーンでしたが、これらの単語の意味する内容と一般的な発酵プロセスを理解していれば、そんなに苦労することもなかったでしょう。

見たところ、古代の道具を使った再現についてはそれっぽい道具を使っていますので、ここだけは博物館の学芸員などに助けを借りる必要があったかもしれません。

しかし、実験内容からしても、考古学的なレポート文献が出ていないことからしても、吉村氏はただのお飾りであり、単に名前が売れてるから連れてこられただけのようです。「古代エジプトのビール」という宣伝と、イメージ戦略の一環だったということなんでしょうね。ていうか逆に、専門家が本気で関わってこのレベルだと仕事がお粗末過ぎる。


もちろん、この件をきっかけに京大と早稲田大が友好的な関係を築けたのは良いことでしょうし、古代のビールを再現するというプロジェクト自体は面白いものです。
ただ、その再現の内容に誤りや不明確な点が多く、誤解を招く可能性があること、「新発見」とする内容が実は新発見ではなく別の研究者によって発表された内容である、といったことは、歓迎されざる事実です。他人の手柄を横どりするのは、いかなる専門家であっても恥ずべき行為です。さらに、それを宣伝に使って商品を売ろうとしているわけですから、宣伝にお金をかける前にもう少し内容をしっかり作るべきだった思います。


尚、もう知ってる人は知ってると思いますが、このプロジェクトののちキリンが発売した「ホワイトナイル」「ブルーナイル」というビールですが、実際は古代エジプトとはなんの関係もありません。出来上がったものは、原料が通常のビールと異なる(片方はエンマー小麦、もう片方はデュラム小麦)だけの、ただのビールです。古代エジプトのビールの面影はありません。古代のビールを忠実に造るとコスト的に割に合わないか、ぶっちゃけ「マズい」とか、流通に耐えないとか、そういう理由から忠実な再現では売れなかったのでしょう。

ネタとして一回買ってみたのですが、単価の高いわりに味はごく普通です。(※発売当時、飲んだあとの感想がコレ)
その意味では安心ではあるのですが、それなら古代エジプトのビールを再現する意味がなかったような…。

結局のところ、「古代エジプト」は、イメージ戦略によって単価の高い商品の販売数を一時的に上昇させるために少し役に立ったかな? くらいのものでしょうか。


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同級生すら忘れてますが、中の人は考古学とかシロートさんです。
大いに畑違い、まぁただの物好きにしちゃよく調べましたねってコトで。

本業の人なら多分もっとツッコめるんでしょう。何か間違ってるとか足りないとかあったら本体サイトから適当に指摘してください。適当に直します。(コメント欄を置いてないのは単に管理が面倒くさいからで、人様からの意見は受け付けないZE って意味ではありません)

おまけ
http://55096962.at.webry.info/200808/article_37.html