古代エジプトのビール検証(3) 古代エジプトのビールについての基礎知識

>>前からの続き

英論文を読むのに疲れてきたので、ここで一度、日本語の文献に戻ってビールの造り方についての基礎知識を確認しよう。
これが分かっていると、少しは理解が楽になるかもしれない。


以下、「ビールの教科書(青井博幸/講談社選書メチエ)」からの抜粋。

日本の大手メーカーのビールのほとんどはラガー・タイプのビールであり、日本でなじみ深いビールである。エールが一般的に18度から24度程度で発酵させるのに対し、ラガーでは15度以下で発酵させるのが一般的だ。酵母は、発酵の過程で100%エチルアルコールを作るわけではなく、果物のような香りを放つ物質(エステル)や薬品様の刺激臭にもなりうる物質(高級アルコール、OH基が3つ以上ついたアルコール)なども生成する。酵母は一般的に温度が高いほどエステルを生成しやすいという性質がある。従って、ラガーはエールよりも成分が少ないこともあり、すっきりと仕上がるものが多いという特徴がある。



まず、ビールの酵母にはたくさんの種類があるが、大別すると「ラガー酵母」と「エール酵母」に分けられるらしい。
現在、日本などで多く出回っている市販ビールは「ラガー酵母」で作られたもの。ただしエジプトやメソポタミアなど古い時代のビールは「エール酵母」によるものだ。エール酵母は発酵が終わると浮いてくるため「上面発酵」とも呼ばれる。
エールビールの特徴は、「冷やさないほうが香りが楽しめる」。ラガー酵母に比べて活動温度が高く、13度から38度くらいの温度帯で発酵が可能。よいビールを造ろうとすると18度から24度くらいが適温だという。冬もあったかいエジプトなら、ちょうどいい温度が得られそうだ。

また、ビールに重要なものとは「水」であるという。
硬質か軟質か、含まれる炭酸や成分などによって味わいが変わってくる。古代エジプトのビール検証(1)でリンクした「古代エジプトビールのレシピ」で、”ナイルの水を入れてください” と書いてあったのも、あながち冗談ではなさそうだ。



さて、古代エジプトのビールが「エール酵母」によってつくられた上面発酵のビールであり、発酵の終わった酵母がビールの表面に浮いてくるものだと分かると、次の記述で青字にした部分の意味が分かるだろう。
以下は、「図説 古代エジプトの女性たち 蘇る沈黙の世界(ザヒ・ハワス/原書房)」からの抜粋である。


生地は大きな桶に入れられ、小麦か大麦粉(時々はその両方を混合したもの)と、水、酵母をあわせて混ぜるのであった。サワードウ(パン種に用いる発酵した練り粉)は、今日地方で行われているように、小麦粉を水でこねて放置しておき、自然な酵母菌を集めることによって簡単に作ることができる。これが発酵し始めると、生地をふくらますのに使われる。新王国時代までには、あるいはもっと早かったかもしれないが、パンを作る人はおそらくバルサムから採られた純粋な酵母も使っていただろう。その純粋な酵母とは、ビールを発酵させてすくい上げる、ぶくぶくしたあぶくである。


エール・ビールだから、酵母が浮いてくるのだ。
このように、ビール作りとパンづくりが密接に関わっていることは知られており、おそらく近くで同時に作られていた。作られていたビールは1種ではなく、ギザの労働者村には作り方か、或いは風味付けによってか、いくつかの種類が記録されているという。



以下、「古代エジプト生活誌(エヴジェン・ストロウハル/原書房)」より、作り方と種類についての概要を抜き出す。

ビール作りもまた、原則として女の仕事であった。まず、殻粒を丸一日水に浸してから平らに広げて乾かし、さらにもう一度水を加えてから、大きな桶にイーストとともに入れて足で踏み砕く。発酵が十分進んだ時点でそのどろどろのマッシュをふるいか布切れで濾(こ)し、濾した液を寝かせて熟成させたのである。殻粒の代わりに古くなったパンを壷に入れ、水を加えてどろどろにし、煮立たせた後しばらく暖かい場所に置いて発酵させることもあった。このマッシュ作りとマッシュを濾して背の高い容器に入れている場面が、ビール作りのなかではもっともよく描かれる場面である。

最後に、香料、ナツメヤシの実、マンドレイク、ベニバナなどの添加物――ホップはまだ知られていなかった――で、濾過液に風味をつけた。カールスルーエのバーデン博物館にある浮き彫りには、ナツメヤシの実をそれに用いるために大きな桶のなかで踏みつけている場面が表わされている。そのあと、(女が)種を取り除き、(男が)果肉を丸めて別の容器に移し入れている。ナツメヤシの実はビールに一種独特の芳香を与えただけでなく、糖分を増加させることによって発酵を早めるという役割も果たした。医術パピルスには17種類のビールがあげられているが、これもパンの場合と同様、どれがどのビールにあたるのかまだわかっていない。


画像
パンづくり風景


画像
ビールを濾す姿の模型




で、ここでなぜ医療パピルスが出てくるのかだが、じつはビールを医薬品として使った処置がある。一番有名なエーベルス・パピルスを中心とした例をひいてみよう。以下は「古代エジプトの秘薬(大澤彌生/産学社)」から。


用例

(1)歯を清潔にする エーベルス745
不明のアーメアーアー植物、甘いビール、キジムシロを混ぜ、よく噛んで吐き出させる。

(2)食欲増進剤として エーベルス293
イチジク、マンナ豆莢、乳香、ナツメヤシ、タマネギ、甘いビール、脂肪の多い肉、ヤナギを煮て、裏ごしして4日間飲ませる。

(3)緩下剤として エーベルス34
タイガーナッツの塊茎、タマリンド、ガチョウの脂肪、蜂蜜、甘いビールを混ぜ、4日間飲ませる。

(4)駆虫剤として エーベルス84
コロシントウリ、赤色黄土、発酵させた植物粘液、不明のもの、白い油、甘いビールを煮て患者に飲ませると、冬虫は死ぬ。

(5)テメユ・ト病に対して(後から呪文が加えられる) ロンドン7
ヒヨス、赤色黄土、下エジプトの塩、ジェセア植物の実、甘いビールの液体を混ぜて食べさせ、呪文を唱える。


ビールは、現代の薬で言うところのシロップの役割を果たしていたのかもしれない。また、消毒に使われているケースでは、アルコール分が役に立ったかもしれない。いずれにせよ、薬草類を入れた医薬品的な扱いのビールも存在した可能性がある、ということだ。



まだ続くよ!